過去
「………常夜教って新興宗教知ってますか、桂さん」
桂は俯いたまま、答えないという選択をした。これは答えてはいけない質問だ。山崎は桂の返事を待たずに続ける。
「じょうやきょう。関西のとある町をまるっと飲み込んでる宗教です。新興宗教とは言え神道の分派で100年以上の歴史がある。規模は少し小さいですが、システムとしてはあの甲子園によく出場してる高校がある奈良の自治体とちょっと似た感じなんですかね。さっき急いでちょっと調べただけなんですけどね」
山崎が今膝に乗せているタブレットとスマホを今すぐ奪って壊してしまいたいと思った。この短時間で桂の過去と出身地について何をどこまで調べたのだろうか。
「このアパートの2階の例の部屋にその宗教の祭壇が置き去りにされてたんですよ。そして最近まで誰かが出入りしていた形跡があった。部屋の状態を見る限りで言えば誰か住みついている、というわけではなさそうでしたが、少なからず人の出入りがあったのは間違いありません」
祭壇というか、恐らく仏壇と神棚の融合したような特殊な物だろう。見なくてもそれがどういう物だかわかる。ここに来る前、過去に散々見てきたから。
「多分その祭壇は、前に住んでいた住人が置いて行った物です。Kさんという人です、やはり関西出身の方のようですがご存じないですか?」
桂は何も言わず首を横に振る。すぐ目の前に住んでいたのだから何度も擦れ違っているのかもしれないが、自分はあの町の住人全ての顔を知っていたわけではない。顔を知らなければ赤の他人だ。ただ同じ町に住んでいた信者のひとり。特に名字だけでは判断出来ない。
「それと今、公式には認められてない話だそうなんですけど、SNSとかで噂されてる事があって」
山崎はそこで息を大きく吸う。
「常夜教の今の教祖様………みたいな扱いをされていた青年が3年前に失踪したという話があるそうなんですよ、あくまでネットの噂レベルの話なんですけどね」
「………知りません」
認めてはいけない。それだけはわかる。むしろ認めたくない。自分はなりたくて「それ」になったわけではない。子供の頃からそれになることが怖くて仕方なかったのに、結局選ばれてしまった。血筋など糞だ。赤の他人に血の何がわかるというのか。
「桂さん、それはあなたではないんですか」
「違う」
どうしても、どうしても強い口調になってしまう。全てを否定したい。あの町の事は全て捨ててここに来たのに。
「それならあなたではなく星波さんに話を聞いてもいいですか?」
「彼は関係ない」
「親戚なのに?」
畳み掛けるように言葉を継いで来る山崎は2人の関係を疑っている。そりゃこんな飲み屋街にいるような人間なんてわけありばかりで全てを鵜のみにする方がおかしな話ではあるのだが。
「今は俺の話でしょ、せなくんは関係ない」
今はそう強く言い張るしか出来ない。
星波にだけは触れて欲しくない。
自分の過去も大嫌いだが、星波の過去も誰かが軽率に触れて良いものではない。とてもデリケートな、静かな哀しみがそこにあるのを桂はよく知っているから。
「それなら私が聞いている事には正直に答えて欲しいんです。桂さんの年齢の件さえ目をつむれば、今のあなた方はここできちんと真面目に仕事をなさっている。他のトラブルに関してはいつも協力的だった、それにはとても感謝しています。深夜営業届もきちんと出してらっしゃる」
窓の外を見ると、粉雪が舞っている事に気付く。冬の終わりの最後の雪だ。夜の間に雨になって、朝になれば少しは空気を綺麗にしてくれる。
「確かに僕はその町の出身ですけど」
山崎に押され、そこは折れるしかなかった。だけれどその先を口にしたくなかった。どうしてもしたくない。目を伏せて自分の手を見つめる。真っ白い手。トウキョウに来てから毎日のように水仕事をしているからか、あの町にいた時よりも大分荒れて来た。でも今の自分の手の方が好きだ。俯き言葉が詰まってしまった桂をミラー越しに山崎が見つめているのがわかる。山崎は静かに口を開く。
「………アパートの部屋にですね、桂さんの写真が落ちてました。星波さんと店の前を歩いている写真は恐らく最近盗撮されたものだと思います」
背筋が冷たくなったのは雪のせいだけではない。これは恐怖だ。もうこれ以上何も聞きたくない。
「それからもう1枚、幼い顔をしたあなたの写真です。巫女のような服を着せられている。あなたは男性なので本来なら男巫や禰宜と呼ぶのが正しいのかもしれませんが、女性用の服を着せられてました。赤い袴の。映りはとても悪いものでしたが、私はあなたによく似ていると判断しました」
今時写真をわざわざ現像して持ち歩く人間の方が珍しい。手元のガジェットに全てデータとして格納出来るのだから。でも崇拝のために祭壇に飾るならまた話は別だ。
桂は新興宗教の教祖だったわけではない。巫女だった。
10年毎に選ばれる数人の巫女の中で最も重要な存在として、桂は筆頭巫女と呼ばれていた。
筆頭巫女はあの宗教のほぼ中心の存在と言っても良い。
宗教の円滑な運営のために形式として宮司と長老衆が巫女たちの上に立ってはいるが、神事の頂点にいるのは筆頭巫女で誰も逆らえない。
筆頭はかみさまの代理の存在だ。
男とか女とか関係なく、10年毎に新しい巫女が選ばれる。
本当なら写真などなくても信仰に変わりはないのだが、桂の見た目をやたら崇拝し持ち上げたがる人間は一定数いる、とあの町にいた当時から周りの大人達によく聞かされていた。
自分ではわからない、何故皆桂の事を美しいと言うのか。
インターネットで任意の文字列で調べれば当時の桂を盗撮した写真は出て来る。しかしほんの数枚で、どれも酷く映りが悪い物ばかりなのが幸いなのだが。
神事はどんな小さな些細な行事でも宗教外部の人間の参加は一切許されていない。
例え信者でも許可された一部の人間以外は全ての撮影を禁止されていた。
その上桂は滅多に神社の敷地外に出られなかったから、普段の生活でも盗撮は少なかったはずだ。あそこにいた当時の桂は携帯電話すら持たされていなかったのだから、自ら写真を撮るという習慣すら無かった。
そう言えばあの頃から本名で呼ばれていなかった。
10年前の大祭の時、桂が次の筆頭巫女に選ばれてから家族でさえ本当の名前を呼ぶ事はなくなった。桂は名前を捨てられ「巫女様」と呼ばれるようになった。
しかしよくこのご時世に3年も逃げ延びる事が出来た物だ。
結果的に桂のまともな写真が無いという事が良い方に作用したのだろう。
探しても顔が真正面からまともに写っているのはせいぜい子供の頃の写真だけだろう。わかりやすい今の顔写真が無ければ捜索は難航する。桂を知っている人間の記憶に頼るしかないのだから。
大気汚染で都市部であればある程マスクが必要な生活だったのも幸いしたのだろう。それにあの町にもプライドがある、桂に逃げられた事をあの宗教のお偉いさん達が、あの家族が、そう簡単に認めるはずがない。それかすぐに見つかるとタカを括っていたのか。
どちらにせよ、しばらくは居なくなった事を一般信者達には隠し通して秘密裡に探し回っていたのだろう。そして最近になってようやく隠し通せなくなった、と考えるのが妥当だ。それならヤマダは恐らくあの町の上の人間が業を煮やして放った猟犬なのだろう。
何故ここに来てあの町が焦り始めたのかと言えば、今年の夏に大祭があるからだ。
10年に1度のあの町に取って最も大事な祭事。
正直なところ、桂がいないのなら放逐とし新しい巫女を立てればいい。
それだけの話だとは思うのだが、恐らく桂の跡に相応しい後釜がなかなか決まらないのだろう。
それは誰よりも桂がわかっていた。何よりもあの町のシステムを嫌ったが、何よりも自分が特別だという自覚はあった。だけれど投げ出したのだ。心が折れたから。
10年前、次の大祭に向けた新しい筆頭巫女として桂が選ばれた時、満場一致だったと宮司は言った。前の筆頭巫女がどうなるのか、桂は子供ながらうっすらわかっていた。嫌だった。でも小学生の子供に拒否権などなかったのだ。
トウキョウは案外冷たい街で、それが桂には心地よかった。誰も桂の過去を気にしない。飲み屋のカウンターでニコニコしている桂の誠意だけを信じている。犯罪さえ犯さなければ案外どうにでもなる。
別に田舎だからという短絡的な理由で故郷が嫌いなわけではない。
信仰に縛られてやりたくないことをやらなくてはならない。というよりやってはいけないこと、人道に反すること。
それが嫌だ。
「でも俺はヤマダさんを殺してませんよ」
それだけは本当だ。あいつに対しては、地元のことなど関係なく不愉快な思いはしていた。一方的な好意。それは感じていた。
だがしかしヤマダが店の前で死んだ時に桂はカウンターの内側で寝ていたのだ。誰かが証言してくれるわけではないが、桂が夢遊病でもない限りはヤマダを殺せるはずがない。
アラームに気付かず、開店ギリギリに目が覚め、慌てて店内の掃除をして、そうだそろそろ外の看板をつけなきゃ、上で寝てる星波も起こさなきゃ、と思った瞬間にツネさんにドアを叩かれたのだから。
なんでこんな時に限って防犯カメラが壊れているのだろう。
した事を証明するよりしていない事を証明する方が難しいとはよく言うが、まさかそれが自分の身に降り掛かるとは思っていなかった。
「私もあなたが犯人だとは思いたくない、でもあなたはヤマダさんの関係者なんです、自覚のあるなしに関係なく」
山崎は警官だ、出来るだけ冷静に桂を諭そうとしてくる。
しかし桂は今、怖くて仕方がない。
兎に角あの町に戻ってまた女装させられて巫女をやるのはごめんだし、星波の横を離れたくない。
ようやく慣れて来たトウキョウの生活を手放したくない。
何より山崎に大祭の事を話したくない。
そう、暗黙のルール。
外部の人間に絶対話してはいけない事。
それは未だに桂の心臓を縛っている。
話してしまえば楽になるのかもしれないが、自分に掛かっている洗脳を解くのは簡単ではない。方言を抜くのと同じ位難しい。どうしてもあの時代に゙逆行した大祭について人に話すのは抵抗がある。
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