お話を聞かせてください

「ところで先ずホシカワさんがどのような方だったか皆さんに改めてお聞きしたいんですが」

 その質問に4人ほぼ同時、口々に鳥のさえずりのように一斉に話しだしたのだが、山崎は全てを聞き取り素早くポイントをメモしていく。

 この状態で酔っ払いの話をきちんと聞き取れる、それは才能だと思った。やはり山崎も桂と同じように耳が良いのだろう。

 まあその内容はさっきまで4人でダラダラと話していた内容に毛が生えた程度の話でしかなかったのだが。

 ただ、ツネさんとユカリさんの話には桂や星波の知らないエピソードが幾つか含まれていた。

 大晦日に駅で寝ていた話も、それを山崎に起こされていた事も、こないだ女連れで歩いていた事も、JR側の飲み屋で珍しく友人らしき人間と話していた事も、それはどれも初めて聞く彼の姿だった。

 仕事をクビになった頃に彼女とも別れたって前にここで呑んだ時に言ってた気がする、という話をユカリさんから聞き、ここ最近の酒癖の悪さとメンタルの不安定さの理由がなんとなく、なんとなくだけれど見えたような気がした。

 元々見た目で虚勢を張るタイプではあった。ホシクズは「舐められたくないんだよ」という言葉をよく口にしていたことを不意に思い出す。


「あいつは駅の近くにあるライブハウスで働いてたんだけどオールナイトイベントの時に酒飲みながら仕事して客と酷い喧嘩になって警察呼ばれてクビになった。そのライブハウスもその後すぐに、確かそっから1週間もせずに雇われ店長が金を持ち逃げして失踪して即閉店になった。それが3ヶ月か4ヶ月前だよ」

 星波はでかい時計の横に置いているカレンダーを見ながらそう一気に言った。多分喧嘩の件も店長の遁走も警察の方に記録が残っているはずだ。


 困り果てたオーナーが店にあるもの、機材からビールサーバーから何から何まで売り払って当座の金を作る、と肩を落としていたのを思い出す。店をひとつ潰すのにも金と手間と体力がいる。

 いつか失踪した店長を見つけ出して有り金全部、ケツ毛までむしり取って奪い返すにしても、それはいつになるかわからない先の先の話なのだ。

 しかしあのライブハウスが空っぽになった後、あっという間に次のテナントが決まったのだから、不況などどこ吹く風だ。


 ホシクズはライブハウス勤務という経歴から予測出来る通り元バンドマンだった。ただ案の定、どのバンドも余り長続きはしなかったようだが。時々酔うと大きな声で歌いながら歩いていた。その声はとてもよく通る太い声だった。色々なトラブルはあったが、歌だけは上手かった。そして桂は不意に思い当たる。


「今日の早朝、ホシクズがうちの店の前を歌いながら歩いてたかも、しれない」

 桂のその言葉に全員の視線が桂に集まる。

「風強かったから自信ないけど、風うるさいのに早朝から外で騒いでる声も酷いなって思って」

 てっきりあの居酒屋の客だろうと思い込んでいたその騒ぎの中に、聞き慣れた歌声が混じっていた、ような気がする。誰かが歌っていた。それは聞こえた。なんとなく聞き覚えのある歌のような気がしたので、ホシクズかもしれないと不意に思っただけだ。ホシクズが好きな、ちょっと昔の洋楽。

「俺は気付かなかったけど」

 星波はそう言うが、夜中にずっとゲームをしていた星波が丁度寝付いた位の時間の話だ。

 多分朝6時頃。7時にはなっていなかったはずだ。しかも星波は桂の耳栓を勝手に使っていたのだ。外の音を聞いているとは思えない。しかも昼過ぎに一度起きたかと思えば、誰かと長電話を始め、それが終わるとまたパタンと倒れて眠り始めたのだった。桂は星波の電話が終わった少し後に外出したが、多分星波は今日店が開くまで全く下には降りていないはずだ。

 それに桂は耳が良いのだ。星波よりもずっと。


「ていうか星波くん、昼に電話してたの誰?」

 桂がなんとなく聞くと「前の店長だよ、来月久しぶりにトウキョウに戻るって話」と返される。

 うちの店の先代店長。桂は数える程しか会った事がない。世捨て人のような中年男だった。歴史の教科書に載っていたジョンレノンに似ている。

 この店は今は名実共に星波の物なのだが、先代店長はたまに気まぐれに連絡を寄越す。何かにつけて我々の面倒を見たがる、よくわからない大人のひとりだった。

 桂がトウキョウにやって来るちょっと前に、店の名前から何から何までまるっと先代から星波が譲り受けたのだった。

「ていうか桂はなんで出掛けたの、今日警報出てるんだからあんまり外を出歩くなよ」

 その星波の質問についイラッとしてしまう。

「洗濯物が溜まってたからコインランドリー行っただけ、コインランドリーにも防犯カメラあるから確認してもらえばいいじゃん」

 未だに自分は子供扱いされている。自治体の20歳の集いには出なかったが、星波はたまに桂がまだ17歳のままだと思っているのではないか。

 最近我が家の洗濯機も寿命が迫っているのかやたら大きな音でがなるので、寝ている星波の神経を逆なでしたくなくて今日はわざわざコインランドリーまで行ったというのに。そしてランドリーで洗濯と乾燥まで済ませて店に戻ったところで配送がやって来たのだった。

「まあこんな日に出歩くなって言われると私達も立つ瀬がないねえ」

 ユカリさんとツネさんはそう笑い合う。 

「早朝の件については界隈の他の住人にも確認してみます」

 山崎は優しい声で桂の言葉を受け止めた。


 先週の無銭飲食未遂の話、うちの店に最後に客として来たのは火曜日だった事を星波が淡々と伝える。最後に飲みに来た時は無銭飲食騒動の事を忘れたかのように静かで、9時過ぎにふらりと1人で来て「寒い、家の暖房が壊れた」という話だけをしてビールを一気に飲んで去って行った。その時は素直に現金を置いて「釣りはいらない、ツケの足しにしろ」と去って行った。それでもツケはまだ残っているのだが。

 ライブハウスをクビになった後、すぐに工事現場での仕事が決まったが1ヶ月か2ヶ月で怪我をして続けられなくなった。過酷な現場で金はそれなりに貰えたらしいが、その後はその場しのぎの日雇いをやっていた。その日暮らしは不安でメンタルがしんどいから本当は出来るなら早くまともな仕事をしたい、と殊勝な事を言っていたのを覚えている。このでかい男が弱音なんて珍しい、と思ったから。しかし不安定な生活は人を弱らせる。それは仕方がない事だ。

「それから昨日、開店前に少しだけ顔出しに来た。せなくんには会わずに俺と少しだけ話して帰ったんだけど、昨日のホシクズはむしろいつもより体調は良さそうだったな」

 桂がそう言うと、星波は「来る時は連絡しろっつってんのにな」と吐き捨てる。

「ちなみに昨日、ホシカワさんと桂さんはどのようなお話をされましたか」

 山崎の質問に、桂は少し躊躇う。本当に大した話はしていないから。

「最近俺に変わった事はないか?って聞いてきたけど、特にありません、て答えました」

 ああ、でもこないだうちの店の横の隙間で猫が死んでた話をしたら凄い嫌そうな顔してた、と言うと、山崎は「ああ、」と頷く。

「桂さんが交番に相談しに来て下さった件ですね。あれは恐らく自然死ですので余り気にされなくても」

「あと、ホシクズのアパートの隣の部屋に空き巣が入ったって言ってました、気になったのはそれくらいかな」

「そう、最近この沿線で空き巣が増えてるんですよ、施錠はきちんとお願いします」

 通り魔だけでなく空き巣の心配までしなくてはならない。億劫だなと思う。


 我々の取り留めないホシクズについての話を一通り聞いた後、山崎は改めて桂の方に体を向き直す。

「すいません、それでは配送ドライバーの、ヤマダさんについてのお話もお伺いしたいのですが」

 桂は秒で気が重い、と感じたが、仕方なく再び山崎をボックス席に通す。話が長くなるかもしれないから、と座らせ、星波に水を頼む。

「でも、彼はこの辺り一帯に配送してたと思いますよ」

 正直自分だけに死人の話を振られるのは億劫だった。しかしここ最近配送の主な対応をしていたのは星波ではなく桂だったのだから仕方ない。しかもうちの店の前で死んでいたのだから話を聞かれる事が当たり前なのはわかっているのだが。


 この一帯の飲み屋街の中でうちの店があるワンブロックは大体最後の配送になる。それは多分16時台から17時台に集中しているはずだ。

 基本的にブロックの一番端にあるうちの店が最後。この地下鉄駅寄りにあるブロックの5軒は基本的に夜間営業のみのため、配送は基本後回しだ。隣のカラオケスナックはランチ営業をする時もあるが、それは確か土日だけのはずで。

 どの店も開店はせいぜい18時から19時頃。しかも酒とつまみの提供がメインでフードの仕込みに時間を掛けない店ばかりなのもある。うちはたまに星波が気分で簡単なフードを作る事もあるが、他は「なんかまともなもんを食いたければ駅の立ち食いそばで済ませて来るか他の店から出前を取れ」というスタンスのはずだ。配達はせいぜい飲み物、つまみ、最低限の備品。簡単な店ばかり。

 JRの駅に近い方のブロックは夜営業でもフードがメイン、若しくはランチ営業をしている飲食店も多く、午前中から昼に掛けてまとめて配送を頼んでいるところが主流のはずだ。店に寄っては業務スーパーではなく他のルートで仕入れをしているところも少なくない。うちの店も出る量の多いビールだけはアルコール専門業者を頼んでいるが、他のドリンクと食品、細かな備品などはまとめて業務スーパーに頼んでいる。午前中に桂が起きて、前夜の閉店後に星波が作ったリスト通りにネットか電話で注文をすれば16時半前後には届けてくれる。ビールはいつもスーパーよりも早く来る。

 多少時間にブレはあるが、スーパーの配送は何か理由があって遅くなったとしても17時代には来てくれる、と山崎に伝える。


 うちの店も毎日営業しているわけではない。

 金土は遅くまで開ける事が多いが、月曜は休むし客足や天気予報、警報次第で早く閉める事もある。基本は19時から深夜1時まで。土日は18時から。

 星波は車の免許があるが桂は持っていない。そもそも車がないので大量の買い物が難しい。故に配送を頼っているだけの話だ。

 その日に必要な物が少なければ配送は頼まず桂が自転車で買い物に行ってしまう日もある。自転車はいつも店の前に停めているが、錆が酷くなり今はメンテナンスに出しているところだ。

 そして配送を頼んだ日にヤマダが必ず来るわけではなく、火曜だけは必ず違うドライバーだ。ヤマダは確か星波と同じ年だと言っていて、もうひとりのドライバーはベテランの50歳前後の男性。その人はいつも明るくハキハキとしていて悪い印象はない。以前は神奈川の方の店舗にいたが、半年程前にこちらに異動してきたと聞く。


「この辺りに配送する時ははす向かいにある廃墟アパートの前に車を止めてました。スーパーの名前が入った白いミニバンです」

 ふと、カウンターでは星波とツネさんとユカリさんが紙を広げてユカリさんのスマホを見ながら騒いでいるのが目に入る。何をしているのだろう。あの紙は多分ポストに入っていた新興宗教の勧誘チラシだ。そして星波が雑に扱っているペンは桂が気に入っている奴だ。止めて欲しい。清掃バイトの同僚がお土産にくれたちょっと良い奴。

「今日のヤマダさんに何かおかしなところはありませんでしたか」

 その質問に桂は首を傾げる。ほんの数時間前の事だ。ありありと思い出せる。

「ほぼ時間通りに来て、伝票にサインして、今日は少し重い荷物だったのでドアの内側まで入れて貰って、それで終わりです」

 いつも手に触れられる事だけはなんとなく言いづらくて黙っていることにした。

 配送が来た時、それ以外で印象に残っているのは外を駅前のキャバクラで働く女の子が通ったことくらいだ。

 彼女はドライバーの肩越しに桂に向かって手を振ってJRの方に歩いて行った。マスクはしていたが、派手な髪の色と背恰好でわかった。やはり彼女もいつも同じような真っ黒いモコモコとしたコートを着ている。

 うちの店から10分程歩いた先にキャバクラの寮がある。あのキャバ嬢はよくこの通りを歩いているし、何度かうちの店に呑みに来た事があるから桂も覚えている。彼女は星波の事を好きなのだが全く相手にされていない。時間帯的に出勤ではなくプライベートの買い物か同伴の待ち合わせだろうと思う。


 そう、服装。ガスマスクで顔がわかりづらくても、なんとなく服装の癖でその人だ、と判断する事は多い。

 特に冬場は皆コートを着ている。

 何着も着まわす人間もいるが、1~2着をひたすら着倒す人間も少なくない。だから特徴ある革ジャンを着た死体を最初はホシクズだと思ったし、外を通りすがったキャバ嬢を「自分が知っている女の子だ」と判断出来た。今店の壁にハンガーで吊るしているツネさんのキャメル色の上着もユカリさんの明るい色のコートもこの冬の間に何度も何度も見ている。それでもガワなんて、いざという時には役に立たない情報なのかもしれない。遊園地にいる着ぐるみの中身なんて誰も顔を知らない。


「ヤマダさんと何か話はしましたか」

「今日も通り魔が出たって教えてくれたのは彼でした。詳しくは聞いてませんけど」

 その桂の答えに山崎は眉を潜める。

「彼と通り魔の話をするのは今日が初めてですか?」

 その問いにはしばし考え込んでしまう。どうだっただろうか。

「………多分、何度か」


 そうだ、彼はいつも桂に通り魔が出た日を教えてくれていた。

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