死体
「………どういうこと?」
ユカリさんはスツールを回転させドアのそばに立つ山崎の方を向く。その声は掠れて今にも消え入りそうだ。山崎はたった今連絡があって、と困った顔で告げる。その眉毛は八の字に下がり、現場の混乱と困惑が伺える。
「ガスマスク、フルフェイスタイプのマスクだったじゃないですか。でもチャックの部分が壊れていてなかなか外せなかったので病院に移送させてからハサミを使って外したそうなんですけど」
そこから出て来た顔は例の身分証とは全く違う顔だったという。
「首から下、ていうか全体的な背格好もかなりあいつに似てるなと思ったんだけど。それならあの死体は誰なの?なんであいつの革ジャン着てたの?あと本物のホシクズはどこにいるの?」
ツネさんは驚きの余り、少し噛みながら矢継ぎ早に山崎に問い掛ける。誰だってそんな話を聞かされたらパニックになる。
今はまだ2月の終わり、春は直ぐそことは言え肌寒い。天気はなかなか安定せず、日々気温も気圧も乱高下している。昼は暖かくとも夜は足元から冷える。
ホシクズは大切にしていた革ジャンを捨てて今どこにいるのか。しかもこんな空気の悪い日に、マスクすらせずに外にいるのならそれは完全に正気ではない。
怖い。何が起きたのかわからない。
「死体の写真なので見たい方だけどうぞ、もし皆さんの知っている人なら教えて下さい」
山崎がスマートフォンを持ってこちらに近付いて来た。ユカリさんとツネさんはスツールを降り、星波と桂もカウンターの外に出る。4人で目配せし合った後、同時に息を吸い込み、同時に山崎の手元のそれを覗き込んだ。
「………配送」
星波と桂の声が重なる。
ツネさんとユカリさんが無言でこちらに視線を向ける。その顔は強張っている。瞬きさえ忘れ、全ての動きを停止してしまったかのように見えた。
「うちによく来る業務スーパーの配送ドライバーの人です」
不機嫌そうな顔のまま口を閉じてしまった星波に代わり桂が答える。指先が震えてしまう。
「業務スーパー、あの駅の南口の方にある店舗ですか」
それに無言で頷くと、山崎は素早くメモを取る。
この辺りは一応トウキョウ23区内の割にはスーパーが意外に少ない。特に界隈の飲食店はあそこの業務スーパーを使う事が多いはずだ。スーパーというよりはホームセンターと言っても差し支えない2階建ての大きな店舗で、食品だけでなくナプキンや割り箸といった備品含めてなんでも安く揃うから。
「………今日の16時半に、配送しに来ました」
桂が小さな声で途切れ途切れに言うと、山崎は桂の方を見て「名前は知っていますか」と聞いてくる。
「確かヤマダさん………だった………はず」
消え入りそうな桂の声を受け、山崎はその場で上司に電話を掛ける。
「………ガスマスクのご遺体は駅南口業務スーパーSの配送ドライバー、名字はヤマダ、と名乗っていたそうです。はい、よろしくお願いします、はい………はい………はい、わかりました確認します」
電話をする山崎を4人は無言でじっと見つめていた。
「それと今日、ホシカワさん本人らしい遺体も別の場所で見付かってます」
短い電話を切った山崎の言葉にいよいよ全員が何も言葉を継げなくなる。喉が詰まる。何かがつかえたように何も言えない。余りにも想定外の話だったから。
「ホシカワさんもヤマダさんも、遺体の傷は最近の通り魔の被害者達と同じ刃物によるものだという事がわかっています」
今日の通り魔の被害者がホシクズだった。
そこで桂も星波もツネさんもユカリさんの顔を見る。その顔は真っ白になっている。
寒さのせいではない、怯えと驚きだ。適当に喋った事が現実になってしまったという怖さだ。
ホシクズが通り魔に殺された可能性を口にしたのはユカリさん、しかし時系列や体格を考えるとその可能性は低い。ついさっき男性陣がそう切り捨てたばかりだというのに。
「配送ドライバー………ヤマダか、ヤマダとホシクズがトラブルを起こして運良くヤマダが勝った。通り魔は恐らくヤマダ。ヤマダは戦利品として革ジャンを奪う、その後何食わぬ顔で仕事をして仕事が終わった後調子に乗ってホシクズの革ジャンを着て歩いていたら他の誰かに刺されてうちの店の前で力尽きた」
星波のその推論は「わかる」としか言いようがない。わかる。そう考えるのがとてもスムーズだ。山崎は「まあ詳しくはこちらで裏を取るので」と襟を正す。
通り魔からすればどのような経緯であれホシクズに勝てたのならそれはとても喜ばしい事だろう。戦利品として倒した獣の皮を剥ぐのはハンターなら当たり前の行動だ。その相手が強ければ強い程価値のある戦利品。革ジャンだけでなくあのマスクも恐らくホシクズの物だろう。
そしてここで気になるのはヤマダはホシクズと間違われて殺されたのか、それともヤマダとして殺されたのかどちらなのか、というところだろう。
「なあ山崎、うちの店の前に防犯カメラあるだろ、あの電柱に先月町内会が付けたやつ。あれには何にも映ってないのかよ」
そう山崎を問い詰める星波の声はかなりキツい。特に今日はいつもより喧嘩腰な気がする。機嫌が悪い。
我々は防犯カメラの存在を度外視して呑気に推理ごっこをしていたのだ。
つい最近出来たばかりのそのシステム、まだ『そこにある』事に慣れていない。多くの通り過ぎる人に取っては「気付いたら設置されていた」程度の認識だろう。
駅から少し歩いたところにある町内会館か、商店街一等地にある町内会長の経営する飲食店、そのどちらかで防犯カメラの映像が確認出来るはずだった。
「昨夜から今朝に掛けての強風で異物が当たって壊れたと町内会長の三浦さんに聞いてます、業者の都合で修理は明日になると」
「安物使うからだよクソが!」
キレた星波はカウンターに戻りグラスに3センチだけ残っていた酒を飲み干す。
「お仕事中でもお酒飲んでいいんですね」
山崎は苦笑いを浮かべる。
あ、そうだ。
桂は数時間前に町内会からのお知らせメールが来ていた事をふと思い出し、カウンターの中で更にグラスに酒を注いでいる星波を押しのけて自分のスマホを掴む。
「町内会からメール来てたの思い出した、てっきりいつもの年度末の募金のお知らせだと思って見てなかったし」
メッセージアプリやSNSの発達で、仕事でもなければEメールを重視する機会はかなり減った、と聞く。昔はEメールがあらゆる連絡の主流だったそうだ。
ほんのり震える指で慌ててメールフォルダをタップすると、そこには「町内会からのお知らせ:A商店街の防犯カメラについて」というメールが一通、未開封のままそこにあった。スマホを横から覗き込んでいた星波が桂の頭を軽く叩く。
「ごめん」
「まあ謝る程のことでもないけどな」
なら何故頭を叩くのだ。酷い男にも程がある。顔が良くなければ許されない愚行だ。
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