推理合戦
「ドアの真横にホシクズは座ってたんだよ、体育座りみたいな、軽く膝を抱えるような感じで」
ツネさんが改めてそう言う。
「例えば俺がミステリ作家だったらこういうトリックにするね」
星波の方を見ながらツネさんはニヤリと笑った。含みのある笑顔だ。
「まあいつもの泥酔かオーバードーズでふらふらのホシクズがこの店の前で倒れ込むとするな。最初は上半身を起こした状態で壁にもたれ掛かってた」
そこで星波がちょっと嫌な顔をする。多分この後ツネさんが何を言うか、なんとなく予測がついたのだろう。桂にもぼんやりとわかってしまう。
「2階の窓から真下のホシクズに向かってナイフを落とす」
ユカリさんが目を見開いて星波の方を見る。
「つまりここの2階で寝起きしている俺か桂が犯人、と」
口元だけで笑った星波が「動機は?」と聞くと「桂くんに危害を加えようとしたから、とかかな。星波はさ、自分のことは兎も角桂くんについては未だにかなり過保護過ぎない?保護者代わりとはずっと言ってるけどもう20歳なのに」とツネさんはスルスルとそう答える。
それを言われると星波も桂も何も言い返せない。
「だけど2階の窓の周りは物が多くて窓はせいぜい10センチ位しか開けられません、天気の良い日に換気するのが精一杯です。しかも2階から狙った場所にちゃんとナイフを落とすなんて無理ですよ。植木鉢とか大きくて重たい凶器ならまだしも」
桂がそう反論すると、ツネさんは「確かに前に泊めて貰った事あるけどあの窓際は魔窟だな」と眉をひそめる。
星波が窓際にベッドを置き更にベッド周りにもやたらと物を置きたがる上整理整頓もめんどくさがる。
ここの2階は男2人で住むには正直やや狭い部屋で、洗濯物だって基本的に部屋干しかコインランドリーの乾燥機を使っているレベルだ。風呂はなくシャワーのみ。たまの息抜きに銭湯に行く事だけが些細な楽しみですらある。駅裏にある銭湯は夜遅くの決められた時間ならタトゥーの入った人間でも入る事が許され、以前まだ正気を保っていた頃のホシクズに連れて行かれてから時折足を運んでいる。
桂が「あの窓は兎に角無理」と念を押すと、ツネさんは「だからあくまで想像のトリックよ」と繰り返す。少し酔いが回っている。
もしナイフ以外の物、それこそ鈍器のような何かで頭を打たれて死んでいたなら星波の犯行である可能性は上がる。しかしナイフで刺す、となればそれはやはり目の前で至近距離でなくては難しい。
「逆に」
にやりと笑った星波がカウンター越しに身を乗り出す。
「それこそツネさんが、寝てたホシクズの胸を刺してから第1発見者のフリをして桂を呼んだ、という可能性もありますね」
この場合ツネさんの演技力が高ければ高い程、桂は容易く騙されてしまうだろう。そもそも今までツネさんを疑うなんて全く考えた事がない。
しかしその星波の推理をツネさんは一笑に付した。
「俺の服とマスク見てよ、血が一滴もついてないでしょ、なんならそこのハンガーにかけてるコートも見なよ?俺、今日のコート明るめのキャメル色よ。綺麗なもんよ、真っ黒な上着なら疑われるのもわかるけど、それでも血の匂いがすればわかるよなあ」
確かに。この寒い中、公衆の面前で上着を着替えるのはちょっとばかり非現実的だ。2階から狙った通りにナイフを落とすのと同じ位非現実的だ。ツネさんは今日手袋をしていたので、手のひらにも血は付かなかったと言う。死体に触れた手袋は警察に証拠として提出したという。
「それなら例えば私がさ、少し早目に着いてやっぱり介抱するフリをして刺して逃げて、物陰からツネさんが第1発見者になるのを見届けてから店に来る、っていうのも可能だね。第1発見者は疑われやすいからね」
ユカリさんはそう言って笑う。しかし今日のユカリさんも白っぽいコートを着ている。ひとつぶの血糊も許されない。やはりあり得ない。
それでも泥酔、またはオーバードーズで眠り込んでいるホシクズならば多分女でも、小柄な男でも、それこそ老人や子供でも傷つける事は不可能ではないだろう。目を覚まして逆上されるリスクにさえ目を瞑ればの話だが。
そしてそれなら桂にだって同じような形で犯行が可能だ。
偶然店の外に出たら寝ていたホシクズを見つけ、声を掛けるフリをしてそっと刺す。
そして何食わぬ顔で、なんなら電話で通報するフリでもしながら店の中に戻ればいい。桂なら多少服が汚れたところで問題ないし、店の前に足跡が残っていた所で誰も疑わない。ここは桂の自宅であり職場なのだから。なんなら開店前の店内でなら着替えることが可能だ。
上にいる星波さえ起きて来る事さえなければ、配送が遅延さえしなければ、他の誰かに見られる危険は低い。
何より今日は警報が出ている。天気の良い日に比べると大分人通りは少ないのだ。
「俺かユカリさんが犯人なら金銭トラブルとかがリアルかねえ、いや、俺ならあいつともっと下らない事で言い合いになるかもしれないけどな。足ぶつかったとかそんなことでも」
「私の会社、すんごいホワイトでパートさんでもかなり時給良いんで有名だからねえ、実際仕事の話したらお金貸してとかホシクズ君以外の人に言われた事あるよ」
ツネさんとユカリさんはそう言ってケラケラ笑いあう。笑い事ではないのかもしれないが、しかし笑い飛ばさないと気力を保てない事もある。そして実際この2人はホシクズとの関係はそれ程悪くはない、はずだ。あくまで桂が見ている範囲の、店の中での話ではあるが。彼らはいつも穏健に酒を飲んでいる。
桂がホシクズを殺すなら理由はなんだろう。やはり星波かこの店を傷付けられたら怒るだろうか。むしろそれ以外で殺す必要は無い気がする。今、自分は星波がいる事でここでの生活が出来ているようなものだから。
じゃあ星波はどうだろうか。
「ただし」
星波はついに自分でもビールを飲み始める。
「最近この店の前の電柱に新しく防犯カメラがついた、先月俺は皆に言いましたよ」
確かに。そう言えばそうだ。
「………ついこないだ聞いたばかりなのに忘れてた、ていうかそもそもあの防犯カメラに全部映ってる、はずだね」
ユカリさんがドアの方に視線を向ける。ツネさんも「そういや先週も通り魔の話をしてたら星波くんが最近やっと町内会が頑張って数増やしたって言ってたな」とその存在を思い出す。
「先週は警報も出てなかったんで店も混んでました、俺のその話を聞いてる人間は多いはずです」
それは星波の言う通りだった。
先週は概ね天気も良く、大気汚染もそれ程酷くなかった。防犯カメラの存在を知っていて凶行に及んだなら、それはカメラの存在を失念していたか、若しくはそんなこと構っていられない程焦っていたかのどちらかだろう。人を殺そうと思った時に落ち着いている人間の方が少ないとは思うが。
ユカリさんが不意に「桂くんはお酒飲まないの」と聞いてくる。
「仕事中ですし、そもそも僕お酒そんな強くないですよ」
いつも飲んでも1〜2杯で打ち止めです、と言うと、星波くんはザルなのにねえ、とユカリさんは笑った。
本当にもう。
桂はちらりと横に立つ星波を見る。彼は顔色ひとつ変えずにグラスに口をつけている。どうせここは彼の店、彼が法なのだから好きにすれば良いのはわかっているのだが。
「正直こういう場所だと喧嘩も多いじゃん、桂くんとか星波くんが警察に電話したりあそこの交番まで人呼びに行ってるの、何回も見てるもんなあ。さっきの交番の人もよくこの辺巡回で歩いてるの見るし」
ツネさんは少し悲しそうにそう言う。
それでもこういう場所で呑むのはなんでなんだろうか。店としてはありがたいことではあるけれど。
「いつだっけ、この店が休みだったから隣の店で呑んでたらさ、血まみれの女の子が駆け込んで来てさ。一緒に飲んでた桂くんが救急車呼んだ事あったじゃん、覚えてる?」
覚えてます、と答える。
去年の11月頃の事だ。そんなに前の事ではないので記憶は鮮明だ。
その日は隣の店主に渡す物があり桂が店に顔を出すとユカリさんがいて、隣の席をぽんぽんと叩いて「おごるから1杯飲んでいきな」と言われたのだった。その場で星波に電話をして「隣でユカリさんと1杯飲んだらすぐ帰る」と伝え、椅子に座った。
丁度近くの大きな神社で酉の市があり、桂が自分の店の分と隣の店の分の熊手を買って帰ったのだった。隣の店はその日運悪く人手が足りないとかで、桂がお使いを頼まれたのだ。ふたつの小さな熊手とビニール袋に入ったふたつのたこ焼きを両手に抱えて祭を後にした。
そういう日の事だから尚更よく覚えている。
時々思い出しては胸が痛む位には。
酉の市に行くようになったのはトウキョウに来てからだ。
地元にいた頃はまるで縁のない祭だった。こんなキラキラした楽しい祭がこの世に存在するのかと驚いた物だった。桂に取って祭とは暗く重苦しく血の匂いのする儀式だったから。
そしてそんな日に血まみれの少女に遭遇し、買ったばかりの白いセーターを駄目にした。
でも泣きながら店に飛び込んできた少女を放っておけなかったのだ。
偶然その時トイレに行こうと立ち上がっただけの桂が咄嗟にその体を支えただけではあるのだが。入口に近い椅子に座っていたが故のタイミングだった。
その日は珍しく天気が良く、店主が「空気清浄機が壊れてるから少し換気するか」とドアを開けかけた時に彼女が飛び込んで来てドアの横にいた桂が思わず受け止めたのだった。
その少女を追い掛けて来たヒモの男は隣の店長にあっさり捕まり、偶然巡回で店の前を通りすがった山崎に突き出された。
あの店長はもう60過ぎだがこの界隈では屈指の武闘派で通っている。味方につけて損はないので星波も桂も仲良くしている。特に桂を子供どころか孫のように扱って来る。他人から優しくされるのはありがたいことだ。
少女は殴られて顔が腫れており鼻血塗れで、逃げて来る途中で足も挫いていたようなので桂が独断で救急車を呼んだ。明らかに鼻の骨が折れていたし、服の下も恐らく怪我をしているだろうと思ったから。なんなら生きているのに死の匂いがした、と言っても大袈裟ではない。桂にはわかる。
あの時、ユカリさんが眉を八の字にしてテーブルの上にあったナプキンをかき集め少女の鼻血を止めようと躍起になっていて、他の客が濡れたハンカチで桂の汚れたセーターに触れた。それに対して機械的にありがとうございますと返事をしたあの場面を特に強く覚えている。全てがスローモーションに見えた。
普段、酒に弱い桂が星波抜きで呑みに行く事を星波は余り好まないが、あの日は隣の店でユカリさんがいるなら構わないとOKを出してくれたのだ。むしろその程度の事ならいちいち許可を取らなくていい、と呆れられたが、出会った頃からの癖でつい気になる事があるとなんでも星波に報告連絡相談をしてしまう。ほうれんそう。子供の時に習った。これは守らないといけない。
星波には桂が完全に把握しきれていない人間関係と信頼関係がある。
誰とどこまで付き合いがあり、誰をどの程度信頼しているのか。それはわかりやすく見える時と見えない時がある。星波の知っている店でユカリさんと呑むのは良い。それは隣の店長とユカリさんを信用しているということだ。
そして桂が知っている限りで言えば、以前はホシクズとの関係も悪くなかったはずだった。そう、昔のホシクズは口が悪く荒いところはあったが、今程悪い人間ではなかった。
カラン。
その時、山崎が再び店のドアを開けた。
「まだなんか用ですか」
推理合戦が丁度煮詰まりそうなタイミングだった。
グラスを置いた星波が牙を剥き出しにすると、山崎は申し訳無さそうに中に入ってくる。
「すいません、皆さんに大事なお話がありまして」
マスクを外すと山崎の顔は丸くて卵のようにつるんとしている。高卒で警官になって1〜2年だと聞く。多分、桂とそれ程年齢は変わらないはずだ。
「話なら早目に済ませて欲しいんですけど」
星波が早口で言うと、山崎は「それが」とやや言い淀む。
「………先程の死体、ホシカワさんではなかったんですよ」
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