素人探偵

「ねえ、探偵ごっこする?」

 結局外のパトカーで指紋どころか足跡まで採られて来たツネさんが店内に戻って来ると、ユカリさんが嬉しそうにその場にいた全員の顔を見回した。

「なんであいつが俺の店の前で死んでたかって話ですか」

 星波が溜息混じりにそう返す。一応話には乗るつもりだろうが、どこかめんどくさそうな顔をちらつかせている。

 その横で桂は「お疲れ様です」と言いながらツネさんのビールを入れ直す。

 どうせ今は長い付き合いのツネさんとユカリさん以外に客はいない。この後誰か新しい客が来るまでは、どれだけ治安の悪い会話をしようと下世話な話をしようと気兼ねする必要は無いのだ。

 ついさっき、ユカリさんより2分早く現れた隣のカラオケバーの店長が700円置いてビールを一気飲みして去って行っただけ。その滞在時間実に3分。隣の店は19時半オープン、金曜の夜に気合いを入れて働くためのガソリンだ。

 ホシクズがウチの前で死んでた、と彼に伝えると「たった今うちにも警官来たよ、ぶっちゃけあいつが死んでも驚かねえだろ誰も。お前らも気を付けろ」と吐き捨てて店を出ていった。


「星波はもう少し愛想良くした方がいい、桂君の笑顔に甘えるな」と隣の店長はいつも言う。

 星波は顔だけは誰よりも良いが性格に少しだけ難があるし、黙って立っていると「怖い」と言われる事も少なくない。桂から見て接客はギリギリのラインで上手くやってはいるとは思うが、慣れた人間相手であればある程愛想を放棄してしまうところは少なからずある。

 星波くんはカッコいいけど顔の治安がちょっとだけ悪いんだよなあ、とユカリさんは言い、でもめちゃめちゃ良い顔をしてるからその内桂くんとセットで写真撮らせてよ、とツネさんは言う。桂はいつもそれを「自分は写真写りめちゃめちゃ悪いんで恥ずかしいんですよね」と笑って断っている。ツネさんの腕が良いのは十分わかっているが、それでも自分が撮られる事に慣れていないのは本当の話だ。


「で、ホシクズの事だけど」

 ツネさんの口角が少しだけ上がる。

 皆、きな臭いゴシップは大好きだ。

「俺とこないだ喧嘩したから当てつけで俺の店の前で自殺したんじゃないですか」

 あの男はこの界隈にある複数の店で酒絡みのトラブルを起こしていて、ここ数ヶ月の間に何軒もの飲み屋を出入り禁止になっていた。

 酒が原因で仕事もクビになったと本人が吹聴して回っていたし、左手首の傷を隠そうともしていなかった。

 星波も最近の彼のことは余り良く思ってはいなかった。だが我が店の中での大きなトラブルはなかったのでなかなか出禁に踏み切れず、ホシクズはホシクズで他に行ける店が無いのでわざわざうちまでやってくるのだった。

 そしてもう出禁を食らいたくないからか、うちの店では少しだけしおらしくしていた。

 酒癖が悪い割に変なところでまともな判断が出来るのがまた厄介な男で、星波は星波で情があるからかうまくなだめすかしながらうちでは悪さをしないようにコントロールしていたところがある。

 しかし星波の前で大人しくビールを2杯だけ飲んだかと思えば店を出た瞬間に偶然外を通りすがった酔っ払いと殴り合いを始めたりする。控え目に言ってクソだった。


「ちなみに本名はホシカワユウジ、年齢は31、住所は地下鉄で2駅先のK駅。駅から歩いて7〜8分のところにあるボロアパート住まいですね。」

 星波がそう流れるように口にすると、ツネさんとユカリさんは目を見開く。客の素性をそこまで把握している事に驚いたようだ。

「この店で知り合って付き合いは長いけど、確かにあだ名位しか知らない奴って案外いるんだよな」

 ツネさんはボソリと呟く。

「先週2人が帰った後、あの野郎無銭飲食しようとしたから無理矢理ねじ伏せて財布奪ってクレジットカードで決済したんです。その時念の為に身分証も写真撮ったので」

 その星波の答えに、ツネさんは「この店クレジットカード決済出来たんだ………」と想定外のところに反応する。

「キャッシュレス決済全部対応してるんでそりゃクレカ決済も出来ますよ、なんでだかうちの店未だに現金で払いたがる客が多いんですけど」

 カウンターの下に置いている小さな金庫を星波が爪先で軽く蹴る。

 キャッシュレス決済は手数料が負担にはなるが、だがしかし店に置く現金が多ければ多い程空き巣や強盗に狙われるリスクが上がる。

 星波はそれを嫌がっているが客の意向ばかりはどうしようも出来ず、この店の先代店主が置いていった旧式の金庫を仕方なく使っている。世の中キャッシュレス決済が主流にはなっているが、現金主義、現金に対する信頼もまだギリギリのラインで保たれているとは思う。

「さっき桂くんが警察の人にスマホ見せてたのってもしかしてその身分証の写真?」

 ユカリさんの問いに桂は「そうですよ」と答えた。

 無銭飲食未遂されても出禁にしなかったのはなんでなの、と聞かれた星波は、ツケが残ってたから、と答えた。そんなのカードを奪った時にツケの分もまとめて決済しちゃえば良かったのに、とユカリさんが笑う。

 まあそれは温情ですよ。星波は思ってもいないことをペラペラ口にする。

 あいつのことだからどうせもう限度額ギリギリだろうと踏んで、その時は最低限しか回収出来なかっただけだ。

「昔はご丁寧に本籍地まで運転免許に書かれたんだっけ、今はチップに全部登録だもんねえ」

 ユカリさんはそういうと不意に桂の方を見る。

「そういえば桂くんは結構なまってるけど出身はどこだっけ?前いっぺん聞いた気がするね、ごめんね」

「関西の方です、て言っても大阪とか京都の有名どこじゃなくてなんもないとこですよ」

 好きな土地ではなかった。

 話さなくて済むなら話したくはない。軽く流すと、ツネさんが「そう言えばホシクズも酔った時とか怒る時には結構方言出てたな、あいつも関西なんだよな」と言う。

「親と喧嘩して東京出て来た、って前に本人が言ってましたね」

 そう星波が補足する。

「実際あいつ、酒癖は元々あんまり良くなかったけど特に仕事辞める前後位からちょっとおかしかったな。なんかあったんかね」

 ツネさんは左手をじっと見つめながらそう言う。その左手で座り込んでいたホシクズの死体の肩を揺すったのだ。それはさぞかし嫌な感触だったことだろう。

「だけどうちの開店時間より前に店の前で派手に刺されたらツネさんより先に気付く人いそうですけどね、今日は警報出てるけど金曜日だし、駅も近いから全く人が通らないってことはないと思うんですよね」

 桂がそう言うと、ツネさんは眉間にしわを寄せた。去年四十路に突入したツネさんは、3年前初めて会った頃に比べると少しシワが増えたな、と思う。彼は眉間にしわを寄せたまま「ビール、お願い」とジョッキを桂に差し出して来た。

「でも一見、図体のでかい酔っ払いが座って寝てるようにしか見えなかったからなあ、関わりたくなきゃじっくり見たりしないでしょ」

 それは確かにその通りなのだが。


 この一帯の飲み屋街は駅に近い。

 JRの駅と地下鉄の駅の間の繁華街の中に広がっているため、警報さえ出ていなければ夕方以降の人通りはそれなりに多い。午後5時から6時当たりの時間帯から徐々に人が増える。しかし警報が出ている日だとしても全く人が通らないなんて事、滅多に無いはずだ。極端に少ないタイミングというのは勿論あるのだろうが。

 一体あの死体はどういう経緯でうちの店の前で倒れていたのか。

「桂、今日配達何時に来た?あのいけ好かない業務スーパーの男」

 目を合わせずに星波がそう問うて来る。

「16時半。ほぼいつも通り。その時少し外に出たけど誰も店の前にはいなかったしドライバーもなんにも言ってなかったよ」

 即答する。今日も通り魔が出た、っていう話はその時配送ドライバーに聞いた、と付け加えて。

 そもそも16時半から19時までの2時間半、幾ら人通りが少なかったとしても店の前に座り込んでいて警官すら気づかない、なんていうことはないだろう。死亡推定時刻はわからないが、多分ホシクズの死体が店の前に現れたのはツネさんが発見する直前だろう。それ程長い時間そこにいたとは思えない。


 最近の荒れたホシクズはかなり厄介者扱いされていた。

 だから道端で座り込んで寝ていたところでわざわざ声を掛ける人間などほとんどいない。見た目も大柄で怖く、知らない人間だって余り関わりたくないだろう。桂なら自分から声を掛けずに警察を呼んで終わらせるだろう。起きていれば話すが、寝ていたら面倒だ。

 ツネさんは以前「俺これでも中学で生徒会長やってたタイプだからなあ」と言っていた通り、困っていそうな人間がいればとりあえず声を掛け、酔っ払いの喧嘩を上手く仲裁するような人間だ。フリーランスだからこそ人と上手くコミュニケーション取れないと結構大変なのよ、とよく口にしている。恐らくうちの店に迷惑が掛かると思ってホシクズに声を掛けたのだろう。

 そんなツネさんのようにホシクズに優しい人はこの街には稀なのだが、流石に警官が気づかないはずはない。

 最近のこの界隈は通り魔事件の影響で巡回の頻度も増えているのだから。だから死体が何時間も前から店の前に座り込んでいたとは思えない。


 次はユカリさんが「ビールおかわりお願い」とジョッキを手渡して来る。

 桂が笑顔でそれを受け取ると、ユカリさんは「桂くんは今日もニコニコしていて偉いねえ」と笑う。ユカリさんはいつも酔うと桂を褒める。とはいえ桂にベタベタ触る事もなく、その声に特に下心は感じないので多分実家の犬を愛でるように考えているのだろう。というか以前酔ったユカリさんに実際に実家の犬の名前で呼ばれた事があるので本当にそう思っているのだろう。

 若い男とベタベタしたいならホストに行けば良いだけの話だ。電車に乗れば新宿までそれ程難なく行けるのだから。桂は、お仕事ですからね、と軽く言いながら彼女の前に新たなジョッキを置く。


「ホシクズのTシャツが血まみれだったってことは胸でも刺されてたんですか、胸だったら自殺って感じはしないですけどね」

 しばし無言でぼんやりとしていた星波がツネさんに視線を向ける。ユカリさんも好奇心だらけの顔でツネさんの横顔を見つめている。

「怖くてちゃんと見たわけじゃないけど体の前に大分血がついてた。でも傷が首だったら周りにもっと血が散ってるよな、だから腹とか胸を刺されたんだと思うけど」

 頸動脈の辺りを指で切るような仕草をしながらツネさんは呟く。

「でも店の前で刺されたとは限らないじゃない、どこかでチンピラと喧嘩になって刺されて逃げ出して店の前で力尽きた、とか」

 ユカリさんの説も最もだ。

 わかる。むしろかなりあり得そうだ。

 桂はチラリと隣の星波の顔を盗み見る。寝不足で腫れた目を隠したいのか、しきりに掛けている伊達メガネに触れている。

「例の通り魔かもしれないけど、でもあのガタイの良いホシクズがそう簡単にやられるとは思えないですよね」

 星波の吐き出した言葉に「確かに」と全員頷く。最近はやつれてはいたが、それでも桂とほとんど身長が変わらず、体の厚みは全く違った。ホシクズの方が明らかに重量があった。

「最近この辺に出てる通り魔が狙ってるのは大体女、でなきゃ弱そうな男。ホシクズは通り魔のターゲットとは思えないな。このメンバーの中で狙われるなら悪いけど1番はユカリさん。桂君は背が低かったらアウトだったろうな。俺と星波くんは後回しだろうな」

 ツネさんが苦虫を噛み潰したような顔でそう声に出す。

 仕事柄新聞社にも出入りすることもあるからか、ツネさんはその手の情報には意外と詳しい。

 桂がおどけて「俺、この身長のおかげで得してるんですかね」と言うと、ツネさんは「そう言えば今どれくらいだっけ?」と聞いてくる。最後に身長を計った時は182センチだった。星波との目線を考えると、そこからはほぼ伸びていないはずだ。

 ちなみにツネさんは174センチ、星波よりも若干背は低いが高校までサッカーをやっていたというだけあり体つきはしっかりしている。特に下半身の筋肉は星波よりも厚く死んだホシクズともそれ程変わらなかった。先ず通り魔には狙われないタイプだ。桂は痩せ過ぎの自覚はある。


「でも通り魔が強めの武器持ってればホシクズでもアウトでしょ」

 ユカリさんは言う。ナイフだけじゃなくてスタンガンとかも持ってればなんとかならない?と。

「例えばさ、通り魔が昼に何処かでホシクズを刺して夕方にこの店の前まで連れて来たとか?」

 そのユカリさんの説が正しければ、むしろなんのためにうちの店まで死体を引きずって来たのか、その方が怖い。

「いや、配送が『通り魔が出た』と言ってたということは、配送がうちの店に来た16時半の時点で既に通り魔の被害者が見付かってるってことです。ならその後に発見されたホシクズは通り魔の被害者じゃない」

 星波がそう言うとユカリさんは「そうか、そうだよねえ………」と目を伏せる。


 この辺りでは便宜上通り魔、と呼ばれているが、正しくは連続殺人犯だ。1日に2度も人を襲うのはリスクが高いし今まではそんなことしていなかった。殺すなら1日1人。

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