故郷
トウキョウに来たばかりの頃、珍しく酔っ払った星波が妹が家出した時の話をした。
彼がその頃の話をしたのはそれっきり。だけれどその話の内容を桂は一字一句覚えている。
生贄の調達は宗教の信者が行うが、巫女の役目ではない。
筆頭も、下働きも、巫女に選ばれてから10年、次の大祭が終わるまで町から出ることを禁じられるから。そして筆頭以外の巫女は必ずしも本家筋から選ばれるというわけではなく、一般信者の中から選ばれる事もある。ただしあの土地に最低でも祖父母の代から、3代以上住んでいる事が条件であった。
筆頭巫女の血筋とは別に、生贄を調達、管理する役割の家がある。確かあの食品工場の社長が大祭の都度調達係を選んでいるはずだ。
調達係の前任者の事はよく知らない。桂の代の調達係は50代の男だったはずなのだが、あの男はどうしたのだろうか。何か理由があってヤマダに変更されたのだろうか。しかしそれを知る術がなくもどかしい。
桂は星波に聞かれれば常夜教の事をなんでも答えた。それで彼が満足するなら良いと思って、なんでも話した。星波は桂の話した事を他言しない、そう約束していたのもある。いざという時まで、2人の秘密にしている。
ホシクズはマジシャンがイベント設営バイトで知り合ったバンドマンで、マジシャンがマンションを引き払う時に引っ越しの手伝いに来ていたのだという。偶然マジシャンとホシクズは同郷で仲が良かった、らしい。
それが星波が19才で、ホシクズは22才の時。星波の妹が居なくなってから約1年と少し経ってからの事だ。
その時点で妹の行方は相変わらずわからないまま、母親は体を壊して入退院を繰り返していて、星波は大学を諦め働きながら父親と暮らしていた。
マンションのエレベーターで居合わせたホシクズが、星波の着ていたバンドTシャツを見て声を掛けてきたのが始まりだったようだ。
マジシャンからどこまで話を聞いていたかは知らないが、ある程度仲良くなってからホシクズが「実は」と星波に耳打ちをしてきた。
「関西の方にちょっと変わったひとつの町を丸ごと飲み込んでる宗教があって、そこが不定期的に人を攫ってるって噂はある。その宗教の総本山みたいな町が失踪した人間達のコミュニティになってるとかいう話もあるけど、半ば子供の語る都市伝説みたいなもんで信憑性はわからない」
コンビニで売ってる都市伝説本とかネット掲示板のまとめサイトみたいな話がひとり歩きしている、と前置きした上で、ホシクズは「その霊能者、案外その町の出身だったりしてな」と軽く言ったそうだ。
これはあくまで酒飲みの妄言、とホシクズは何度も繰り返したようだが、星波はその話を聞き「これから兎に角働いて金を作ろう、まとまった金が出来たら徹底的に妹の行方を探す」と心に決めたのだと言う。ホシクズは星波の妹の話に同情してくれて「今度関西に帰省した時に友達とか身内に少し話を聞いて来るよ」と言ったそうだ。
まだホシクズが酒に溺れる前の、体調を崩す前の話。星波がホシクズを情でなかなか切り捨てなかった理由がそこにある。
店に置いた小さなテレビで夕方のニュースを見ながらふと星波の昔話を思い出す。
ニュースではずっと通り魔事件の犯人が亡くなった事を報じている。
今日は警報も出ていないし通常営業のつもりで準備している。星波は珍しく寝起きが良かった。スーパーの配送はもうひとりの50代の男性がいつもより少し遅れてやって来て、こちらが申し訳ない位に何度も頭を下げて来た。彼は何も悪くないのに。
マンションの管理人は桂がトウキョウに来た頃に別の親戚夫婦に代替わりした。しかし遠縁で星波とは余り関わりがなく、この10年の間に住人も大分入れ替わってしまったそうだ。コミュニティは崩壊した。
星波の両親はもうこの世にいない。
桂がトウキョウに来て直ぐ、彼の父親の一周忌に無理矢理連れて行かれた。
星波が首から下げている指輪が父親の形見だと教えられたのはその時だ。時折気まぐれに墓参りはしているようだが、一周忌以後の法要は恐らくまともにやっていない。しかし墓を畳むつもりは今のところ無いようで毎年霊園に金は払い続けている。桂は「墓なんてただの器だよ、祭壇もだけど俺はそういう物にそれ程深い意味があると思った事なんてない、そこに死んだ魂なんてないよ。物はただの物じゃん」と身も蓋もない事を言ったが、星波は首を横に振るばかり。墓を畳んでしまえば、指輪を捨ててしまえば、写真を捨ててしまえば、家族という幻影が、何もかもがなくなってしまう。その時が怖い。星波はそう言った。
彼は本当に天涯孤独だ。
「あのドライバーが俺を探しに来た常夜教の人間なのはわかる、わかるんだけどなんかしっくり来ない。ツキさんもあそこの人間だったとか信じられない。なんでずっと近くにいて俺になんにもしてこなかったの?逆に怖いんだけど」
桂は掃除機を止めて、テレビに改めて目を向ける。
「そう、ヤマダもツキさんもただの信者の子供。桂はヤマダの事覚えてないって、本当にスーパーの配送としか思ってなかったもんな。ツキさんに対してもそうだろ。つまりあいつらはただの桂の狂信者だったってこと。地元にいた時は揃って食品工場で働いてたってさっき山崎も言ってただろ」
星波はピカピカに磨いたグラスを並べながら喋る。
2人が働いていたのは町で最も大きく最も古いあの工場だろう。
あの食品工場のお陰であの町の経済が潤っていると言っても過言ではない。そして下請けの小さな工場も周辺に乱立しており、そこが訳アリの人間をよく雇っているという話は桂の耳にも入っていた。
しかしあの宗教の偉い連中が、言い方は悪いがたかが一般信者の2世なんかに桂の捜索を任せるとは思わなかった。
桂が逃げ出したことは一般信者には大っぴらにはされていないはずだ。筆頭が大祭の役目を果たさず町を捨てて居なくなるなんて、信者が知ればただただ混乱するだけだ。
神事を全て非公開にしてしまえば筆頭無しでも残った巫女だけでなんとか回すことは出来る。やれない事はないだろう。
しかし大祭だけはやはり筆頭がいなければ話にならない。
そして筆頭を新たに立てることが簡単ではないことをあの宗教のお偉いさんはよく知っている。それだけ現状が切羽詰まっているということなのか。なりふり構わずに桂を探す事にしたのだろう。
実際放たれたツキとヤマダは有能だった、トウキョウであっさり桂を見つけたのだから。
時折思い出す。故郷の奇妙な風景を。
山の麓を切り開いたように広がる町、それを覆う工場群。JRも通ってはいるが、それでも車を使う人間の方が多い、地方都市の一角。
桂は常夜教の総本山たる神社の境内からその町を見下ろすようにいつも眺めていた。
10年前の大祭の直前までは町で暮らしていた。とは言え本家の血筋ではあったので特別扱いではあったのだが。桂はそれが余り好きではなかった。本家の血筋だと、巫女に選ばれようと選ばれなかろうと祭の手伝いは子供の頃からしなくてはならない。それがとても億劫だった。
そして前回、10年前の大祭の1週間前。桂は先代の筆頭巫女から次の筆頭巫女に指名され、その日からは神社の敷地内に軟禁された。
学校も特例で通う必要がなくなり、代わりに家庭教師がつけられた。表向きは登校拒否扱いだ。
桂の元に出入りしていた家庭教師は主に2人。片方の若い男が少し変わっていて、祖父母の代から熱心な信者の息子ではあるが彼自身は常夜教なんて全く信仰していなかった。
大学進学を機に大阪に転居したサカイという男。しばらく大阪で私立小学校の教師を務めた後に予備校の講師に転職したが、交通事故で足を悪くして仕方なく戻って来たのだと言う。彼は信者のフリをしていたが全く以て変わった男で桂にいらないことを、外の世界の事を沢山教えてくれた。宗教は上手く立ち回ればこうして生活の面倒は見てくれるけど奇跡で俺の足を治してくれやしないよ、とよく口にしていた。
ある日彼が桂に勉強を教えた日の帰り道、杖をついていた彼は石段で躓いて数メートル落下して頭を打って死んだ。事故とされたが、桂はその死の真相を今でも疑っている。彼の事で神社の人間と言い争いになり、頭を冷やしたくて外に出たのだった。
そして星波に出会ってしまった。
「君に用事がある、話したいから車に乗って」
あの時の背中にバタフライナイフを突きつけられた瞬間の心臓の止まるような痛み。忘れるなという方が無理だ。
逃げようと思えば逃げられた。でも桂はあの時常夜教を捨てる覚悟を決めた。
星波はテレビを消す。そこに新しい情報もなければ今我々が欲しい情報もない。山崎から直接聞く方が早く且つ確実なのは明らかな話で。
「桂はちょっと妹に似てるんだよ」
星波は1度だけそう口にした事がある。それが顔なのか性格なのかはよくわからない。彼が窓際にずっと飾り続けている写真はもう色褪せていて、それでも星波はそれを片付けようとしない。桂は掃除の時だけ星波に動かして良いか聞くが、基本的にはそれに触らないようにしている。自分が軽率に触って良いものではないから。その褪せた写真を見る限りで言えば星波と妹は似ていない。きれいな顔なのはわかる。そして自分と似ているがどうかもよくわからない。余りに色褪せているから。
「俺の故郷はすぐそこにあるけど俺はもうそこに触れたくない、捨てられはしないけどもう関わりたくないし何も感じない」
今、星波が家族と呼ぶのはこの店の先代店長と桂の事だけだ。
「桂はさ、自分の故郷を今どう思ってる、ていうかどうしたい?」
星波の問いに桂はしばらく考え込んでしまう。掃除機のコンセントを抜き、コードを巻きながら考える。この3年間、出来るだけ考えないようにしていたから急にそう聞かれても、という気持ちもある。でも。
「最悪の場合は燃やすしかないのかな」
それが正解かはわからない。ただ現実感はないまま、自分も故郷を切り離したいと感じる。しかし切り離す事が簡単では無いのもよくわかっている。
血は人を狂わせる。
でも、故郷の風の匂いだけは今でも恋しく好きなのだった。その風に時折血の匂いが混じるのは知っていて、それでも好きなのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます