神棚

 桂はいつも屋根裏で寝る。むしろロフト、というべきか。

 星波のベッドの足元側に設置されたハシゴを登り、天井裏の低い狭い空間に横になって布団に包まる。まだ夜は寒い。ロフトは冷える。

 ヤマダの狙いは桂。なんとなくわかっていた、気がする。

 あの町の出身だというなら目的はひとつ、常夜教に戻って巫女として大祭を行え。それだけのこと。

 ヤマダの被害者は皆、桂のために彼が勝手に捧げた生贄。ここ最近店の周りに落ちていた鳥や小動物の死骸も全部ヤマダの仕業だったのだろうか。なんなら猫の死体も。正直この都会の環境じゃ野生動物がまともに生きられるはずがない、程度にしか思っていなかったのだが。


 いけにえ。


 久しぶりにその4文字の事を考える。


 大祭の日、巫女の代表である桂が最後の生贄の人間を屠らなくてはならない。

 17才のある日、突然それを「したくない」と思ったのだった。


 枕元で充電中のスマホをいじる。明日の天気予報。晴れれば外は眩しいし、しかし悪天候ならば煙たい。喉が詰まる。

 不意にタバコの匂いがして、ハシゴの下を覗き込む。

 星波が今や貴重品の紙巻きタバコを口にしている。普段は電子タバコを口にすることの方が多いが、たまに必要な時だけ紙巻きタバコを口にする。あそこの質屋の年寄りが質屋の隣で小さな売店も営んでいる。いつもそこで彼は紙巻きタバコを買う。年に数回も無いのだが。

 しばらくの沈黙。彼はちらりとこちらを見てから煙を吐くと、ふいに桂の視界から消える。桂は頭を引っ込める。恐らく狭いキッチンに置いている灰皿代わりの小さなバケツにタバコを放り込んだのだろう、ジュッという火の消える音が響く。

「火、ちゃんと消した?」

 上からそう声を掛けると「当たり前だろ」とキツイ口調で返事をしてくる。

 それから冷蔵庫を開ける音。キッチンからグラスを持ち出す音。ビールのプルタブを開ける音。順番に聞こえてくる。

「桂、上がっていい?」

 ハシゴの下から低い声が聞こえ、いいよ、と返事をする。多分星波は片手にグラスを持ち、反対側の手でハシゴを掴んでゆっくり上がって来ている。その軋む音はとても慎重だ。そして上半身だけロフトに姿を見せた星波は、ビールが半分入ったグラスを桂に差し出す。

「今日の御神酒。飲みな」

 このロフトは背の高い男2人が入るには少しキツい。星波はハシゴに足を掛けたまま、上半身だけをこちらに預けている。桂は口の中でモゴモゴと「俺酒弱いんだけどな」と溢すと、星波は「今日は穢れが酷過ぎるから」と静かに言う。

 人間が人間の形を維持するには金と手間が掛かる。特に桂はそうだ。すぐに壊れてしまう。穢れを溜めれば溜める程、桂の形は崩れていく。

 すぐに体調を崩してしまうのだ。酒ごときで浄化されるだなんて思っていないが、それが伝統なのだから仕方がない。そして何故か苦手な酒を一口だけ飲むと体調が良くなるのだった。何故か聴覚が良過ぎる桂は、騒がしい日であればある程体に応えてしまう。

 不思議な体質の家系。しかし神を降ろす巫女としては余りにも強い血筋の家に桂は生まれたのだった。久々に生まれた男の子、皆喜んだという。

 一気にその苦すぎるビールを呑み干して、無言でグラスを星波に尽き返す。いつも美味しくない。

「あとこれ」

 星波は上着のポケットからチョコレートを一粒桂の前に置く。お腹が鳴る。

 今日最後の客が海外出張の土産だと言って置いて行った。

 正直外資系スーパーでも買える有名なメーカーのチョコレートだが、パッケージは日本では見掛けない物だった。多分現地の限定商品だ。これはとてもおいしい。だいすきだ。包装紙を開いて口の中に入れる。甘い。

「鎮痛剤ある?あたまいたいんだけど」

 桂が絞り出すようにそう希望を告げると、星波は「ちょっと待って」と梯子を降りて行った。アルコールと鎮痛剤を一緒に飲んではいけないのはわかっている。でもあの程度の量のビールでどうにかなるとは思えない。

 酒とメンタルでボロボロだったホシクズを嫌いになりきれなかったのは、桂もどこか似たような性質を持っている自覚が微かにあるからだ。

「これ、今日は1錠だけにしときな」

 再び梯子を上って来た星波がペットボトルと鎮痛剤を差し出して来た時、桂は後数秒で眠りに落ちそうになっていた。掠れた声でありがとう、と答え、水と薬に手を伸ばした所までは覚えている。


 タバコは香炉の代わり。ビールは御神酒の代わり。チョコは供物の代わり。ロフトは神棚の代わり。全て神を鎮めるための代用品。


 夜の神の依代。常夜教の筆頭巫女としての役目を賜ったのは桂が10歳の時だっただろうか。

 常夜教。

 関西のある地方を中心に根を広げている新興宗教。それなりのサイズの町を飲み込む程の特異な宗教。

 そこで男なのに巫女として祀りあげられ、新たに選ばれた数人の巫女の筆頭として祭事を行っていた桂を星波が攫いに来たのが4年前。

 ギャンブルに勝ちたいから勝負の神様を自分の手元に置きたくなった、と最初はうそぶいていた。実際はギャンブルなんてほとんどしない癖に。年末の大きなレースの時だけツネさんと隣の店長と連れ立って競馬場に行くだけで、毎回こっぴどく負けている。

 

 星波が桂を攫いに来た時、レンタカーで同行していたのがツネさんとホシクズだった。屈強な男3人で唐突に桂をあの町から奪いに来たのだ。

 今でも覚えている。神社の近くの川沿いの道、車がエンストしたと言いながら道を聞くフリをして近付いて来た星波の顔を。


 あの日の桂は神社の大人と喧嘩になり、頭を冷やすつもりで珍しく禁を破り敷地外を出歩いていた。そしてその胡散臭い男の車に乗ってしまったのだった。

神社のある山の麓、境目のような川を渡れば緩やかに住宅街が広がり、その周りはこの町の主産業である複数の食品工場が覆っている。その町の1番大きな道路を東に走り続けるとトンネルを抜ける。

 そのトンネルの先はもう幼い桂の知らない外界というやつだった。


 前の大祭で生贄にされたのが星波の家出した妹。


 それを教えられたのは車の中で、その時は「ああ、自分はその報復で殺されるんだな、でも前回の筆頭巫女はもうここにはいないのにな」と思った。


 前回の大祭の時、桂は次の筆頭巫女として神社の本殿に正座していた。そこで外の大切な儀式が終わるのを待っていた。そして深夜に儀式を終えて戻って来た先代の筆頭巫女から小刀を受け取り、決まりに則ってそれを綺麗に洗い木箱に仕舞っただけ。

 当時の生贄は15才の家出少女、神社のある山の中、どこかの掘っ立て小屋に監禁されていたそうだが桂は会ったことがない。地域の子どもたちか遊び場にしていた山は余りにも広大だったから。


「俺達は君を殺すつもりは無いよ」

 助手席に座っていた星波はミラー越しに桂にそう言った。その隣、無言で運転していたのはホシクズで、あの頃のホシクズはまだ正気を保っていた。後部座席で桂の隣に座っていたツネさんが「大丈夫だよ」と未開封の缶コーヒーを桂に手渡して来たことを今でもよく覚えている。しばらくその缶コーヒーを開封せず、右手に握りしめたまま外の景色を新鮮な気持ちで眺めていたから。

 車の中で着替えさせられ、レンタカーを駅で返却した後はひたすら無言で星波の後ろをついて行くだけだった。

 体面としてツネさんのカメラ機材を持たされ、列車に乗り、生まれて初めて飛行機に乗った。

 窓際の席に座らされ、改めて隣の席の星波に名前を聞かれた。そういえば名前もろくに確認せずに車に乗せられたことに気付き、呆れながら、イトウケイタです、と答える。星波はしばらく考え込んだ後、こちらを見ずに「ケイって呼ぶ」と言った。そして飛行機が動き始めてから誰かにメールを打っていた。その間、桂はツネさんに借りたタブレットをいじっていた。ツネさんの撮った写真が沢山カメラロールに入っていて、知らない外の景色は桂を興奮させた。

「これ全部おじさんの撮った写真?凄い綺麗だね」

 星波越しにツネさんにそう声を掛けるとツネさんは苦笑いしながら「俺の名前も覚えてよ」と名刺をくれた。通路を挟んだ向こう側の席でホシクズが寝ているのが見えた。赤い革ジャンを着ていた。あの町ではあんな派手な髪で派手な服を着た男は見たことがない。


 そしてトウキョウに着いて3日後、桂に新しい戸籍が用意されることとなった。

「お前は今日から真山桂、真山桂だからな。繰り返して言ってみな」

 どこかのヤクザから戸籍でも買ったのかと思ったら「役所に行って無戸籍の親戚がいるって泣き落としたらあっさり作ってくれることになったんだよ。お前は俺の親父の従姉妹が誰にも言わずに1人でひっそり産んだ子、そう頭に叩き込んで置いて」とシレッと星波は言った。懇意にしている戸籍ブローカーから「正攻法として役所への泣き落としが成功すればまあ今後のリスクは少ないよ、成功さえすればね。俺から適当な戸籍買うよりはまあね」と言われたらしい。そのブローカーは1度だけ会ったことがある。痩せぎすの前歯が1本無い男。

 

「お前の宗教を恨んでる、当たり前だろ」

 バーの閉店後の片付けを桂に手伝わせながら星波は表情ひとつ変えずにそう言った。

「あとはただの興味本位もある、でかい宗教から頭を奪い取ったらどう崩壊するか見てみたいんだよ」


「ていうかさ、あの時よくあそこ歩いてるのが俺ってわかったね」

 なんの気無しに皿を洗いながら呟くと、星波は「わかるよ、桂は目立つから」と曖昧に答える。でも多分、星波にはわかってたんだ。彼は時間を掛けて、徹底的に常夜教の事を調べ上げていた。血筋で選ばれる事が多い筆頭巫女には大体首の後ろの方、目立つ場所にホクロがある。3つに連なった冬の星座のようなホクロ。髪の毛でギリギリ隠せなくはないが、念の為にタトゥーで誤魔化す事にしたのだ。

 そして桂は、最初の頃に、あのタトゥースタジオでの施術中、左手を握ってきた星波に言われた台詞にずっと縛られてここにいる。それが自分の背負った宿命だと思ったから。


「お前が俺だけの神様になるなら生かしてやる、一生俺の人質として生きて欲しい。妹の代わりに」

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