廃墟アパート
スタジオを16時過ぎに出たタイミングでヤマダからの連絡に気付く。今日は17時半に仕事が終わるから今後の事について改めて話が出来ないか、なんならあんたの店に行ってもいいけど、と短いメッセージ。
店は休むからそれなら廃墟アパートで待ち合わせを、と返信する。その後は全くヤマダからのアクションはなく、1度自宅に荷物を置きに戻った。薬も飲みたい。うつらうつらしながらネットニュースでホシクズの死が報じられていることを確認する。記事では身元不明の20代から30代の男性、となっているが、事件発生の場所から察するにこのニュースはホシクズの事で間違いはないだろう。
ホシクズが発見された場所は弁当屋の上の空きテナントだった。遺体はヴァーミリオンの前に移動させたいと言っていたが、結局面倒で諦めたのだろうか。天気が余り良くなかったから予定を変更したのだろうか。まあいい、後で理由を聞けばいい。
廃墟アパートの前にボロボロの軽が停めてある。助手席側のドアに小さなへこみがあり、これはツキが乱雑に扱ったせいだ。でもヤマダは「これくらいどうでもいいよ、どうせトウキョウで乗り捨てるだけの車なんだし」と修理費を受け取らなかった。
トウキョウは広いと言うから桂の捜索に必要だろう、と、宗教のお偉いさんが中古車一台分の金を簡単にくれたのだ。
車はその後の維持費がめんどくせえんだよ、あいつらトウキョウの駐車場料金とか知らねえんだ、こっちは車より電車の方が便利ってこともな、とヤマダは散々文句を言っていた。しかしそれでもこの軽をよく乗り回している。人の金で買った車を我が物顔で乗り回すのは満更でもないのだろう。ヤマダは運転が上手かった。
「一先ず空き店舗に死体隠して置いて、後で車で回収しようと思ってたんだけどさ。不動産屋の内見に先越されちゃって。調子狂うな」
ヤマダはそう言いながら頭を掻く。
この部屋は埃っぽい。不法侵入だから仕方がないのだが、この廃墟アパートでヤマダに会う時は室内でもガスマスクが手放せない。ツキはハーフタイプのものをよく使っている。
「ホシクズが昨日隣の部屋に空き巣が入ったって言ってたんだけど、まさかあんたじゃないよね?部屋間違えたとかさ。あんな安アパート狙う空き巣が普通にいるとは思えないんだけど」
朝から気になっていた事を早速ヤマダにぶつけてみる。
「流石にそれは違う。ただあいつの隣人が安アパート住まいの癖して実は金持ちだったのは知ってる。ホシクズの事はちゃんと調べたからさ。なんか投資家だってよ。パソコンさえあれば住む場所なんてどうでもいいって感じのイカれた若い男だったみたいだけど、そいつはそいつでどっかで恨まれてたんだろ」
窓際に座るヤマダはそう淡々と語りながら、ちらりとカーテンの隙間から外を覗く。元々この部屋にカーテンは無かったのだが、ヤマダが勝手に取り付けた。
あいつたぶんまだねてるな、今なら殺れるかな、と棒読みのように早口で呟く。ツキは返事をしなかった。
あの店に出入り出来ていたヤマダにはいつでも真山星波を殺すチャンスがあったはずだ。それなのに何故何もしないのだ。一度その事をなじった事があったが、ヤマダはニヤニヤ笑いながら「まだ今じゃない」と答えたのだった。
空調の使えない部屋は寒い。もしマスクがないならお互いの白い息がよく見えた事だろう。
ヤマダはホシクズから奪い取った革ジャンを着ていた。ホシクズの財布は中身がろくに入ってなかったしスマホも持ち歩くとGPSで足がつきそうだから少ない現金だけ抜いて用水路に捨てて来た、とヤマダは悪びれもせずに言った。
ヤマダは安い量販店で買ったダウンを何年も着ていて、そろそろ新しい上着が欲しかったんだよ、とうそぶく。ガスマスクもホシクズはやたら良いフルフェイスの物を持っていた。それも折角だから奪い取って来たと言う。
ツキも似たような革ジャンを着ていたが、これは店長から貰った物だ。
店長の父親が持っていたというヴィンテージの革ジャン。メンズだが、それでも背の高いツキにはしっくり来る柔らかい革だった。衣装にいいんじゃない、と店長は笑ってこれをツキに着せてくれた。袖が少々長くギターを弾くには邪魔だったが、気温の低い路上の時には時折着ていた。暖かかった。
ツキは腕時計を見る。18時をとっくに過ぎている。
「そこの防犯カメラ、今朝壊れたらしいんだよ。真山殺して巫女様を連れ帰るには今日が案外良い日かもな」
ついさっき、配送でヴァーミリオンの隣のカラオケスナックの店主に防犯カメラの件を聞いたとヤマダは教えてくれる。それにこれ以上目立つ真似するとそろそろ本気で捕まるかもしれないから、とヤマダはぼんやりと口にする。潮時なのはツキもわかっていたが、それでも本音では捕まるつもりもない癖に。ツキは顔を上げ、改めてヤマダの方を見る。
「前にも聞いたけどさ、あんたはなんで真山の事も巫女様の事も泳がせてるの?連れ戻すチャンスは幾らでもあったのに」
改めてそう問うと、ヤマダはまたニヤニヤと笑う。腹の立つ笑顔だ。この男は笑う事に慣れていない。下手くそな笑顔。虫唾が走る。
「巫女様は今生活の全てをあいつに依存してるだろ、限界まで依存させてから桂様に生贄として真山を殺させたら面白いだろうなって思ってただけだよ」
流石にそれは最悪、と思わず吐き捨ててしまう。ヤマダが真山を邪魔に思っているのは知っているし、ツキも掴みどころの無いあの男がどこか苦手なのは否定しないが。
「巫女様はまともな神経じゃ大祭なんて執り行えない、俺はただ巫女様の力になりたいだけだよ」
わからなくはない。だけれどどこかで良心が咎めてしまう。ヤマダには多分それが一切ない。
押し黙ったツキを嘲笑うように、お前、大祭の細かい内容どこまで知ってる?とヤマダは言葉を重ねて来る。
それはツキもある程度は知っている。
10年前の大祭の時にツキは15歳で、生贄として飼い犬を徴収されたから。雑種の中型犬。
剥製にする野生動物が少ない年は信者の家庭から生贄が集められる。
生贄を剥製にするのは主に巫女達とその周りの人間の仕事で、かなり早い段階から準備が始まっている。
そして大祭の日、最後に神社に捧げられるのは人間だ。
それこそヤマダがこのトウキョウで殺し続けて来たような、死にたがり、身元がはっきりしない人間、無戸籍、家出少女、失踪届が出ているような、「永遠に見つからなくても然程問題が無い」と判断されたような、そんな人間をどこかから連れて来る。永遠に見つからない失踪者。
筆頭巫女がその生贄に小刀で傷をつけ弱らせてから火に焚べる。
最後の生贄を屠る儀式は一般信者には公開されない。見てはいけない神事だ。
神社の境内に櫓を組み、宮司と長老達の見守る中筆頭巫女は生贄を始末する。
これは完全に犯罪なのだが、日本の年間失踪者数は数万人に上る。10年に1度、その中からたったひとり、ひとりだけ本当にこの世からいなくなっても問題はない。むしろ生きる価値の無い人間に死ぬ意味を与えている。悪い事ではない。
あの町は何十年も、恐らく100年以上前から、ずっとそうしてきた。
「でも大祭に必要なのは1人だけでしょ、あんたこっちに来て何人殺したの」
ツキの呆れた声にヤマダは「ホシクズで7人目かな」と快活に答える。躊躇いがない。
「今回の巫女様は久々に優秀な血筋の巫女だろ、人間ひとり位じゃ足りない。捧げる生贄は多ければ多い程意味がある」
やっぱりこいつは狂ってる。馬鹿じゃないの。儀式の中身を一信者の一存で勝手に拡大解釈して良いはずがない。
正直言って、ツキは出来るだけ手荒な真似はしたくなかった。
命に重いも軽いもないと善人は言うけれど、小動物の死体と人間の死体では扱いが違う。
殺した時にどちらの方が罪が重いかと問われれば明らかに人間の方だ。
だからヤマダのやる事には苛立ちがあったし、そもそも名古屋でも彼は1回だけではあるが暴力沙汰を起こしている。右手に酷い傷が残ったままだ。ギリギリ神経には届かず、日常には影響が無い程度には回復しているが今日のような寒い日や低気圧の酷い日には古傷が痛むこともあるという。あの時助けに入らなければ良かった。
トウキョウでは出来るだけ目立たないようにすべきだった。
何かあれば大切な大祭が止まってしまうし、桂様にも迷惑が掛かる。こんな遠い地で、桂様の手を煩わせたくない。自分達だけでなく桂様にも警察は出来るだけ近付かないで欲しいとすら思っている。
最初にツキがやっていた通り、小動物や鳥だけを殺し続けてちょっと桂様の危機感を煽れば良かっただけの話だ。
トウキョウに来て勘が鈍ったのか、桂様はこちらの思惑には気づいていないようだったが。
しかし流石にこれ以上人間を殺せば足が付く。警察の手が足りない、治安が余り良くない地域だからなんとか逃げおおせているだけ。
この男は有能な一面もあるが、どうしても相容れない面があった。多分お互いサイコパス、または狂信者のような物だと思う、しかし圧倒的に持っている美学が違う。ただ「大祭に筆頭巫女を連れ戻す」という目的が同じだから故郷を出てからなんとか共に行動を取れていただけの話。
「お前の10万と今のお互いの有り金があれば帰りの飛行機も新幹線もすぐチケット取れるだろ、俺とお前と巫女様の3人分………いや、なんとか説得して真山も最後の生贄として連れて帰らないと駄目かな。やっぱ4人分だ」
ヤマダはそう言ってチラリと祭壇の方を見る。革の財布に突っ込んだままの10万円。遁走した店長が気まぐれにツキに押し付けて来たあぶく銭。
「明日の朝までにチケット取ってさあ『巫女様を見つけたので生贄と一緒に連れて帰ります』ってあっちに連絡すればいいだろ、俺の車にとりあえず押し込んで羽田に着くまでに説得すりゃいいんだよ」
ヤマダはいとも簡単に言う。
しかし桂様は自分と真山に危害が及ぶとわかった時、素直にこちらに従うだろうか。それとも抵抗するだろうか。真山は案外ポーカーフェイスですんなり着いて来るかもしれない。でもどこかで、あの町に着く前に返り討ちに合うような気もする。若くしてあの店を長く切り盛りしている。何度かあの店で話をしたことがあるが、決してバカではない。何より厳重な、閉鎖的なあの町からあっさり桂様を恐らく口八丁で攫って行ったのだから。
ツキは窓に近付き、数センチだけカーテンを開ける。
春が近づいて来ているとはいえまだ2月だ。
18時を半分過ぎればもう夜がそこにいる。街灯が灯り始め、飲食店の看板が存在感を放ち出す。
強い光だ。炎のように。
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