ツキとヤマダ

 一昨年の秋の初め、むしろ夏の終わり頃だっただろうか。

 ツキがヤマダと共にあの宗教の刺客として外に放たれてからトウキョウに辿り着くまでにそう時間は掛からなかった。

 最初はしばらく名古屋にいたが、ヤマダが「トウキョウを先に探す方が自然」と言い出したのだ。

 出来るだけあの町から遠く、出来るだけ人に埋もれられる場所。それならトウキョウではないか、と。ぶっちゃけ名古屋なんかよりトウキョウの方が遥かに人が多いんだろ、とヤマダは鼻で笑った。大阪なら関西弁でも浮かないけれど近すぎるし大阪はうちの宗教の関係者も結構多いだろ、隠れるのには向かない、と彼の言う事は確かに一理あると思い同意した。

 そもそも小学生の頃から神社に軟禁状態だったあの巫女様がそんな簡単に車の免許を取っているとは思えない。免許取るのは金が掛かるし、それなら車無しでも生活出来る都市部だよな、と。逃げ隠れにはトウキョウがいちばんべんり。ヤマダはそう言い切った。

 そしてトウキョウに拠点を移したのが去年の2月だか3月の頃。

 あの宗教の上層部である長老達や桂の家族は何故今まで本気を出して彼を捜索してこなかったのだろう。定期連絡の時に聞いてみた事がある。

 最初の1年程はあんな箱入り息子、外で生きられるはずがなくすぐに帰って来るだろうと高を括っていたし、もしもの場合は新しい巫女を立てれば良いと思っていたらしい。しかし全く行方は掴めず、新しい巫女候補を選ぶにも長老達の意見はまとまらずに準備は滞り、いよいよ焦り始めたというのが真相のようだった。

 それはそうだ、桂様の代わりなどそう簡単に見つかるはずがない。彼は血統だけでも特別だ。久々の本家からの筆頭巫女だと聞いているしあの美しい見た目。なかなかいるものではない。前回と前々回は分家からの選出だったと聞く。

 しかし彼は外に出てすぐに新しい戸籍を与えられてしまった可能性があり、捜索は容易ではなかったようだ。

 ヤマダによると、どうやら雇った探偵が2人続けて外れ続きだったというコントのような展開もあったらしいがそれは余り大っぴらにはされていない。

 あそこの宗教の中心にいる本家、宮司、長老達。いわゆる幹部連中こそ意外と世間知らずの馬鹿なのかもしれない。

 あまりにも外を知らない。

 ツキは羽田空港に降り立った時、外はなんて広いのだろうと思ったから。


 ツキはあの町に住む無数のいち信者の子供に過ぎなかった。

 桂とは年齢も少し離れていて、彼に顔は覚えられて居なかった。

 中学の時に剣道の大会で優勝した、その身体能力の高さを買われて桂を探す役目に選ばれた。ツキを選んだのはヤマダだった。それまでは同僚のひとりとしか思っていなかったので驚いたのだが、ヤマダは「剣道やってたから体力がありそうだし、工場の女の中では1番垢抜けてる。都会を連れ歩くのに1番無理が無さそうだからね」と馬鹿正直に教えてくれた。

 ヤマダは「俺は立候補だよ」と言っていた。

 元々あの宗教には生贄を調達する役割の家が存在する。

 それがヤマダの親戚らしいということはぼんやりと知っていたが、最初はその調達係の男に桂様の捜索をさせるつもりでいたらしい。しかしその男が突然心筋梗塞で倒れ、ヤマダが代役となることを希望したそうだ。

「俺は車の運転も得意だし、執念深いからね。人探しには向いてる」

 ヤマダは飄々とそう言った。

「巫女様の事も、巫女様に相応しい生贄も、絶対俺がまとめて連れて帰るよ。ツキさん、協力よろしくね」

 そう言いながら手を差し出して来たヤマダを少し怖いなと思いながらも、ツキは握手で返事をした。


 トウキョウに来る前、ツキは動きやすいように腰まで伸びていた髪を肩まで切り落とした。

 高校では軽音部にいた。だから任務抜きにしても、都会のライブハウスには憧れがずっとあったし、路上ミュージシャンに擬態することなどツキには容易い事だった。小さなライブハウスのある場所は大概若者の多い繁華街、桂様のような若い男を探すには悪くない擬態だと考えた。そしてギターケースを背負って出歩く女をトウキョウは奇異な目で見ない。なんて良い街なんだろう。田舎とは大違いだ。

 トウキョウに来てからヤマダとは一旦別行動を取った。空港でツキはバスに乗り、ヤマダは電車を選んだ。


 3年前、巫女様である彼が突然失踪した時。町の周辺をうろついていた3人組の余所者にそそのかされたのかもしれない、とツキは神社の人間から聞かされた。

 ホストのような若い優男とガタイの大きなバンドマン風の男、そしてその2人に比べて少し年かさの行った自称カメラマンの男が車で近隣のホテルを転々としながら町のことを嗅ぎ回っていたらしいと。取材と称して。

 そんな連中なら若い人間の多い繁華街に先ず照準を絞って探すべきだ、とヤマダと飛行機の中で話し合い、手分けしてあらゆる地域のウィークリーマンションを転々としながら情報を集めた。

 トウキョウに来てから1~2ヶ月したある日、ヤマダが「似た人を見掛けた、様子見だけど」と連絡して来た。総武線の某駅で違法な白タクまがいの仕事をしていたヤマダが、彼に似た青年の働く店の前から人を乗せたと言う。数日その界隈を車で張り、例のホストのような男がその店の店長で、バンドマン風の男、自称カメラマンの男がその店に出入りしている事まで突き止めていた。確証はないけれど聞いた話にまあ当てはまるな、とヤマダは言った。

「俺、その近くのスーパーで配送の仕事に潜り込んだからさ、ツキさんも出来るだけ早く合流してよ。例のバンドマン風の男、すぐそばのライブハウスで働いてるらしいしツキさんなら近付けるでしょ」

 ヤマダは鋭い目でツキを真正面から見据えた。ヤマダはそれなりに背の高い男だったが、ツキもハイヒールを履くとそれ程目線が変わらない。安いチェーン系カフェで待ち合わせた時、ヤマダは上着だけではあったが既に配送ドライバーの制服を着ていた。ツキはそこから数日もせずに駅の周辺で路上ライブを始め、ライブハウスにデモを送り、そのライブハウスに出入りするようになった。


 夏の大祭の前に、筆頭巫女のために複数の生贄を捧げる必要があった。

 田舎育ちのツキは平気で石を投げて鳩や雀を殺せた。鳥の死体を時折店の前に置いた。あの町では山で野垂れ死んだ動物の死骸を剥製にし、それを神社への生贄として捧げていた。大祭の日に提灯代わりにずらりと吊るされる。だからとりあえず狙いやすく疑われにくい小動物を狙った。そんなツキを見てヤマダは「あんた結構なサイコパスだね」と笑ったが、ヤマダもツキと同類の人間だ。桂に心酔し、そのためならなんでもする。

「でも鳥とか犬猫の死骸3つ4つじゃ全然間に合わないでしょ」

 ヤマダは平気で人を殺した。

 キャバクラの女や家出娘の風俗嬢、戸籍を売り飛ばそうとしていた住所不定無職の若い男、刑務所から出所したばかりの土木作業員、ホームレス、そしてメンタルと酒で身を持ち崩したホシクズ。

 死んでも同情されにくい、見つかりにくい、身内がすぐに気付かない、身元の不安定な人間ばかり選んで殺し何故かうまいこと痕跡を残さなかった。それでもこの人数、そろそろ潮時な気もするのだが。

 ヤマダは殺した相手から少しずつ戦利品を奪い、それを廃墟アパートの1室に隠した。桂の働く店のほぼ目の前。以前常夜教の2世信者だった若い男が住んでいた部屋だ。

 その男の名前はカトウと言った。

 シングルマザーの母親の出稼ぎについていく形で随分前に高校入学のタイミングで三重からトウキョウに越して来ていた。だが3年前にその母親が亡くなったのだそうだ。しかし母に比べるとそれ程熱心な信者というわけでもなく、金は勿論近しい身内もいないために三重に戻る事は無く、トウキョウでその日暮らしをしていた男。ボロアパートを強制退去となり、日雇いの仕事とネットカフェを往復する生活の中でヤマダと偶然知り合い、我々の協力者となった。

「カトウのお陰で戸籍ブローカーに近付けたんだよ、こいつ、ほんとにヤバくて戸籍売る一歩手前まで来てた」

 ヤマダはそう言いながらカトウの死体を見下ろす。

「なあツキさん、カトウの住んでた廃墟アパートが手付かずで残ってるのは俺達に取って凄く運が良い事だと思わない?」

 お陰で巫女様の監視も出来る。カトウは段々金にうるさくなってきたから生贄にしちゃったけどね、とヤマダは口元だけで笑った。

 カトウの財布は限りなく空っぽだったが高校の頃に下北沢のアクセサリー屋で万引きしたとかいう革製のちょっと良い物で、ヤマダはそれを戦利品として彼の部屋に残されていた埃っぽい祭壇に捧げた。ツキはその中に10万円を隠した。ヤマダは念の為、その部屋にだけ簡易的な鍵をつけた。他の不法侵入者に簡単に壊されてしまうかもしれないが、ないよりはずっとマシだから。

 カトウの死体はビルの狭間に落ちていた。

 昨夜、ヤマダが自殺に見せ掛けて落としたのだった。直接体に触れてはいない。言葉で追い詰めて追い詰めて、そしてカトウは自殺したのだ。

 ツキが偶然通りすがった第一発見者のフリをして通報した。

 あっさり事件性無しの自殺と判断され昨日火葬はされたそうだが、その骨はこのままトウキョウで無縁仏になるのかどこかにいる身内かあの町に送り返されるのかはまだわからない。ツキもヤマダも引き取る気はゼロで、常夜教の人間に通報するつもりもなかった。

 言えば身内の少ないカトウの骨も引取り埋葬はしてくれるだろう。しかし今この状況で骨を引き取り手続きをしなくてはならないのはツキかヤマダだ。正直煩わしい。真っ当な信者のためになら心を尽くすが、今はそうじゃない人間にまで手を掛ける余裕はない。


 しかしカトウはここに住んでいて何故桂様に気が付かなかったのか。

 あちらは夜の仕事、カトウは昼の仕事。生活サイクルが真逆過ぎて擦れ違っていたのか、まさかこんな場所に巫女様がいるとは思いもしなかったのか。カトウは酒が飲めず、友達もほとんどいなかったとヤマダは言うし、やはり信仰の薄さも理由としてありそうだ。所詮カトウに取って祭壇は母の遺品、捨てるのも面倒だったのだろうか。

「巫女様が真山に攫われたのが3年前、熱心な信者だったカトウの母親が死んだのも3年前。信仰が薄くてあの町を10年離れていたカトウが巫女様の顔を知らないのも仕方ないんじゃないの、丁度代替わりの頃じゃん。せいぜい先代巫女の事しか知らないだろ多分」

 ヤマダはそう推理したが、本当にそうなのだろうか。

 カトウは桂様に気付いているのに通報しなかった。

 そんな気がしてしまう。

 長くあの土地を離れ、生きるのに必死で、宗教は自分を救わないと思ってしまった可哀想な男。

 カトウが何を考えていたのか、今知りたいと思う。もう死んでしまったので手遅れなのだが。


「あとひとり位人間の生贄が欲しいな、それはあの店の前に置きたい。出来るだけ見せしめになるような相手だと楽しいんだけど」

 ヤマダはあのバーの店主、真山星波の事を毛嫌いしていた。桂をあの町から奪い去った張本人があの優男だとヤマダは踏んでいる。

「でも真山は殺り辛い、隙がありそうでないんだよな。あの店ボロの癖にセキュリティサービスと契約してるし最近店の前に防犯カメラもついた。警官のご機嫌伺いしててやたら仲が良いのも気に食わない。今殺りやすいのはバンドマンの方かな。体はでかいけど仕事辞めて酒でかなり弱ってるみたいだから」


 真山は強い。高校の頃にやはりツキと同じ剣道部だったと聞いている。店には防犯対策にこれ見よがしに金属バットが置かれている。

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