ひどい方

ひどい方。私を抱いたその手で私を殺すなんて。あんなに優しく触れてくださった手で、今度は冷たい鉄の塊を握るのね。また明日だなんて珍しいことを言われて浮かれる私を嗤っていたの?たとえ貴方に私への愛が一欠片もなくたって、貴方がときおり私を抱いて、私と共に夜を過ごしてくださるだけでよかったのに。我儘を言ったのだって一度きり。最初に出会った時だけよ。連絡だって必要以上にしたことはないわ。もし貴方が私に飽きたというのなら、二度と会わないと、近づかないと誓うわ。貴方が気紛れに私を選んで、ほんの一時でも私を夜の供に選んでくださっただけで十分だったの。だから、どうか貴方との想い出を抱いて生きさせて欲しかった。眠るたび貴方の夢を見て、幸福な記憶を抱いて、誰にも邪魔されず死にたかった。柔らかなベッドの上で眠るように息絶えたかった。だというのに、貴方が一等優しく触れた手を貴方が傷つける。貴方が何度も口付けた背を躊躇なく撃つ。ひどい方。熱くて、痛くて、頭の中で疑問符ばかりが渦巻いているの。私の何がダメだったというの?優しい貴方だけを覚えて生きていきたかったというのに、それすら許してくださらないの?貴方からの連絡がなくなったら、何も聞かず、何もせず、何もなかったことにする。それが約束だったでしょう?私それを守ってきたわ。愚か?そんなことはなから分かっていたわ。今更貴方に言われるまでもないことよ。可哀想に、だなんて。貴方がそれを言うの?私を撃ったのは貴方でしょう。まともに動かない手を踏みつけているのも、貴方。気に入っていたのに、だなんて。そんなこと今まで一度だって言わなかったのに。私がどれだけ貴方に愛を捧げても、貴方からは何も与えてくれなかったのに。私に好きの一言もくださらなかったのに。こうして死を間近に震える姿を見て初めて貴方は愛を囁くのね。そんな言葉一つで、覆い被さる貴方の体だけで、私は歓喜してしまう。ああ、ああ、なんて幸せなこと。耳元に寄せられた貴方の口が愛しているよ、と夢にまで見た言葉を形作るから、全部、ぜんぶ許してしまう。ひどい方。本当にひどい。私の手を踏みつけた足に愛なんてあるはずもないのに、それでも私はその一言で幸せだと思ってしまう。それを分かって貴方はそう囁くのね。たとえ嘘でも、その言葉があれば私はなんにも言えなくなってしまうと分かって。きっと私、貴方になにをされたってこうして許してしまう。ひどい、ひどいと恨み言を吐いても貴方が愛を嘯くだけで全てどうでも良くなってしまう。貴方が私の生活から消えてもずっと生きていく筈だったけれど、もういいの。貴方との幸福な逢瀬を何度も何度も思い出す筈だったけれど、でも、きっと今この時が一番死ぬに相応しいの。だって、こんなに幸福なのだから。

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