主役ではない人々
三鹿ショート
主役ではない人々
出先から戻ってきた私の姿を目にすると、後輩は心配そうな表情を浮かべた。
傷だらけの顔面を指差す後輩に対して、私は首を横に振る。
「きみは知らなかったのか。私の担当では、これほどの怪我をすることは珍しいことではないのだ」
鍛えているわけではないが、私は恵まれた体格のために、身体を張る仕事が多かったのである。
他の人間に目を向けたところ、揃って首肯を返したことから、私の言葉が事実であると理解したのだろう、後輩はそのまま己の席へと戻っていった。
***
我々の仕事は、他者が決められた未来へと進むことができるように、助力するというものだった。
例えば、未来で結婚する男女が存在していたとする。
その二人は、それまで通りの人生を過ごしていれば出会うことはなかったのだが、女性が何者かに襲われていたところに男性が助けに入ることで、二人は出会い、親しくなるのである。
そのために、我々は女性を襲う役割を演ずるのだ。
仕事とはいえ、快楽を得ることができるような行為に及ぶことができるということについて喜んでいるのかと問われれば、そのようなことはない。
命令されているために、仕方なく実行しているだけなのである。
我々はそのようにして、これまで多くの人間の人生を導いてきた。
だが、我々の雇い主が、何故人々の未来を知っているのかということについては、不明である。
そして、知っているのならば、雇い主が己で行動すれば良いのではないかと告げたこともあったが、一人だけでは時間が足りないという理由で、我々を雇うことにしたということだった。
疑問が尽きることはないものの、報酬を考えれば、それらに目を閉じたとしても、それほど大きな問題ではなかった。
しかし、他者を傷つける行為に慣れることはなく、仕事が終わった後の私は、罪悪感で潰されそうになっていた。
それでも仕事を続けているのは、報酬のこともあるが、結婚し、幸福と化した人々の笑顔を見ることができるからだった。
別の形で、人々を笑顔にするような仕事をするべきなのだろうが、学がない私にとっては、これ以外の仕事にありつくことは不可能に近かった。
ゆえに、私は毎日のように謝罪の言葉を吐きながら、夢の世界へと旅立っていたのである。
***
新たなる命令の内容を聞いて、私は実行するべきかどうかを悩んでしまった。
この仕事を開始した頃と同じような感覚であり、仕事とはいえ、相手を傷つけることに対して、抵抗を覚えていたからだ。
傷つける相手が、恋心を抱いている女性ならば、なおのことである。
雇い主にそのことを伝えると、呆れたように息を吐いた。
「何故、私がきみたちを雇うことにしたのか、考えたことはあるかい」
その言葉を聞いて、そのようなことを考えたことがないことに気が付いた。
私が首を横に振ると、雇い主は無表情で頬杖をつきながら、
「私に雇われることがなかった未来のきみたちは、碌でもない最期を迎えることになるからだ。簡単な仕事もこなすことができず、生活に困れば他者の金品を奪ったり、路上で悪臭を放ちながら過ごした後に、栄養失調でこの世を去るなど、私が仕事を与えなければ、きみたちという人間は、生きているだけで迷惑な存在と化すのだ。だからこそ、私はきみたちを有効に使うべく、このような仕事を与えているというわけなのだ」
言われてみれば、確かに私を含めた従業員たちは、それほど出来が良いわけではない人間たちばかりだった。
私は未来を知っているわけではないが、雇い主が言うような未来が訪れたとしても、不思議ではない。
だからといって、彼女を傷つけることに対する抵抗感が消えることはなかった。
ゆえに、私は仕事に行く振りをして、そのまま別の土地へと逃げることにした。
幸いにも、これまでに得た金銭を考えれば、しばらくは働かなくとも問題は無い。
裏切ったことに対して、雇い主には申し訳なさを覚えているが、彼女を傷つけるわけにはいかなかったのだ。
***
「良かったのですか、逃げ出した彼を放置しておいて」
「彼が実行しなかったとしても、従業員は他にも存在している。別の人間を使うだけのことだ。そのことに気が付いていないあたり、やはり彼は、阿呆な人間だ」
「ですが、あなたが多くの人間の未来を知っているということを言い触らされてしまっては、困るのではないでしょうか」
「きみも、愚かだな。そのようなことを知っているわけがないだろう。これまでに我々が結婚させてきた人間たちは、良家ばかりである。二人を結婚させてほしいと、双方の家から依頼されていただけのことだ」
主役ではない人々 三鹿ショート @mijikashort
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