2-9 ルビーの母親
レベッカはあのアッシェの巨大な拳が迫る中、賭けに出ることにした。
死者の国と生者の世界の間にある空間、死者との交渉に使うあの場所に、魂だけでなく肉体を転移させたのだ。
レベッカの自論では、魂のあるところに肉体が付随するという考えがあった。
だからこそ、死霊術を使う際には魂の入る肉体がいらない。
魂の移動ができれば、そこに肉体が付いてくるはずだと。
目論見は成功して、こちらの世界から魂、肉体共々消えることに成功した。
しかし、肉体を完全に付属させることは難しく、帰って来る際に肉体の一部が解けてしまった。
全力の治癒魔法で、一気に身体を回復させ、元の状態に戻る。
乗っていた黒龍は木っ端微塵になってしまったが、レベッカの合図と共に、一気に肉体が再生する。
数をこなせば、慣れる気もするが、その前に肉体が完全消滅することもありえそうだ。そうなれば、自分はどうなるのか。
でも、怖いなんて感情は微塵も感じない。
ルビーを幸せにするために。ヴァンの覚悟を支えるために。
レベッカは戦うのだ。
「フハハハハ、やるな! 楽しくなってきたぞ」
「ありがとうございます」
レベッカより上空から声が聞こえる。
それもそのはずだ。
今の、アッシェは巨大化している。
天を穿つほどのサイズとなったアッシェに、レベッカは殴られたのだ。その巨体になってもスピードが落ちていない……いや、寧ろサイズに比例して早くなっている。
だから『巨撃のアッシェ』か。
世の中には魔法や魔術とは違った、特殊な力を持った人間がいる。アッシェの巨大化もその類の力なのだろう。
「さあ、どんどん行くぞ!」
特殊な力を使い始めたアッシェと、一時的に世界ごと転移できるようになったレベッカの戦いは続いていくのだった。
◆ ◆ ◆
一方のリアムはヴァンから興味深い話を聞いて、ルビーの住んでいたアパートの一室に訪れていた。その部屋のベルを鳴らす。
部屋から出てきたのは話に聞いていたより更に老いを感じるような、しわやシミの多い顔で、眼つきも険しい女性だった。飾り気のない格好で、『巨撃のアッシェ』の家の人間っぽいなとリアムは思った。
この女性がルビーの母親、コルヌ・ノール。
「突然の訪問、お許しください。オレはリアム・ランプリールと申します。ルビーの友だちです」
「ルビーの友だち? あの出来損ないに、友だちなんていたのね。それでどんなご用かしら?」
自分の娘を平然と『出来損ない』と呼ぶ母親。
こんな家に住んでいなければルビーは、普通の幸せを掴めていたのだろうか。
だけど、生まれは変われないし、その身に起きたことも変えられない。
ちょっと感情的になりそうだったのを抑えながらも、ヴァンの話が本当なのかを、確かめるために感情を装う。
そのためには、冷静に、少しずつ、この人の本心を引き出す必要がある。
「ちょっとコルヌさんに聞きたいことがありまして。一旦部屋に入れてもらってもいいでしょうか?」
この話を他の妻たちや兄弟姉妹たちに聞かれるわけにはいかなったからだ。
てっきり嫌だと言われると思っていたのだが―—。
「あの子の友だちだと言うなら、いいわ」
何故か許可された。
言動が矛盾している。
あの出来損ない、と言っておきながら、その友人は部屋へと招き入れる。
とても合理的ではない。
友人の親としての体裁を気にしているのか? とも思ったが、この街一番の権力者の妻がそこら辺のガキにしか見えないリアムに気を遣う理由もない。
「ありがとうございます」
導かれるがままにコルヌの部屋に入ると、殺風景さが気になった。
眼に入るところには、何も特徴的なものが置かれていない。自分の生活そのものに興味がない、といった印象を受ける。
木材の色そのままの椅子に座ると、コルヌは茶を出してくれた。
ありがたく一口いただくと、渋みもなくておいしかった。
「それで、どんなお話があるのかしら?」
「いくつかお聞きしたいことがあるんです……コルヌさんにとって、ルビーはどんな存在ですか?」
「出来損ないの末娘よ。家族の期待に応えらないダメな子」
さきほど回答は変わらない。人へと感謝を示す際に「ありがとう」と言うレベルの、身体に染み付いた言動のように感じた。毎回言っているのか、嫌悪感すら言葉から感じることは無かった。
「では、ルビー以外の兄姉たちはどんな存在ですか?」
「良い子たちよ。あんな優秀な子どもたちを持てて、私は幸せよ」
「そうですか。確かにご兄弟は優秀ですよね」
「ええ」
にこやかな笑顔で答えてくれた。こちらも身体に染み付いた言動だ。でも、その言葉を言うのに疲れているよう気もした。
リアムは、違和感を感じなかった。
完璧だと感じてしまった。話に聞いた【力を信奉する】家の妻としてのイメージ図に重なった。
だが、コルヌには不思議な点がある。
今一、感情が見えないのだ。
家の常識というマニュアルに沿って、その場に沿った発言をしているだけで、彼女自身はどこにもいない。そんな風に見える。
リアムは見た目は子どもだが、少しポンコツな面があるレベッカのために、その眼を鍛えてきた。
レベッカの便利な力を頼ろうとする奴は大勢いる。
そんな奴らが薄汚い感情を消してレベッカに近づいてくる。偽の感情で泣いたり笑ったり、レベッカの気を引こうとしてくる。
そういう奴らは人を騙すプロが多いので、リアムでも完璧に感情をなりすました人物だと断言し切るのは難しいのだが、コルヌみたいに余りにも完璧だと少し疑ってしまう。
次の質問だ。
「どうしてヴァンにルビーのことを教えるんですか? それもわざわざヴァンの家がやっている花屋まで行って」
「それは……、ヴァン君がルビーと仲良くしてくれるからよ」
「それだけですか?」
「どういう意味かしら?」
仮にコルヌの意思が言葉通りだったとしよう。出来損ないの娘とは言え、仲良くしてくれている少年やその家族に感謝するのは、常識的な母親としては当然なのかも。
ただヴァンの話では、ルビーがいつ戦場に送られて、いつ帰ってくるかまでを教えてくれるそうだ。
それはつまり。
「ルビーとヴァンの仲を保とうしているんじゃないですか?」
そうとしか思えなかった。
出来損ないと称す娘のためにそこまでするだろうか。まあ、もう一つの可能性として、ルビーの世話をヴァンに押し付けたかったという考え方もできるけど。
「私は――」
「あっ、そうそう。今、この街に『巨撃のアッシェ』はいないそうですよ」
わざわざ、大きな声で彼女の声を消すように言った。
「本心を言えと、そう言いたのね」
こくんとリアムは頷いた。
「……正直を言えば分からないのよ」
もう疲れ切ってしまっているような、全てを諦めたしまっているような、それだけ多くの感情を抱えてきた女性がそこにはいた。仮面を脱いだ抜き身のコルヌの生き方が表れているように見えた。
「分からない?」
「私はこの家を嫌いよ。暴力的で、力で全てを解決するようなこの家が。でも、その考えに呑まれているのも分かっている。ルビーが弱いことを、疎ましく思う自分がいるのもそう」
窓の外を見つめながらコルヌは語る。
「でも、こんな家で優しく育ってくれて嬉しい面もある。外目を気にして、ルビーを遠ざけるしかできない自分が出来ることなんて、あの子の友達がずっとそばにいてくれるようにサポートすることくらいだったわ」
そして、やっぱり諦めたような顔で言う。
「だから、分からないわ」
リアムは経験的に、訪れる未来を想像した。
ルビーが死んだことが分かったら、この人は後悔をするんだろうなと。
娘の死に泣けない自分の浅ましさで、自信を苦しめてしまうのだろうと。それだけ、自分の気持ちに素直になれなくなってしまっている。
「だったら、その気持ち確かめに行きましょう」
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