望まれなくても

有くつろ

オタクに望まれなくても

 彼女と私が抱き合えば、黄色い声援が飛ぶ。

握手会では「愛梨との絡み良かったよ」と何も知らないオタクに言われる。

運営からは彼女とのスキンシップを求められる。

好き同士でもないのに冷やかされる学生達はこんな心境なのかな、と勝手に思った。


 「あいゆめってガチなの?」

「え?」

思わず声が出る。

CDを買ってまでして握手券を手に入れて、こんな事を聞くか。

「僕からすればゆめかちゃんはもっと積極的になるべきって言うか」

「終了でーす」

興奮しながら語るオタクはスタッフによって剥がされた。


 握手券は十秒だったはずだ、剥がすには数秒早い。

運営が気を遣ってくれたのかなと思う。

私の中にはありがたく思う気持ちと、それならあいゆめカプを売りにしなければいいのに、と運営を憎む気持ちが混在していた。


 イベント後、メンバーはスタジオに集まっていた。

必死に、愛梨の粘りつくような視線に気づいていないフリをする。

「今日ダンスレッスン無くなったらしいから、各自帰って良いってさ」とリーダー。

喜ぶ声も悲しむ声も聞こえる。

「じゃあもうあたし帰りまーす」

「嘘っ、待ってよ私も帰るー」

「皆いつまで残る?」

バタバタと騒がしくメンバーが動く中、一人だけゆっくりと私に歩み寄っている人物が居た。

誰かは顔を見なくても分かる。


 「ゆめかちゃん」

遠慮がちなその声にため息をつきそうになる。

「ん?」

平然を装って振り返ると、愛梨はモジモジしながら言った。

「今日この後暇?」


 暇である。暇だけれど、暇じゃないと言いたい。

暇だよ。

その一言を発するのは、自分が負けたと認めるようなものだった。

誰に負けたかなぜ負けたかは分からない。何となく負けた気持ちになるのだ。


 「暇じゃないよ」

気づけば口から出ていた。

愛梨の目が一瞬大きく見開かれるのを私は見逃さなかった。

「あ、えっと。今日は早く帰らなきゃいけないんだ」

付け足したようなその言い訳に、愛梨は笑顔を作ってから「そっか」と呟く。

「ごめんね」

私は思ってもいないのにそう言い、その場を後にした。


 スタジオの裏口を出る。

寒さにかじかむ手でスマホを確認した。まだ午後五時だ。

あと七時間。


 家に帰り、スマホをチェックし、軽く夕食を済ませてお風呂に入る。

寝る準備が万端になっても、まだ時計は午後九時を指していた。

あと三時間、と心の中で呟く。

私はソファに寝転がりながらテレビを付けた。

眠りについてしまう可能性も考えずに。


 目を覚ましてまず初めに焦る。

寝てしまった。まずいの一言で頭が埋め尽くされた。

私は時計を確認して泣きそうになりながら身支度をした。

火傷をしてもおかしくないようなスピードでヘアアイロンを操り、ビューラーでしっかりとまつ毛を上げる。服も可愛くしてお気に入りの香水を振った。

そして全力で急ぎながら家を出る。


 スタジオに戻った頃にはもう十二時半を過ぎようとしていた。

息を切らしながら裏口を開けると、薄暗い部屋の隅に彼女は座っていた。

「ごめん」

「三十分遅刻だね」

暗い部屋の中、顔は見えなくても彼女が微笑んでいるのが分かる。

「おいで」

いつも激しく歌う彼女とは思えない、優しい声。


 私はうちのグループのセンター、槙本結衣まきもとゆいの隣に座った。

「寒くない?」

「でもさ、暖房つけたらバレちゃうから」

私が聞くと、結衣は小さな声でそう答えた。


 「あいちゃん分かりやすいよね、ゆめかの事好きなの」

結衣は笑いながら言った。

「でも営業とガチは別じゃん?渡さないし」

彼女はそう呟き、私を見て微笑む。


 「あたし二人が営業してる時、あいちゃんの顔面握り潰したくなる。ファンの目の前でぶん殴ってゆめかと一緒に逃げたいと思うんだ。」

静かなスタジオに彼女の声だけが響いた。

結衣はそっと私の顔を撫でる。


 「ファンはどんな反応するかな」

どうだろう、と呟く。

「裏切られたとか解釈不一致とか金返せとか?」

私の言葉に笑う結衣。

「思ったより具体的。でもそうだね、そういう事言われると思う。それかもっとずっと酷い事。ゆめかには聞かせらんないじゃん?」

「そういうの過保護って言うんだよ」

結衣は綺麗な目を細めた。


 「ずっとこうしてたいって思う」

「私も」

今なら。

私はそっと結衣の両頬を掴んだ。

彼女は驚きもせずに、私の手の上に自分の手のひらを重ねる。


 「駄目って言ったじゃん」

「でも」

「いつ誰が見てるか分かんないんだよ。確定になっちゃう事はしちゃ駄目だって。それに止まんなかったらどうするの?」

いたずらっぽく笑う結衣。

上手くはぐらかされたなと思う。


 「でもさ」

私は必死になって言う。

「世界っていつ終わるか分かんないんだよ。明日結衣ちゃんが死んじゃうかもしれない。そしたら私一生後悔するんだよ」

結衣は表情を崩さずに私の頭を撫でた。


 世界はいつ終わるかわからない。

私にとっての世界は槙本結衣が全てだった。

つまり私の前から槙本結衣が消えた今、私の世界はもう終わったことになる。

「どういう事?!結衣ちゃんが引退って」

「え?結衣が?は!?何で?!」

翌日のスタジオは今までで一番騒がしかった。

私は一人、今日は十二時に間に合うようにしなきゃ、なんて考えていた。


 リーダーが重々しく口を開く。

「昨日、マネージャーさんと喧嘩しちゃったみたいで......引退するって喚いてから消息不明になっちゃった」

「はぁ?!」

「ちゃんと探したの?!」

騒ぐメンバー達。

大好きな結衣の事なのに、何だかメンバーが遥か遠くで話しているような気がした。


 「探したよ!!!」

リーダーの大声で辺りが静まる。

「ちゃんと探して......探したんだからさ、お願い、文句言わないで」

気まずい空気が流れた。


 私は見逃さなかった。

終始冷たい目をしていた愛梨を。


 話し合いが終わると、全員がいつも以上に明るく振る舞った。

わざとらしい。

私は感情を押し殺しながら愛梨に話しかけた。

「愛梨ちゃん」

「何?」

「結衣ちゃんに、何かした?」


 不自然な間が空く。

「仕方ないって言い切れるよ、私は」

さらりと言うその一言を聞いて思う。こいつ狂ってる、と。

「ふざけんなよ」

私がそう唸るように呟くと、愛梨は一瞬にして笑顔を消した。

「私のゆめかちゃんだったのに。スタジオであんな事してたならバレても文句言えないと思うんだけど」

そう捨て台詞を残して愛梨は去って行った。


 アイドルを辞めたい。

私の最推しを引退に追いやった人間と営業なんて吐き気がする。

それに結衣のいないステージに私が立つ意味はない。

いつ引退、しようかな。


 今日。

今日のステージが終わったら、運営に言おう。

辞めたい、と。


 最後のステージだと思っても感慨深くはならなかった。

本当に、私はただ彼女の為だけに踊っていたんだと知る。

もうどうでも良くなった。

全てが。


 最後の握手会。

これが最後とも知らないで鼻息を荒くするオタクを見て笑いそうになる。

勝手にあいゆめだのなんだのと騒いで。

どうせ私と結衣がそういう仲だと分かったらファンは激減するのだろう。


 勝手に理想を押し付けて幻滅されて。

望まれてなくても私は結衣が好きなのに。ただそれだけなのに。

勝手なオタクが最後何を言っていたかは覚えていない。


 最後尾に並んでいたのは女子だった。

珍しいな、と思いつつ「初めまして」と笑顔を貼り付けるようにして笑う。

「初めましてじゃないです」と彼女は呟いた。

一番アイドルが聞きたくない台詞だ。

「ごめんね、前にも来てくれてたのかな?覚えたいからお名前聞かせてもらっても良い?」


 彼女が被った帽子から覗くその目には見覚えがあった。

そこで気づく。初めましてなんかじゃない。


 崩れていた私の世界が、再生していく音が聞こえた。

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望まれなくても 有くつろ @akutsuro

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