二話 鳥かごの鍵①
生まれたときから「死」は身近で、それがこの身から離れたことは一度もなかった。
そこは、人が居ることは許されない土地だ。記憶を辿り、おぼろげに浮かんでくるのは、ここではないどこか遠くの場景。
真っ黒な煙に覆われた鈍重な空は、幼いころから見慣れた故郷の色だ。
朝霧が朝日に照らされ、どこか夢幻的な光景を作り出す。
神々しく煌めく街並みと対比して、背後にそり立つ機械の城は、その心音を轟かせるかのように、ギシギシと歯車を回す。真っ黒な吐息は、何人を寄せ付けまいと威圧的な存在感を放っていた。
――紛れもなく、それは故郷であった。
アル・オースティンは、窓の外から忍び込む陽光に、肌をくすぐられるようにして目を覚ました。陽光の差し込む小窓には、相も変わらずおどろおどろしい真っ黒な煙がモクモクと立ち昇っている。
「オースティン、いつまで寝ているつもり? 」
聞き慣れた声の違和感には気が付かぬまま。
故郷のぬくもりに埋もれるようにして発されたその言葉は、明らかにその場にはふさわしくない。
「…んぁ……もう少し寝かせてくれ、親父」
「……誰が親父だ、蹴り飛ばすぞ」
忘れてはならない。兵士なんてものは、例外なく短気で、短慮で、気が短いのだ。
オースティンの脇腹に、的確に差し込まれたブーツの先。
短いうめき声とともに迎える朝は、ここ数年で最悪なものに違いはない。
そこは幻想的な故郷ではなく、煤に塗れる戦場だった。
◇◇◇
やけに機嫌の悪い青年と、その肩ほどにも満たない小柄な少女。
整った顔立ちのそのペアは、ここでは知らぬ者はいないほどの有名人なのだが……。
周囲の目を引く二人組は、人目も気にせずに朝っぱらから言い争いを繰り広げていた。
「――だから、いつまで根に持ってるわけ?」
少女はいい加減にしなよ、と諫めるが、青年兵の方はその方をキッと睨みつける。
「黙れ。どこの誰だかが、お前のことをバーサーカーと呼んでいるらしいが、まったくもってよく言ったもんだ」
「ばーさーかー……って何?」
「……馬鹿は何も知らないから、会話も疲れる」
オースティンは大げさにため息をつくそぶりを見せる。
そして少女を見下げるように、
「要は、狂った奴ってことだ」と吐き捨てた。
「はあ? 私は寝起きの悪いどこかの隊長さんを起こしただけなんですけど?」
「お前の常識では、人を起こすときには脇腹に軍靴を差し込むのか?」
「……寝ぼけてるのが悪いんでしょ?」
「開き直るな、狂戦士が。……いつか絶対、お前の脇腹に蹴りを入れてやる」
青年兵は、いまだに痛む脇腹をさすっては、少女を睨みつけていた。
A-15部隊。
曰く、この戦場で名を馳せる精鋭部隊だという。
しかし内情は、いまやたった二人の隊員のみが残る、小隊ともいえぬ規模に成り下がっていた。
部隊が壊滅したのは、つい数日前。
前線右翼の拠点となるべく、ポイントCを奪取した連盟軍にとって、その犠牲はいささか大きすぎるものだった。精鋭部隊として恐れられ、実際に連盟軍の前線を支えていた部隊が抜けた穴は大きい。前線は見る見るうちに押し返され、ついに戦線は、司令部の位置している第4セーフポイント目前まで迫っていた。
そういう情勢のせいで、緊張感の走るキャンプのなかでも、誰もが絶対に近づきたくないと、そう思う場所に二人は呼び出されていた。
「――というわけで、我々はA-15部隊の再編に踏み切ったというわけだ」
男は上等な椅子に腰かけ、ポンと紙束を放り捨てる。
それは長々と続く愚痴と、おまけのように挟まれる指令の終わりを意味していた。
口元をご立派な髭で覆われるその男は、不機嫌そうに二人を睨んだ。
「なんだ?何か言いたそうな顔をしているが」
ただでさえ機嫌のよくないその男は、威厳を保たんと眉を顰める。
青年兵はこつんと肘をぶつけるが、それが焼け石に水であることは百も承知だった。
さて、復習だ。
兵士というのは、―――いや、戦場というのは、が正しいのか。
ここでは、人はみな例外なく短気で、短慮で、気が短い。
――そうなってしまうらしい。
青年の顔を一瞥し、そうして大きく下げた目線の先に居る少女。
彼女は露骨に不満を押し出しては、嘲笑するようにクスリと笑った。
(おい、やめておけ)
オースティンは小声で諫めるが、やはりというべきか。
この腐れ縁も、もう半年になってしまうらしい。
それはまったくもって無意味だと、それくらいのことは知っている。
「どうした、125番。言いたいことがあるのならはっきり言ってみろ」
司令官は青筋を立てて詰め寄るが――。
耐性のない者の反応も、もう見飽きたものだと、今度は青年がため息をつくのだった。
「恐れながら申し上げます、司令官殿。125番は少々口下手なところがありまして。代わりに私から質問させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「……はっ、口下手だと? ソイツの目を見ろ。考えていることが手に取るように分かるぞ!」
男はいらだちが収まらない様子だ。
対して、こちらの少女も負けてはいなかった。
……オースティンとしては、早々に折れて欲しかったのだが。
「……へぇ、私が何を考えているのか、当ててみなよ?」
カナは挑発するようにアゴを押し出す。
「貴様、口の利き方というものを知らないようだな……」
「あんたらに払う敬意なんて必要ないもの」
「管理責任だぞ、86番、貴様が――」
「――オースティンは関係ないでしょ、何もかも人のせい、あんたらはいつだってそうだ」
「口が過ぎるな、125番、貴様がいくら武勇を誇ろうとも、所詮は小鳥にすぎ――」
司令官たるその男はそう言いかけて──
そして、ハッと息を飲んだ。
何か、言ってはいけないことを口走ってしまったかのような表情は、どこか焦りが見える。不思議そうに見つめる二人を一瞥すると、男は大きくため息をついて煙草に火をつけた。
「……まぁいい。その武功に免じて先の無礼は不問に付す。86番、貴様がしっかりと教育しておけ」
「ハッ!大変失礼致しました。それでは我々はこれにて」
終始偉そうに、ヒラヒラと手を振る男は、先程までの驕りと自尊心を見せつける余裕が無いように見えた。
対してオースティンはキレよく敬礼し、そして再度肘で少女を叩く。
それでようやく、隣の少女は頭を軽く下げるのだった。
……勿論、渋々と。
二人は逃げ出すようにその場を後にする。
正確には、文句の言い足りない戦闘狂を引きずるようにして立ち去る隊長の姿がある。
バサッと乱暴に開かれた天幕が、ヒラヒラと揺れる。
その様子をじっと見つめる男の額には、うっすらと汗が滲んでいた。
それは、可能性として十分に有り得る状況に怯えるような、そんな眼差しで。
薄い天幕の中。ゆっくりと椅子に腰かけるその男は、慎重に煙草の火を消した。
──そして、数刻の後。
「…………許されたの、か……」
その一言を絞り出すのに、どれほど時間を要しただろうか。男には、それを確かめる余裕すら、残されてはいなかった。
◇◇◇
「――で、編成がなんだって?」
カナはややぶっきらぼうに聞いた。
先を歩いていたオースティンは苦笑いで振り返る。
しかしながら、その表情の意図がカナには伝わるとこはない。
小さく息を吐いてから、オースティンは口を開くのだった。
「……お前、司令官に歯向かうのはもうやめにしろ」
その表情にはどこか諦めが見える。
もちろん、こういった説教は過去に何度もあったのだが……。
どうやら、この少女にはたいして意味がなかったことは、彼の表情から容易に伺えた。
「……A-15部隊の再編成だ。今日合流する新兵たちを加え、中隊規模として再編するらしい」
「新兵って……配置場所は変わるの?」
ため息交じりに聞くが、その答えはもう分かっている。
「当然ながら、何も変わらない。元気に閃光の雨を駆け抜けてこい、とのことだ」
「ハア……中隊規模っていうのはそういうわけ?」
「察しが良いな。……ヒトは増やしてやるとのことだ」
オースティンの表情が険しくなる。
当然、隣を歩く少女の表情だって全く同じだ。
A-15部隊が配置されているのは、過酷な右翼でも最も危険な最前線である。隣の簡易ベッドで寝ていた兵士が、次の日には鉛玉の行きかう荒野で寝ていることも日常に過ぎない、そんな場所。
しかしA-15部隊の被害はそれでもましな方だった。今となってはたった二人になってしまったその部隊も、かつては英雄とまで謳われた精鋭部隊に違いなかった。部隊が壊滅した先の作戦にしても、精鋭とされる部隊が、決死の覚悟で挑んでその有様である。
つまり、A-15部隊の配置される戦場は、精鋭達ですら、その灯火を維持できる風よけは持ち合わせていないのである。ましては新兵たちの命など、それこそ吹けば飛ぶような扱いをされるに違いない。
その状況を知ってなお、笑っていられるほど非情にはなれなかった。
「――で、あのくそ豚はなんて?」
「教育には時間をくれるらしい。とはいっても、まともに銃を撃てる者が何人いるか」
くそ豚という言葉にはお咎めなしか、とカナはクスクス笑っていた。
オースティンにしてみても、あの司令官に対する心情は同じというわけだ。
「……へえ、珍しい。あいつ等のことだから、『お前らごときにやる時間はない。死にたくなければ走ればいいだろう』とか言いそうだけど」
「……驚いた。一言一句同じ言葉を吐いていたぞ」
オースティンは目を丸くしてカナを見つめる。
対してカナは「うげぇ」という吐きそうなジェスチャーで嫌悪感を示すのだった。
「よく説得できたね、前とは違って、少しは人道的な飼い主なのかな」
「さあな。詳しいことは知らんが、例の作戦以降、慎重な姿勢が見えるのは確かだ」
――例の作戦。
ウィルを、いや二人の隊員を残して、それ以外の全てを土に還したあの悪夢のことだ。
二人は苦い表情で見つめあった。司令部は前作戦をもって大規模な配置転換が行われ、今朝の会議で顔を合わせたのが、新たな司令官というわけだ。
……どうも、初対面は最悪に違いなかったらしい。
二人の表情が、顕著にそう言っている。
「くそ豚は関係ないとしても、確かに私たちの扱いも多少はマシになったよね。昨日だって基本は自由に動いていいってことだったし」
「そうだな……」
「配置換えといい、何か大きく変わったような気がするけど……」
そうしてふと、口にする。
「……あの作戦は結局、失敗だったわけ?」
「――ない」
その答えまでは一瞬も必要なかった。
カナの問いかけに、オースティンははっきりとそう告げる。
「……そんなはずはない」
噛み締めるように。
言い聞かせるように。
彼らの血が、肉が、魂が、無駄であったとは言わせない。
そういう顔をしていた。
しばらくの沈黙の後。
「ともあれ――」と呟くのはオースティンだ。
「戦況を見てもポイントCの奪取が重要であったことは言うまでもない。あれがなくては、ここは今頃敵陣だ」
一転、戦略家としての顔になる。
部隊長として、ある程度の指揮権を得ているオースティンは、その知略で数々の修羅場を生き抜いてきた。A-15部隊の戦死者が著しく少ないのも、彼の指揮が要因だろう。
その彼が見立てるのならば、それは概ね正しいことを示していた。
ただ──。
「でも、いつまで持つかな……静かすぎると思わない?」
「同意だ。ここ数日、敵の動きが不自然に少ない」
「何か企んでるのかな……」
カナも思案を巡らせ、そして先程の司令官の顔が思い浮かぶ。
「──そういえば、あのクソ豚もなんか様子がおかしかったもんね」
妙な態度を取る司令官だと、そう思った。
この戦場の司令官としては珍しく、焦りと怯えが感じられるような。
──まるで死を怯える兵士のように見えた。
アイツらが、怯えることなんて何も無いはずなのに。
カナはそう内心で愚痴を零す。
「……安全地帯でふんぞり返って、なにが兵士だ」
「大概にしておけ。どこに耳があるかも知らん」
「目の前にあったって私は言うよ。知ってるでしょ?」
カナは片目を閉じて微笑む。
そして大きくため息をつくまでが、2人の会話のテンプレートだ。
「はぁ……お前のその度胸はどっから来るんだ」
「人の眼力では、私は死なないもの」
「……俺の鉛玉で死ぬことだけはやめてくれよ」
「あんたの弾で死ねるなら、まだ幸せじゃない?」
オースティンは切実に言うが、カナは望むところだと言わんばかりに胸を張る。その眼差しがどれだけ残酷かも知りはせず。
彼女の表情は、貼り付けた微笑みの奥に諦めが透けていた。敵に殺されるくらいなら、最後まで連れて行ってくれと、彼女は言っているのだろう。
そして、逆もまた……。
いや、可能性としては逆の方がまだ有り得るだろうか。
戦場を駆ける彼女に、名を託すのであれば、それも悪くは無いとオースティンは思案する。
ふと隣を歩く少女を見た。
その顔はあどけなさが残り、体躯はとても兵士とは思えないほどに小柄で、弱々しい。普段ライフルが掛かるその肩は、アサルトライフルの重みにさえ耐えられないだろう。無邪気に笑う表情は、異質で、奇怪で、そして相応しくないとそう思う。
オースティンは彼女を通して、何かを思い出し――。
そして、そうする訳にはいけないと、強く感じた。彼女のその小さな体に、託すわけには、押し付けるわけにはいかないと。
「馬鹿を言うな。俺はお前の脇にこの軍靴の先を差し込むまでは死なないし、死ねない」
「まだ言ってんの……?」
「明日からは脇腹にチョッキでも仕込んでおけ」
「しつこい男は嫌われるよ」
呆れたように言う少女に、どこか安心する。
その理由は、まだ知らない。
そういうことにするのが正しいと、分かっているから。
――彼は故郷を思う。
真っ黒な雲。
鈍重な鉄の城。
夢幻的な街。
取り戻すまでは、死ねない。
そう強く、心に言い聞かせる。
そんなオースティンの横顔を、不思議そうな顔で見守る少女の姿に、彼は気づいていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます