一話 鳥かごの英雄②
待ちに待った甲高いチャイムが鳴った。
「……時間だ」
ぽつりと呟くのは、瓦礫の山に腰かける白人の兵士だ。アル・オースティンはチャイムが鳴る方角をしきりに睨みつけていた。
十七時を告げる鐘の音は、かつてこのニホンで流れていた民謡らしい。歌詞までは知るわけもないが、すべての兵士の緊張を解くほどには、有名な曲に違いない。
無論、訳もなく口ずさむことは決して許されないが。
兎にも角にもこの鐘の音を聞いてなお、気が張っているのはどうも珍しいというわけで。
険しい顔でゆっくりと立ち上がる青年兵は、傍らに佇む少女にはの目には不思議に見えた。
「浮かない顔だね、オースティン」
カナは下から覗き込むようにして揶揄う。
対して青年は、心底疲れ果てたといわんばかりに――
「笑ってるよりましだろ?」と返した。
ふてぶてしく、拗ねたようにも見えるその青年は、一つの部隊の隊長としての威厳と、年相応の青年らしい幼さを併せ持っている。長く、艶のある金髪は、青年の整った顔立ちにこそよく似合って見える。切れ長の目の瞳に映る西の空は、角ばった山並みが薄れていく様を反射し、美しく輝いていた。
少女は肩にかかったライフルを、両手で持ち直す。
「…今日は何人?」
戦果報告。
オースティンは一瞬嫌な顔をしたが、その表情はすぐに平時に戻った。
彼もライフルを担ぎなおして、淡々と指を折る。
「多分……4だな、お前は?」
「……11」
カナは悔しそうにつぶやいた。
そのスコア差は4倍にも届かんとする。
しかし、スコアの劣る青年も、圧倒する少女も、その面持ちは同様に晴れない。
兵士としてではなく、人として。
やるせない感情だけが、二人の胸中をめぐっている。
「今日はどうも落ち着いていた……ということか」
オースティンはスコアをそう分析したようだ。
確かに普段の少女の戦績に比べると、本時のそれは些か少なかった。
「……ん、確かに言われてみればそうかも。いつもと違ってたから、なんとも言えないけど」
悔しそうにつぶやく少女の顔つきは青年兵と何ら変わらない。
「人のことを言えた面じゃないな」
「……そうかもね」
静かに呟く。
自分がどんな顔をしているかなんて、想像したくもなかった。意志とは反し、容易に想像できるのが残酷なところだが。
身にまとう戦闘服はやはり赤黒く染め上げられている。
それが彼女の今日の仕事ぶりを如実に評価していた。
「流石、相変わらずの暴れっぷりで」
青年は少女の壮絶な姿を、頭のてっぺんから足の先までじっくり眺める。
「生き残るためだもの、あんたもそうでしょ?」
「……そう割り切れたら、俺達もこんな顔はしていないんだろう」
オースティンはどこか悲しそうに、そしてあきらめたように言葉を捨てた。二人の頭上を飛ぶカラスの鳴き声は、まるで悲鳴にも似た哀しい声だった。
「……いつまで続くんだろうね」
少女は瓦礫の山によじ登りながら言う。しかし返ってくる言葉はなかった。別に求めてもない。やがて瓦礫の山の頂に達すると、周囲の兵士たちの様子が遠くに見えた。
ところどころに見えるこの瓦礫の積み重なりは、ここがかつては文明の栄えた大都市であった名残なのだろう。
ニホンの首都「トーキョ」。
しかし、大都市としての面影はもうない。それどころか「トーキョ」と聞けば、大半の人々が覚えるのは羨望ではなく恐怖なのである。
――ここはそういう場所だ。
小さくため息をした。
ふと、昔とある兵士に聞いた話を思い出す。
確か「ため息をつくと幸せが逃げる」とか。
幸せか、と頭の中で反芻し。
そうして、あてつけたように大げさにため息をつく。
「…もう残ってないよ」
つける限りのため息を吐き出し、何もない空間をしきりに眺めた。
カナの呟きは、青年兵には聞こえない。
聞こえていたのかもしれないが、オースティンは何も聞こえていないとばかりに、スタスタと歩いている。カナも遅れまいと、瓦礫の山の頂上からふっと飛び、彼の足元でくるっと一回転して着地した。
「…よく飛ぶな」
オースティンは呆れたように言うが、少女は「身軽だからね」と飄々と返した。
横並びで歩く二人の足取りは、心なしか軽快になっていた。
彼らの歩く戦場は今日も大量の生き血を糧とし、着々と太っているのだろう。
傷ついたその肌は戦争の激しさを証明し、少女の戦闘服に違和感を覚えさせないほどには辺りは血溜まりで溢れている。
二人は無言で歩く。
何を考えるわけでもなく。
瞬きをするたびに、瞼の裏に張り付いた戦場の光景がちらつく。
荒野を駆け、敵を殺し、真っ赤に染まったその手を見て、二人は何を思うのか。
彼らの胸中は、自身でも解けないほどには複雑に絡み合っている。
二人は、キャンプに戻っていた。
その道中では、同じ色のヘルメットを被った兵士たちが次々と合流し、たった二人の小さな行進は、やがて一つの大きな集団に成りあがる。
瓦礫に囲まれた大きな通りは、かつての姿は想像すらできない。
ところどころに残るビルのような建物は、その塗装を残すことなく剝ぎ取られ、アスファルトから鉄筋がむき出しに削り出された様子は、ただ無残だと形容できる。また形を保つことができなかった建物たちは、足元から崩れ落ちたように、細かな瓦礫の積み重なりになっていた。
そんな瓦礫と廃屋に囲まれ、閉塞感の漂うその通りは、今は100人ほどの兵士たち各々の足音が響く。アスファルトが砕ける音が時折聞こえていた。
そんな長い長い通りの終わり、少し開けた空間に、キャンプは鎮座している。
キャンプに集う兵士たちの様子は、以外にも明るく映る。
殺し殺されの戦いを終えた者たちのそれとは思えぬほどに。
戦友との再会。または、今日を生きながらえたことの安堵だろうか。みな様々な理由を抱え、その表情と緊張を緩めている。笑声さえ聞こえてこないが、配給を受け取る兵士たちは、仲間との会話を楽しんでいた。
「今日はどこも、大規模な戦闘は無かったみたいだな」
オースティンは、長く閉じられていた口をようやく開いた。
周りを見ても、重傷を負った兵士の姿はなく、彼らの戦闘服には血痕どころか、さほどの汚れも見えない者もいた。
必然。
瑠璃も玻璃も照らせば光ると言わんばかりに。
その結果が、いつものように集まるこの視線というわけだった。
耳をすませば、ちらほらと。
「アレがトーキョのエースらしいぞ」
「あんなに小さいのが? 敵に泣き落としでもしてんじゃねえだろうな」
「てか125番って女なのかよ、……え、女だよな?」
なんて噂話がそこら中から聞こえていた。
カナは、最期の台詞を発した中年兵をキッと睨みつけては、怯える様子に鼻をふんと鳴らした。
オースティンは何か言いたげな顔でカナを見るが、すぐに諦観して苦笑を浮かべる。
年端のいかない少女に睨まれて、後ずさるのはみっともないとも両断できるだろうが、しかし相手としては慄くのも当然である。全身を返り血で真っ赤に染め上げた少女など、不可解でもって不気味なことに違いはないのだから。
真っ赤なヘルメットから覗く眼光が、いかに鋭く見えるのか。
少女だけが、その切れ味を知らずにいる。
キャンプの中央。
人が密集するそのテントは、いつものように喧騒にあふれていた。
いくらここが、一切の戦闘行為が禁止される「セーフポイント」だからと言って、これまで緊張感の欠如した司令部はあっても良いのか、と嘆きたくなるほどだ。
連盟軍にとっての重要拠点―第4セーフポイント。
最前線にほど近いこの司令部は、仕事を終えた兵士たちで賑わっていた。
特に中央の配給所は、必然と人が集まる。
まるで大波を目の当たりにしているようで、華奢な少女では思うように身動きすら取れそうにない。
その光景を見ては、カナは露骨に不快感を示した。
文字通りの紅一点。真っ赤に染まった戦闘服は、彼女の代名詞であり、象徴だ。
戦場を翔るその姿は、美しいとまでささやかれるほどには敬われている。
従って、平時であれば彼女の進む道はきれいに整備されているはずなのだが――。
だがしかし。帰投したばかりの兵士たちの視界は、血に染まった少女ごときに違和感を覚えることがないらしい。彼らは一目散に配給をもらわんと、進み続ける。
少女も人の海をかき分けるようにして潜り込むが。
いくら少女が機敏であっても、いや、機敏であるがゆえに。
儚いと言えるほどの質量は、屈強な肉の壁に軽々と跳ね返されるのであった。
そして、いつも通りころころと転がる少女の姿が、そこにはある。
彼女がやっとの思いで配給所までたどり着く頃には、辺りの人混みも大分解消されていた。
配給所とは言いつつも、そこには大きな黒色の箱が佇んでいるだけだ。
少女はくたびれた様子で端末をかざす。と、目の前の鈍重な機械はピーと甲高い機械音を立ててから、黒い袋を二つ産み落とした。
初見であれば、これが食べ物だと予想できるものはどれほど居ようか。少女の手のひらに収まる物体は、見た目から考えもつかない質量を有している。一通りの苦労を重ね、手に入れた食料がコレか、と少女はまたも大きくため息をつくのだった。
「しかし、このまずいレーションはどうにかならないものか……」
いつの間にか隣に戻っていたオースティンも、もらったばかりの固い袋を小突いていた。
それを指で軽くはじくと「こつん」といういい音がした。
「まずいレーションというよりかは、食べれるレンガがいいとこだね」
早速袋から取り出して中身を眺めるが、とても食欲は沸かない。
そもそも食べ物から鳴っていい音じゃないでしょ、心の中で愚痴った。
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