一話 鳥かごの英雄①
少女は駆けている。
止まってしまえば、その身が粉々にはじけ飛ぶことが決まっているから。
「ああ、あれが…………」
どこかで感嘆の、そして安堵の声が聞こえる。
彼らがホッと一息をつく頃には、その真っ赤な影はもう既に別の敵に飛びかかっていた。
「…………あれが、例の?」
「ああ、125番だ。お前は見るのが初めてだったか?」
「俺の配置場所は左翼ですから。急な配置換えでも無ければ、例の英雄を見ることは一生叶わなかったでしょうね」
二人の兵士はその武勇を眺めては、まるで神でも見るかのように、呆然とその光景を眺めていた。その目線は羨望と期待にあふれている。
握りしめたライフルを構えることは既に辞めていた。
――もう、その必要はなくなったのだから。
その小柄な兵士は信じがたい跳躍力で大きな瓦礫に飛び乗り、そうして小型のサブマシンガンを構える。
いや、それを二人が認識するときには、既に甲高い銃声が鳴り響いていた。
「……そんな顔をするな。俺たちはやれることをやればいい」
男は隣の部下の肩をポンと叩く。
「まったく、嫌になりますね。あれを見せられちゃ、自分のいる意味が分からなくなりそうです」
ため息をつく。
上官たるその男も「気持ちはわかるが……」と呟いた。
一騎当千を体現せんと、その少女は華麗に舞う。彼女を穿つ弾丸があるはずもなく、その姿はスコープに収まることもない。華奢な体躯と相まって、まるで雷撃のように翔るその姿は、この場の全敵兵を戦慄させているに違いない。
「敵であれば絶望に違いないが、味方である分にはボーナスステージのようなものだ。本来であれば、彼女がここに居ることはないのだから」
「……というと?」
「お前はA-15部隊を聞いたことがあるか?」
「当然じゃないですか」
男は当たり前だと言わんばかりに大きく頷く。
「確かあの125番を擁するエース部隊ですよね。この戦線もあの部隊がなければ維持すらできないとか……」
「ああ、その理解で正しい。いや、正しかったというべきか……」
男はいかにも残念そうに言うが、隣の部下は不思議そうに首をかしげていた。
「……A-15部隊は、先の特別作戦で壊滅したらしい。真偽は不確かだが、聞くところによると数名の隊員を残して全滅だそうだ」
「……まさか。あの部隊が壊滅? そんなことがあり得るんですか?」
A-15部隊といえば、この戦場に名を轟かせる精鋭部隊だ。
その名はトーキョエリアにとどまらず、もっと北部の戦線でも、まるで英雄譚のように語り広められているらしい。もはや一部隊としての影響力を超越し、この地の希望にすらなっているほどだ。
それが全滅……?
まるで信じられないという表情で聞き返すが、上官はゆっくりと頷いた。
「あくまでも噂だが、無謀な攻勢策の犠牲になったそうだ。いくら精鋭とは言え、その5倍の兵に待ち伏せをされてはどうしようもない。……それでもポイントだけはしっかりと奪還したのだから、そこは流石というべきだが」
まさかあの部隊を使い捨てるような作戦とは。
どのような無能が指揮を執っているのだろうか。いい加減にうんざりするものだ、と司令官の顔を思い浮かべては、自然と舌打ちが鳴るのだった。
「で、その後残った隊員たちはどうなったんです?」
「各地で単独遊撃だそうだ。おそらく部隊再編までの期間限定だろうが、運が良ければ軍神の加護を受けられるかもしれん……今のようにな」
男が促すその先には、真っ赤に染まったコンクリートブロックが佇んでいる。
休む間もなく疾走する我らが英雄は、まさに神話の兵器のようで。
オーディンが遣わしたバーサーカーと錯覚するほどの凄まじい衝撃は、この目にしっかりと焼き付いていた。
「それは何とも……しかしそういうわけではこのボーナスステージを手放しで喜ぶわけにはいきませんね」
「まったくだ」
次は二人してため息をつく。
二人の雑談が終わるころには、例の少女の姿はどこにもなかった。
残されたのは多数の死屍と、赤黒くこびり付いた人血。
英雄の力を誇示するかのように。
その巨大な足跡は敵兵をいとも簡単に踏みつぶしていた。
『こちら、86番。生きてるか?』
小さく機械音がなったと思ったら、聞き慣れた声が漏れてくる。
コールサインは直属の上官――今ではたった一人となってしまった隊の仲間からだ。
カナは小さく安堵のため息をつき、携帯無線機に手を伸ばした。
「はいはい、125番。生きてるよー。オースティン、あんたは元気?」
『当然だ。……お前今どこにいる?』
侮るなと言いたげに。
少し乱暴に言葉を吐くその隊長は、息を切らしている様子もない。せめて安堵くらい感じて欲しいものだが、少女の期待とは裏腹に、その口調はどこか怒りを孕んでいる。
「えっと……ここどこだろう。A36って書いてあるけど」
カナは端末をいじくりながら答える。
途端に無線でも通じるほどにため息が聞こえた。
周囲は激しい閃光が絶えず走っているが、それは大して彼女の脅威とは成り得ない。彼女はスタスタと戦場を歩き、端末に表示されたマップを拡大していた。
『……ああ、理解した。そこから大きな時計塔が見えるだろう。一旦そこに集合だ』
オースティンはそう早口で言い残すと、彼女の返答も聞かずに無線は切れてしまった。
カナはむぅと顔をしかめるが、それが無意味なことに気が付いて無線機を仕舞う。
そうして仕方なく目線を回すと、明らかに異質な建物が目に留った。
奇妙なほどに完全な状態で立ち尽くすその巨塔は、真上で輝く太陽に照らされ、煌びやかにその光を身にまとっている。ところどころに見える瓦礫の山々とは違い、その建物は崩れるどころか一片すら欠ける気配もない。
――戦場で稀に見るそれは『ポイント』と呼ばれた。
人の力はおろか、銃器をもってしても傷一つ付けることすらできない建造物たちは、失われた文明の遺物というのだろうか。いまや『ポイント』として両軍の拠点となり、数えきれないほどの人血を吸っていようとは、当時の建築士たちは考えもしなかっただろう。
おそらくあの巨塔も『ポイント』であり、戦線の位置から察するに、友軍のものであるに違いない。カナは飛んできた弾丸をひらりと交わし、巨塔を目掛けて走り出した。
狙撃手は唖然としただろう。
いや、安堵したかもしれない。
戦場を飛び回るその赤い悪魔は、散々盤上を荒らした挙句、さっと踵を返して戻っていく。
背中を見せて逃げていくようにも映るその姿。
しかし、彼女を追う閃光はない。
下手に刺激をしてターゲットにされてはたまらない、と誰もが思うのも仕方がないだろう。敵味方多くの兵士に見送られるその少女は、無傷で前線を去っていく。
華奢な後姿は、その何倍にも大きく逞しく、そして恐ろしく見えた。
「――遅い、どれだけ待ったと思ってんの?」
「馬鹿を言え。……連絡してから、まだ三十分もたっていないだろ」
頬を膨らませて文句を垂れる少女。
対してその上官は、呆れたように少女を見下ろしていた。
二人は銀箔の時計塔、その足元に腰かける。照り付けるような日差しから逃れようと、一羽の蝶が日陰にいるカナの肩に留まった。
「で、どうして合流?」
短い溜息を挟んでから。
「……ここはどこだと思う?」
オースティンは口に含んだ水を飲みこんでから問いかける。
その目は想定通りと言いたげに。
「さあ? 確かマップではA01とか言ってたけど……ここはどこ?」
正直マップの見方など分からない。—―教わっていないのだから。
ここがどこかと聞かれても、ここはどこだと聞き返すことしかできなかった。
そもそも兵士になるうえで重要なことのその一割すら、訓練課程でも教わることはできない。その事実に文句を垂れる光景は散々見てきた。
しかし、そんな甘えはここでは通用しないだろう。
この戦場では「見て学べ」が基本で、絶対だ。
銃の撃ち方から、弾に当たらない走り方、水の飲み方まで。生き残るために必要なすべてのことは、大抵生きていれば自然と身に着くものだ。身に着かなければ、それはもうこの身が動かないことを示している。
しかし、一般的とは程遠いその少女にとって、地図の読み方など生き残るうえで必要なものにはなり得ないのである。地図を読むことができなくとも、自身がどこにいるのか分からなくとも。
身に及ぶ危険を排除する手立てが彼女にはあった。
ただ、それだけのことだ。
「はあ……お前のことだから、地図が読めなくとも問題ないなどと考えているのだろうが」
オースティンはお見通しだと、目を細める。
「今日の指示はなんだ?」
「えーと……暴れて来い?」
カナは頭を掻きながら答えるが、青年の方は「馬鹿が」と辛辣に吐き捨てた。
「俺たちの任務は、ポイントB攻略のための橋頭堡作戦、その助攻だ。本来であれば、ポイントBを目標とする主力を援護すべく、遊撃を行うはずだったんだが……」
「はぁ……難しいことは分かんないや」
「要するに、ポイントB近辺が今日の主戦場となるはずだったという事だ」
ポイントBといえば、確か今は敵陣地として前線に鎮座しているポイントだった筈だ。言われてみれば、今朝のミーティングでもそんな単語が出た気がする。しかし、少女の理解をもってして、戦術など大して意味の無いものだった。
「そう……で、それが?」
「……俺たちは今どこにいる?」
オースティンは呆れたように尋ねる。
鈍感な、いや愚鈍な少女にもようやく理解できただろう。
――なぜ、オースティンがこんなにも険しい顔をしているのか。
――なぜ、合流までに三十分もの時間を要したのか。
――なぜ、目の前には見知らぬ巨塔が聳え立っているのか。
少女は気が付く。
青年兵の憤りの要因に――。
汗水を垂らしながら部下を探していたところ、それは隣のコートで試合をしていた。
そういう状況に。
「あー、」
次の瞬間、舌を出す少女に重い鉄槌が下された。
ガコンッといい音がして、小さな体はよろけ倒れる。
躱すことは容易だったはずだが、その後が面倒くさいことも知っていた。
ここは黙ってぶたれた方が、かえって楽なのだ。
しかし、覚悟はしていても痛いものは痛い。
カナは両手で患部を抑えるが、オースティンはフンと鼻を鳴らして少女を見下ろしていた。
「痛いぃー」
「この阿呆。敵前逃亡扱いされても言い逃れが出来んぞ」
「……だって、地図なんか読めないんだもん」
カナは頭を抑えながら上目遣いで言い訳する。
「まったく、お前はどうやって生き抜いてきたんだ?」
「隊長に言われるがまま?」
「……ほう、俺のせいにするわけか?」
オースティンは青筋を立てて睨みつける。
少女はササッと身を引くと、体勢を屈め青年を見上げた。
「……だって、あんたの指示はいつだって『暴れて来い』だけじゃない」
カナは口を尖らせてそう言うが、オースティンは呆れたようにため息をついた。
「お前の脳内でどんな変換が行われているかは知らんが、作戦指示が無駄なことだけはようやく理解した」
思い返せば、少女に頼りっきりのA-15部隊だったが、今となっては冷や汗ものである。
まるで戦略というものを理解していない彼女に、部隊を託す真似などしなくて本当に良かったと、その若き隊長は胸を撫で下ろしていた。
しかし、彼女がどれほど戦略を理解し、知略を育んでいたとしても、兵を率いて戦うことはなかっただろう。
少なくとも、オースティンが――まともな士官が隊長であるうちは。
一騎当千を体現するその少女を『兵士』として使うようでは、それはまさに銃床で敵を殴るようなものだ。彼女の真価は、手枷を解き自由に暴れさせてこそ発揮される。それを知ってなお、彼女を縛り付け、ましてや兵を任すなどの愚行は他にないだろう。
そういう意味では、カナが地図すら読めないのも、それはある意味当然の結果で、いわば隊長であるオースティンの過失なのかもしれない。
しかし、まさか思わないはずだ。
目にも止まらぬ速さで駆ける猛獣が、歩き方を知らないとは。
それはまさに彼女の不自然さを強調していた。
──不自然。
まったくもってその通りだ。
不自然でしかない。
年端も行かない少女が戦場にいることも、その少女が軍のエースとして崇められていることも。
不自然で、奇っ怪で、不適切で。
そして────気に入らない。
「どうしたの? 怖い顔してるよ」
ふと少女が覗き込む。
その表情はあどけなさが残り、年相応の幼さと可愛らしさを感じさせる。
「なんでもない、ただ──ただ気に入らないだけだ」
オースティンは噛み締めるように呟いた。
「まだ怒ってるの?」と嫌な顔をする少女に彼の真意は届かない。
しかしその方がいいと、彼は思った。
「──で、作戦がなんだっけ?」
カナは戦場を見下ろしながら呟く。
二人は美しく聳え立つ時計塔の上から戦況を伺っていた。
オースティンはもう何も言うまい、と諦めて指を指す。
「あの川……確かタマ川といったか、その先に見えるのがポイントBだ」
青年の指先には、銀箔の建築物が立ちはだかっている。
その手前には大きな川が流れ、それを挟むようにして二つの軍が互いに睨み合っていた。
「あれは……なんだろう。やけに豪華じゃない?」
オースティンの指す『ポイント』は、例のごとく銀箔に光り輝いている。しかし他のそれとは違い、装飾から外壁の模様にかけて、その形状に至るまでに抱かれる印象は、何処か異質で奢侈に感じられた。
「教会というらしい。曰く神への祈りを捧げる場だそうだ」
博識だと目を丸める少女には構わない。
オースティンは戦場を睨んだまま話を続ける。
「司令部の目標は言うまでもなくポイントの奪取だ。しかし、そのためにはあの川を超えなくてはならない」
「どうやって?」
「当然、橋を渡ればいい」
「その橋って………あれのこと?」
少女が指を指す先には、たった一本の大きな橋が横たわっている。その橋の両端には互いに違った色のヘルメットを被った集団が向かい合い、先ほどからひと一人動く気配もなく膠着していた。
「……あれだな」
オースティンも困ったように笑う。
「どうやって突破すんの?」
「……どうやって突破するんだろうなぁ」
「……………………はぁ?」
遠い顔をするオースティン。
少女の疑問符はもっともだった。
「上からの指示は『橋頭堡を作ってこい』だけだ」
「きょーとーほ…………って何?」
オースティンは軽くよろけて倒れそうになる。
「……お前、今朝の会議は何をしていた?」
そう目を細める隊長を前にして。
「…………………………」
黙って口笛を吹く少女の目線は、どうも落ち着かない。
「寝てたな?」
「──ギクッ」
肩を震わせる少女に、本日二度目の拳骨が落ちた。
頭を抑える少女の姿はもう見飽きたものだと。
うんざり彼女を眺める隊長の姿も、何度目か分からないほどには見慣れたものだった。
「──というわけで、我々はあの川を突破し、橋頭堡を築くだけでなく、勿論それを維持しなくてはならないわけだ。ポイントBの奪取はそれらの成功をもって初めて成る」
おそらく今この時間もどこかで人が弾け飛んでいるに違いない。
そういう過酷な戦場の一角──連盟軍重要拠点の最上部では、教育課程二日目で学ぶような授業が執り行われていた。
生徒である少女は正座で話を聞いている。
その頭部には三つのコブが痛々しく浮かんでいた。
「……ここまでは分かったか?」
「…………はい」
不服そうに頬を膨らませる少女。
対して青年兵の眼光は、彼女に頭部の痛みを思い出させた。
「……ぼーりょくはんたい」
「兵士が何を言う」
はぁと息を吐くオースティンに、少女はふてぶてしく呟く。
「乙女の頭を三度も殴りやがって……」
「聞こえている。加えて、最後の一回は説教中にまさかいびきを掻いたど阿呆を悔いることだな。文句を言う資格は──」
「──はいはい、ないですよ。資格も学知も私にはなにもありませーん」
不貞腐れた少女は、もう説教はごめんとばかりに遮った。
言い足りない青年はぐっと唇を震わせるが、ここで油を売っている時間はない。
それを証明するかのように、彼の無線機は震え続けていた。彼は鳴り響く無線機に「只今」と吐き捨て、時計塔の中に消える。
グチグチと文句を紡ぐ少女も、その後を追いかけるようにして銀箔の巨塔を下った。
然して二人の精鋭は、今日も元気に便利屋の仕事を押し付けられる。
幸いなのは、「残業があり得ない」ことぐらいだろうか。九時に始まり、五時には終わる。
さて、終業時間まであと三時間を切っていた。
少女は駆けている。
止まってしまえば、その身が粉々にはじけ飛ぶことが決まっているから。
――今まで何度、止まってしまおうかと考えただろうか。
止まれば、楽になれるだろうか、と。
少女はふと、相棒のサブマシンガンを見る。数えきれないほどの敵兵を穿ち、血で染まったその銃は「止まるな」とそう告げた。
いま、辞めるわけにはいかない。
終わりのない道の終わり。
いつかあるかもしれない幻想郷を目指して、少女は駆ける。
血しぶきが舞うその戦場で、少女は英雄と呼ばれていた。
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