鳥かごのリコシェ
@Rurihari0031
プロローグ 125番の戦闘記録
聞き慣れてもなお、あの光景は甦る。
羽虫が耳元を掠めるような、そんな音だ。
それが過ぎ去った銃弾の音だと気づいたのは、頬から流れる血が滴り落ちた時だった。
「くそったれ、もう取られてんじゃねえか!」
叫び声。その怒号は、周りの兵士たちに緊張感と絶望感をもたらす。
兵士たちは飛んでくる閃光を躱すべく、各々体を倒して身を隠す。
前方を走っていた一人の兵士の頭部がはじけ飛び、鮮血が舞った。
容赦なく降り注ぐその赤い液体は、周囲の兵士を斑に染め上げ、更に絶望感を募らせる。
それが許されない場所であることは分かっていながらも、凄まじい喧騒に耳を覆ってしまう兵士を責める気にもなれなかった。
「どうするの? オースティン」
冷静に尋ねる少女の頬には、弾丸に刻まれた赤い線が伸びている。
「…無事か、カナ」
「何とか……ともあれ一分後の無事は保証されてないけどね。このままじゃ全滅だ」
「分かってる、ただ目標は既に陥落している。これじゃどうしようもない」
「だからってここに居たっていずれ死ぬ。あんたが隊長なんだから、早く指示を頂戴」
悠長に会議をしている時間はない。
小さな瓦礫の山に身を隠す二人のすぐそばには、幾数もの鉛玉が打ち込まれる。
背中を預けるコンクリートからは絶えず衝撃が伝わっていた。
「くそ、十五だけ待て。…本部に連絡する」
オースティンはそう告げると、ポケットから端末を取り出した。
彼が手に持つ携帯端末からは数秒のノイズの後に、ピーという機械音が聞こえる。
「司令部、こちら、A-15。目標Cは既に陥落、現在敵二個中隊規模と交戦中。どうぞ」
『…司令部よりA-15。奪還は可能か、どうぞ』
「A-15、不可能だ。敵はおよそ六百、こちらはもう……百も居ない。どうぞ」
『…司令部よりA-15。125番はまだ動けるか、どうぞ』
無機質な声は、やはり125番をご所望の様子だった。オースティンは一瞬眉間にしわを寄せるが、それが無意味なことに気が付き。
せめてもの抵抗として小さく「生きている…」とだけ呟く。
『…司令部よりA-15。ならば、Cを奪還せよ。通信終了』
予想通りの指令。そして拒否する間すら、与えられはしなかった。
弾丸の雨は無慈悲にも、二人を守る瓦礫を端から削り取っている。
「ってことだ……どうする?」
オースティンは少女の方を向かずに、背中で問いかける。
諦念が感じ取れる口調だ。
「どうするもなにも、行くしかないんでしょ?」
少女のその返答に、オースティンは泣きそうな顔で振り返った。
降り注ぐ銃弾とともに投じられた手りゅう弾が、すぐ隣の瓦礫を吹き飛ばす。
その爆音に重ねるようにして、若き隊長は「すまん」と小さく呟いた。
『お前ら、本部からの命令だ。………目標を奪還する』
隊長の無線に応えるものはいなかった。
瓦礫にもたれかかる兵士たちは、文字通り言葉を失っている。
『ウィルの班は目標の東側から突入、残りは俺についてこい。西から仕掛ける』
『私は?』
『カナは残れ。合図が出たら単独で突入しろ』
『……了解』
『ウィルは大丈夫か?』
『…大丈夫なわけねえだろ、なんで俺たちが東なんだ?』
『西は防御が厚すぎる。破れるわけがない』
『ふざけんなよ、死に急ぎたいのか?』
『お前たちの班は、隊の中でも経験を積んだやつが多い。合理的な判断だろ?』
『だからって、隊長のあんたが囮になるのは―』
『勘違いするな、ウィル。……俺たち全員が囮だ』
声を荒げるウィル。説得するオースティン。話の顛末を震えながら見守る隊員たち。
その全員が、静かに一人の少女を見た。
『…結局、お嬢様任せってことか?』
『それが本部の指示だ』
『くそ、バカげてる』
ウィルは吐き捨てるようにつぶやいた。
『時間がない、停戦まであと30分だ。なるべく広い道を開けるぞ』
カナの傍らで、オースティンは覚悟を決めたようにライフルを額に押し当てた。
絶え間なく振り続ける鉛の雨は、さらに勢いを増したように感じられる。夕日が瓦礫の山に反射し、周囲はオレンジ色に染め上げられていた。
『…行くぞ、各員行動開始』
その小さな一言が合図だった。
瓦礫に身を隠していた百ほどの兵士たちが一斉に駆け出していく。
土煙とともに、所々で血しぶきが舞っていた。隊は二手に分かれると、向かって右手にオースティン率いる小隊が、左手にウィル率いる小隊がそれぞれ突入していく。
目標は、激しい銃撃戦でも傷一つ付かない銀箔の古城だ。不思議なほど、不自然なほど、きれいにその形を保ったままの建物から、紅色のヘルメットが顔をのぞかせていた。しばらくして、その古城の扉付近で爆音とともに大きな炎が上がる。
――合図だ。
途端に、カナは駆け出していた。
少女は、サブマシンガンに身を隠すように前進する。
すぐ隣には、先ほどまでうずくまっていた黒人兵士が併走していた。
ふと彼を見れば、その表情は諦めが滲んだような、そんな曖昧な笑みを貼り付けていた。ライフルを抱える逞しく太い腕も、細かに震えている。
彼と目が合う。
何かを伝えたかったのか、片目を閉じて微笑みかけると薄く口を開いた。
その直後。
────あるべき場所にその姿はない。
頭蓋はその7割が弾け飛び肉片と鮮血を撒き散らしながら、短い呻き声だけを残して。
少女も倒れ込むようにして、転がる兵士のもとへ伏せる。
微かな希望を胸に。
祈るように。
深く目を閉じ、そしてゆっくりと開かれた少女の瞳には、既に息を引き取った黒人兵士の遺体が鮮明に映し出されていた。
思わず絞り出たのは、深いため息だった。
非情。
誰もがそう思うほどに、少女の表情は冷たく、そして無頓着と言わんばかりに、その視線はもう既に黒人兵士から外れ、前方の古城を睨んでいた。
数秒の後に少女はまたも前方へ駆け出す。小さな体をサブマシンガンに隠しながら、瓦礫を踏み分け、不規則に体を揺らし、そしてマシンガンを腰に据えた。
その銃口は数メートル先の怯えきった敵兵をしっかりと捉えている。
その兵士と目が合った。
下手をすれば、少女よりも若く見えるその少年は、懇願するように泣きそうな目で彼女を見つめていた。
激しい銃声が響いた。
毎分800発の速度で繰り出される銃弾は、目の前の少年を幾度と貫き、激しい血飛沫が上がる。撃ち始めて数秒もしないうちに甲高い銃声がなり、弾切れの知らせをあげるまでに、少女の戦闘服は真っ赤に染め上げられていた。
ギリギリと歯ぎしりをする。
奥歯を噛み砕いてしまわんばかりの力で、強く噛み締める少女の表情は依然として冷酷そのものだった。しかし、その胸中では少女も理解し得ない感情が、どくどくと渦巻いていた。
少女は、黒人兵士を思う。
つい先程まで、隣を走っていた兵士だった。
昨晩は共に夕飯を食べた。お世辞にも美味いとは言えない配給のレーションを、彼女らを含めた数人で、談笑しながら貪った。
同じテントで寝た。ぐーすかと大きいいびきをかいていたな、なんてことを思い出すと、冷酷なその表情は微かに震え、少女の瞳は溢れそうなほど水滴が満たしていた。
「ごめんなさい……」
呟く。
いったいどうして、誰が彼女を責めるのか。
しかしながら、彼女の瞳からは絶えず水滴が滴り落ちる。
黒人の兵士。
気さくな彼の最後の言葉が、少女の頭の中を反復した。
彼の頭が弾け飛ぶコンマ数秒前に発せられたその言葉は、誰に向けられたものなのだろうか。彼女を通して、どこか遠くの想い人へ告げられたその言葉は、この地に取り残されたままだ。
────愛してる。
そう呟いた彼は、もうここにはいない。
少女は愛用のサブマシンガンを握りしめると、無表情のまま駆け出して行った。
それから数刻の後。少女は古城の頂点に立っている。
やけにうるさいカラスの鳴き声と、停戦を告げる鐘の音が、歪なハーモニーを作り出していた。
銀箔の古城は依然として凛々しく聳え立ち、その血痕が無くては、つい数刻前までここが戦場だったと信じることもできないだろう。
壁に、床に、天井に。
こびり付いた血痕と、無数の死屍。わずかな希望すら、抱くことは許されそうにない。
それでも。
少女は、静まり返った古城をゆっくりと歩いている。
表情は依然として冷静に、冷徹に。
頭では分かっている。
――もう、ここには誰もいないのだと。
しかし、首を振るのを辞めるわけにはいかないと、そう思った。
生き残った兵士の姿を探すが、その視線の先に動くものはない。
またも大きくため息を吐きかけ。ちょうどその時。
古城のひざ元、大きく積み重なった瓦礫がカタリと動いた。
考えるよりも先に、少女は古城を飛び出していた。屋内の階段の存在も忘れ、窓から飛び出し、10メートルはあろうかというその城壁を飛び跳ねながら下っていく。
そうして息を切らし、血みどろの戦闘服をまとう少女の前には――――。
――タイムアップ。チームA-15がポイントCを獲得。スコアが変動します。
『どこか』で、大きな歓声が上がったことは、佇む少女に知る由もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます