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「まだ、あんたが生まれたばかりのころだったかな。とつぜん、父さんがこのブーツを買ってきたの。メイヤが大人になったら渡すんだって言って」


「へえ」


「靴なんて、サイズがあるものだからって言ったんだけどね。父さん、メイヤにあげるんだって言って聞かなかったの。この靴は履いていくうちに足の形になじんでくるし、ソールの張り替えもできるから、一生ものになるんだって。ブーツのなかのタグ、ちょっと見てみて。たしかPTナントカって書いてあるでしょ?」


「PT91?」


「そうそれ。なんか、このころの革は質がいいんだってさ。父さん、当時も現行品じゃだめだっていって、あちこち探しまわったみたい。男のロマンだとかなんとか言ってたけど、母さんにはどれも同じに見えるし、そういう蘊蓄うんちくはぜんぜんわからないんだけどね」


 たしか、このころのエンジニアブーツは今のものとディテールが違うという話をファッション誌のヴィンテージ特集で読んだ覚えがある。バックルの位置が現行品より下の方についていて、マニアのなかでは人気があるのだそうだ。


「本当は父さんが自分で渡したかったんだろうけど、死んじゃったからね。だから代わりに母さんが、大人になったメイヤに渡すことにしたの。ハタチの誕生日と迷ったんだけど、あんたもそろそろ色気づいてるみたいだし。それに、ほら、十五歳っていったら、昔でいう元服だからね」


 ゲンプク? なんだろ、それ。セップクの仲間だろうか。


 よくわからないけど、まあ、いいや。とにかく嬉しい。


「ありがとう、母さん」


 だって大好きだった父さんからのプレゼントなのだ。ぼくの機嫌はさらによくなる。


「それからね、メイヤ……」


 母さんがおだやかに言葉を続ける。なにかさらにいい話でも聞けるのかと思い、ぼくは目を輝かせた。


「これのことなんだけどね……」


 母さんは、エプロンのなかからプリントの束をとり出した。


「げっ」


 思わず声がもれてしまう。


 それは。


 実力テストの答案である。


「これは、どういうことかな? メイヤ」


 笑顔の下に般若がいる。


 母さんはきっと部屋を掃除したときに、机のうえで見つけたんだろう。


 ていねいな口調と、顔に張りついた笑いが怖い。警報発令。ありとあらゆるアラートが心のなかで鳴り響く。


「メイヤ! あんたは、いいかげんにしなさーい!」


 雷が落ちる。


「あんた、次のテストでまともな点数とらないと、母さんあんたをこの家から叩き出すからね!」


 ギザギザの吹き出しが、右の耳から左の耳へと貫通する。


 べこんとへこんだが、そんな言葉も今日だけは大好きな父さんのブーツに免じて聞き流そう。


 家の外でどこかの猫がのんきににゃーと鳴いていた。

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