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冬休みが終わり、学校が始まりました。体育館での始業式が終わり、廊下は教室へ戻る生徒でごった返しています。
恭子の数メートルほど前を、里穂ちゃんが歩いているのが見えました。
久しぶりに里穂ちゃんに会えたことが嬉しく、恭子は肩で人を押し退けながら近づきました。人と人との間に体を滑り込ませ、何人かの足を踏んだ気がしましたが、恭子は気にしませんでした。
「里穂ちゃん、久しぶり!」
恭子の声に、里穂ちゃんが振り返りました。里穂ちゃんの隣を歩いていた牧野さんや、その周囲の生徒も振り返りました。恭子は自分で思っていたよりも、少しばかり大きな声を出していたようです。
しかし、出してしまったものは仕方がありません。恭子はとりたてて気にすることなく、里穂ちゃんの横に並びました。
「学校がないから里穂ちゃんに会えなくて寂しかったなあ」
そうだね、と里穂ちゃんがいつものように、控えめな相槌を打ちました。恭子と里穂ちゃんのすぐ後ろを、牧野さんが黙って歩いています。
「冬休みはどうだった? 私はおばあちゃんの家に帰省したよ。前に話したことあるかもなんだけど、おばあちゃんは長野に住んでてちょっと遠いから、お父さんがずっと運転してて大変そうだったなあ。高速道路で何時間座りっぱなしだったんだよ。お尻痛くなっちゃった。確か夜の八時過ぎとかだったかなあ、到着する頃にはみんなぐったりしててね、おばあちゃんがご飯作ってくれてたんだけど、食べたらすぐ寝ちゃったの。で、次の日はちゃんと早起きしておせちの準備したんだ。里穂ちゃんとこはおせちは作ったりする? うちは毎年手作りなの。あれ、すごい大変なんだよ。まず品数が多いし、手間もかかるし。黒豆とかなますとか栗きんとんとか、これ以外にも色々作ったんだ! 家族全員で準備してたけど全然終わらなくて、結局大晦日の夜までかかっちゃった。大晦日はすき焼きを食べて、紅白歌合戦を見てたんだ。そうそう、紅白歌合戦に出てたなっちゃん可愛かったなあ。里穂ちゃん見た? 私もなっちゃんの顔になりたいって思っちゃった。もう全部のパーツを取り替えたいもん。お父さんは紅白の後もビール飲んでゆく年くる年まで見てたんだけど、私はすぐ眠くなっちゃったんだよね。なんかもったいなかったなあ。せっかくなら夜更かしでもすればよかっ」
「おはよう牧野」
恭子のすぐ後ろで、和也の声がしました。恭子はびくりとして、思わず口をつぐみました。
和也は片手をあげて、恭子と里穂ちゃんにも挨拶すると、颯爽と三人を追い抜いて行きました。和也の後ろ姿は瞬く間に人混みの中へ消えてしまいました。
「じゃあ、私は席に戻るね」
いつの間にか教室に着いていました。
恭子から離れるように、里穂ちゃんは足早に自分の席に向かいました。恭子が返事をする暇さえ、与えてくれませんでした。
「恭子ちゃんってさ」
振り返ると、恭子のすぐ後ろに牧野さんが立っていました。
「紗奈ちゃんにそっくりだよね」
「え?」
恭子は牧野さんの目を見返しました。ただのガラスがはまっているような、どれだけ見つめていても底が見えない、無機質な印象を与える目でした。
教室の入り口付近で立ち止まった恭子と牧野さんを、他のクラスメイトたちが避けて行きました。
恭子には、牧野さんの言っていることが理解できませんでした。
恭子と紗奈ちゃんがそっくりとは、どういう意味でしょうか。はっきり言って、恭子は紗奈ちゃんのことを少しばかり軽んじていました。紗奈ちゃんなんて、恭子と同じ高さに立ってすらいないと思っていました。
それなのに、紗奈ちゃんが私の真似をしているとかではなく、私が紗奈ちゃんに似ているなんて。恭子は自尊心を傷つけられた気分でした。
「……牧野さんは、里穂ちゃんとは全然似てないね」
恭子は言葉を絞り出しました。苦し紛れの言葉でしたが、嘘ではありませんでした。
恭子から見て、牧野さんは明らかに、里穂ちゃんには不釣り合いでした。里穂ちゃんと一緒に歩くべきなのは、恭子なのです。
動揺している恭子とは対照的に、牧野さんは落ち着いた様子で頷きました。
「そうだよ」
話は終わったとばかりに、牧野さんは恭子から目を逸らし、里穂ちゃんの後ろの自分の席に向かいました。牧野さんの隣の席には、すでに和也が戻っていて、牧野さんが席に座ると、体を傾けて話しかけました。
一人で立っているわけにもいかず、恭子も自分の席に向かいました。少しして、紗奈ちゃんが戻ってきました。
「あ、恭子久しぶりい! 元気だった?」
教室中に紗奈ちゃんの声が響きわたりました。恭子は気づかないふりをしたかったのですが、それは無理な話でした。
ラジオのように流れる紗奈ちゃんの言葉を浴びながら、恭子は牧野さんの方を窺いました。紗奈ちゃんの声など耳に入っていないように、牧野さんと和也と里穂ちゃんがおしゃべりをしていました。
「牧野さんと和也って、付き合ってるのかなあ」
ひとしきり冬休みの思い出話を垂れ流してから、突然、紗奈ちゃんが声を潜めて言いました。
「えっ?」
それまで紗奈ちゃんの話を聞き流していた恭子は、つい身を乗り出してしまいました。これまでよりも大きな反応が返ってきた紗奈ちゃんは、見るからに嬉しそうに、ますます声量を落としました。
「紗奈、見ちゃったんだよね。二人が一緒にららぽにいるところ」
紗奈ちゃんの鼻の毛穴に脂が詰まっていました。
「そうなんだ」
本能的な嫌悪感を抱いた恭子は、紗奈ちゃんから体を離しました。
「話しかけようか迷ったんだけど、なんか声を掛けづらくてさあ。すごい楽しそうだったし」
恭子の反応を伺うように、紗奈ちゃんの瞳が細かく揺れました。恭子は、紗奈ちゃんの下品な好奇心を感じ取りました。
「知らないけど、別に部外者が首を突っ込むことでもないでしょ」
突き放すように言い、恭子は紗奈ちゃんの目を見返しました。
今、恭子が目を逸らしたら、紗奈ちゃんの思う壺だと思いました。恭子は内心動揺していましたが、そんなそぶりはおくびにも出してやりませんでした。
紗奈ちゃんは「まあそれはそうなんだけどさー」と目を泳がせ、少し残念そうにもごもごと唇を動かしました。
小さな優越感と、それを上回る大きな悔しさの中で、恭子は親指を触りました。
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