第16話 心愛高校 陸上部

 入学式の当日は各クラスに分かれてのオリエンテーションのみで終了した。真矢と仁美はさっそく入部申請のため陸上部の部室を訪れた。スポーツ系のクラブの部室は体育館の正面にずらりと並んでいる。その鉄製の扉に『陸上部』と書かれた札が掛かった部室のドアをノックする。すぐに中からの返事があったので扉を開けて、中を覗く。

「こんにちは。入部希望者なんですけど」

「はい、ようこそ。じゃ、この入部申請用紙に名前とクラスを書いてね」

 真矢は1年A組、私は1年C組。ちなみに1年はA組からE組が普通クラス、G組が文系進学クラス、H組が理系進学クラスになっている。なぜかF組はない。2、3年生には普通クラスとしてF組があるから、その年の生徒数によって存在したりしなかったりするらしい。

「どうもありがとう。私は現3年生で部長の成瀬不二子って言います。よろしくね。えーと、1年C組の篠田仁美さん、1年A組の岡部真矢さん、か……え?岡部真矢さんってあの岡部選手?去年の全中の100mで優勝した?全中の記録保持者の?」

 なになに、とその他の部員も集まってくる。

「篠田仁美って全中の100mハードルの優勝者では!?二人ともU16 ジュニア陸上でも確か決勝まで残った、あの岡部さんと篠田さん?」

 部室に置いてあった陸上の雑誌をめくっている先輩もいる。私達はU16ジュニア陸上の後、インタビュー記事が写真付きで陸上の専門誌に掲載されたことがある。その年、真矢はU16でも優勝し、私は2位だった。

「これこれ、この記事。わー、本物やん!」

「スポーツ推薦で今年からこちらにお世話になることになりました」

 そう挨拶したら、みんな声を揃えて、

「なんで、うちの学校なの!?」と返された。

「え、なんでと言われましても、推薦枠あったし……」

 仁美はどう説明しようか戸惑ってちらっと真矢を見た。真矢は人前で話すのがあまり得意でない。前を見つめたまま固まっている。そのとき、

「今年、我が陸上部では初めて推薦で新入生を採りました。これまでの実績が認められた結果です!」

 顧問の先生がそう言いながら入って来た。まさにグッドタイミング。

「はじめまして、じゃないか。お久しぶり。陸上部顧問の柴田真子です。うちに来てくれて嬉しいわ。これからいっしょにがんばって行きましょうね」

「ありがとうございます」と二人で頭を下げる。

「マコちゃん、なんでこんな凄い人らがうちなんかに来るん?」

 顧問の先生は『マコちゃん』って呼ばれているらしい。きっとアットホームなクラブなんだな。スパルタ系じゃなくてよかった。仁美は内心でほっとした。

「おいおい、うちなんかってことはないでしょう?去年のインターハイじゃ100mと100mハードルで上位入賞したし、中、長距離でもフィールドでも結構みんな出場できたじゃない。もっと自信を持っていいと思うよ。岡部さんや篠田さんが来てくれたことが、その何よりの証拠だよ」

「いやいや、それにしても、二人とも京都の出身だったよね。なんでわざわざ長崎?って思うじゃん。大阪とか近くに陸上のめっちゃ強い学校いっぱいあるのに。あ、別に来て欲しくないって言ってるんじゃないよ。ただ、普通に気になるって言うか」

 この人達はあのSNS上に流れていた噂を本当に知らないんだろうか。でも、こちらからカミングアウトしてヤブヘビになるのも嫌だし。そう思っていたら真矢が話しだしたのでちょっとびっくりした。

「確かに強豪校からのスカウトがあったのは本当です。でもいざ推薦くれた高校に願書出したら、断られちゃって」

「そんな!どうして?」

「私達は中学まで違う学校だったから、高校はいっしょの学校に行こうねって約束してて。でも二人いっしょは困るらしくて」

 真矢は探るように遠回しにそう説明した。

 部員の人達がざわめき出す。ああ、あの噂かって思ったんだろうな。やっぱりこの人達も知っているんだ。そこで顧問の先生が引き継いで話し出す。

「私は陸上競技は記録がすべてだと思ってる。タイム、高さ、飛距離、それがすべて。だから私は陸上が好きなの。どんなに性格悪くても、ぶさいくでも、関係ない。芸術点なんてないからね」

 マコちゃんはそこでちょっと言葉を切って周りを見回した。部のみんなから苦笑いが漏れる。

「記録を残した者が勝つんよ。そして私達は勝つために日々練習を重ねてる」

 みんな真剣な顔で顧問の先生の言葉を聞いている。

「岡部さんと篠田さんの噂、ネットで見たことあるわ。もちろんそれを知ったうえで二人を預からせてくださいとお願いしました。高い目標が目の前にいるってとてもラッキーなことだよ。みなさんはただ上を目指して努力してください。お互いに切磋琢磨して上達していくことが部活動のあるべき姿だと私は思います。どうかな、みんな」

 成瀬部長はざわつく部員を一瞥して、

「何も問題ありません。陸上部を代表して二人を歓迎します。今から二人は心愛女子高校陸上部の仲間です」

 成瀬部長がそう宣言してくれて、他の部員からも拍手が起こったときには、真矢も仁美もちょっと泣きそうになった。やっぱりこの学校に来て正解だった。

 その日からさっそく真矢と仁美は陸上部の練習に参加することになった。グラウンドでストレッチ、ジョグ、スプリントドリルなどのウォーミングアップを一通り行った。

「なあ、マコちゃん。あの二人の走り見てみたない?」と成瀬部長。

「そうだよね!実は私も早く見たくてウズウズしてたんだよ。じゃ、ハードル並べようか」

「高さは84cmでいいのかな?76.2cm?」

「うーん、中学生までは76.2cmだしねえ。どうだろう」

 篠田さん、岡部さん、とマコちゃんに呼ばれた。

「ハードルの高さは76.2cm?84cm?どっちがいい?」

 ああ、さっそく走れってことなんだ。仁美は理解した。

「84cmでお願いします」

 へえ、という顔でマコちゃんと部長が顔を見合わせた。

「よっしゃ、じゃ84cmで」と言う訳で、10台のハードルが2レーン分並べられた。

 ハードルの高さは高校からは成人と同じレベルの高さになる。つまり日本選手権や世界の公式大会で争われるのと同じ高さということだ。この高さで勝って初めて公式な評価が得られると言ってもいい。

 仁美たちは中学時代に陸上教室ですでに高校レベルの高さを飛んでいたから、ハードルの高さへの対応は問題ない。

「二人のレベルを知っておきたいので、岡部さんと篠田さんにさっそく走ってもらいます。岡部さんと篠田さんは準備しておいてね」

 中学を卒業する前、陸上教室でも最後の記録会が行われた。真矢も仁美も短距離の100m、200mの2種目と、100mハードル、走り高跳び、走り幅跳びについて、記録をとってもらった。そのときの100mハードルの高さは84cmだった。タイムは13秒80。全中やU16のタイムはもう少し速かったが、ハードルの高さが中学標準だったのであまり参考にはならない。でも、中学生になって初めて84cmを飛んだときから比べると1秒くらい速くなっていて、とても嬉しかった。身長が伸びてストライドもそれにつれて伸びた。

 3年間で1秒?と思われるかもしれないが、高校3年間でもう1秒速くなったら12秒台で、インターハイ記録を更新できるだけではなく、大学生以上の一般のトップ選手達が闘っているレベルになるってことだ。逆に言えばここから1秒縮めるのがいかに難しいかという話なのだ。

「去年のインターハイで上位入賞した子は卒業しちゃったから、現時点でうちで一番速い子と走ってもらいます」

 今年3年生になった木下さんに「よろしく」と笑顔で挨拶されたけど、目が真剣だ。

 スターティングブロックに両足を付け、両手を地面に着いて構える。U16以降、競技会への参加はなかったから、こういう感覚は久しぶりだ。

 笛の合図で飛び出す。初めて走るトラックの感触を全身で感じながら次々とハードルを超えて行く。ああ、気持ちいい。

「篠田さん、速!13秒90。木下は15秒20」

 真矢も100mを走った。

「岡部さん、速!11秒90。榎並は13秒50」

「うーん、現時点でのうちのエースより1秒以上速いねえ。こりゃ凄いわ。私、いい子を取った!」

 顧問の『マコちゃん』は自画自賛した。でも、これは責任も重大だわ、とあらためて気を引き締めるのであった。


 寮には浴室に隣接してトレーニングルームがあって、夕食後もトレーニングルームで軽く筋トレする。

 夕食後、そのまま入浴や休憩で体を弛緩させてしまわず、軽く筋トレすることによって食べたものが筋肉に効率よく変換される、らしい。

 筋肉は動かなくてもカロリーを消費するから、無駄な贅肉が付きにくくなる、らしい。

 中学校の部活とは全然違う。陸上教室では似たようなことをやっていたけど、ここでは大好きな陸上と24時間、365日、本気で向き合って行けるんだと思うとうれしくて身震いすら感じるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る