第13話 バレンタインエピソード

 2月と言えば陸上の短距離はオフシーズンで、マラソンや駅伝の季節である。真矢や仁美たち短距離の選手にとっては春からのオンシーズンに向けて、基礎トレはもちろん、ひたすら走り込みを行って、筋力、持久力のアップを図る季節である。

 そして2月14日と言えばバレンタインデー。女子が男子にチョコレートを送って愛を告白する日である、らしいが、真矢や仁美の周りにはそんな子は全然いなくて、もっぱら女子同士でチョコレートを交換するのが恒例である。

 ただ、仁美はちょっと事情が違った。小学校の低学年の頃からバレンタインデーには学校の下駄箱にチョコレートが入るようになった。ただそれらが全て女子からなのだ。

 体を動かすことが大好きでいつも男の子のような服装をして、ショートヘアで快活だった仁美は上級生にも人気があったらしく、バレンタインデーには上級生からもチョコレートをもらった。

 相手は仁美がかわいいってだけでチョコをくれていたらしいのだが、その頃の仁美にはそんなことが分かるはずもなく、仁美は最初、律儀にチョコをくれた人達全員にお菓子を買ってお返しをしていた。

 名前も顔も知らない子達からチョコが届くものだから、本人を探し当てるのに大層苦労したのだが、あまり時間が経っては失礼かと思って、必死に学校中を駆けずり回った経験がある。

 特に上級生の教室まで尋ねていくのはとても勇気が必要だった。お返しのお菓子を渡しにいった教室でたくさんの女の子に囲まれて「かわいー」と持て囃されるのは、仁美には意味不明でなんとも居心地が悪かった。でも嫌な顔もできないので仕方なく愛想笑いを浮かべているしかなかった。

 そのうち、相手もお返しを望んでいるわけではなく、ただ気持ちを伝えて満足しているのだと気づいてからは、お返しを配って歩くのは止めにした。でも、それに気づくまでの苦労は大変なもので、仁美は毎年バレンタインデーが近づくと憂鬱な気分になったほどだった。

 中学生になって、仁美の下駄箱にはますますチョコの数が増える一方で、相変わらず上級生からのものも含まれていた。そして相変わらず全て女の子からなのだった。

 もらったチョコは、一旦バラして包み直し、陸上教室へ持って行って、男子やコーチに義理チョコとして配らせてもらっている。申し訳ないが、全部食べるわけにはいかないのが現実なのだ。

 でも手紙が付いている場合はちゃんと読む。返事は、どう書いていいのか分からないので書かない。

 真矢もそんな事情を知っているから、仁美にチョコをあげたことはない。毎年、あまったチョコを仁美からお裾分けしてもらっている。

 今年も仁美は大量のチョコを持って陸上教室に現れた。男子に投げるようにして配っている。そして5、6年生それぞれのコーチの元へ走っていって、

「いつもありがとうございます。好きです!」と言ってチョコの包を差し出すのだ。5年生のときからの恒例行事だ。

 コーチは二人だから、その時は真矢も引っ張り出される。でも真矢は恥ずかしくてそんなセリフはとても言えない。仁美が渡すのと同時に黙ってチョコを差し出すだけだ。

 現在お世話になっている中学担当のコーチと、陸上教室の校長先生にも二人で渡す。やっぱり仁美が「好きです!」って言う。

 校長先生はニコニコしながら「毎年、ありがとう」ってお礼を言ってくれる。

 中学担当のコーチは、

「おお、篠田も岡部もありがとう。俺も好きやぞ!」と言って、私たち二人の頭をぐりぐりと撫でてくれるのだ。

「好きです」なんてセリフをさらっと言える仁美の性格が真矢には正直うらやましい。真矢は仁美に対してもまだ、好きって照れてしまって言えない。仁美が誰からも好かれる理由がよく分かる。そして同じことは自分には絶対できないと言うことも。

 陸上教室が終わって帰ろうと二人で歩いていたら、

「はい、真矢。好きだよ」と言いながら仁美がチョコを真矢に差し出した。

「今年はお母さんに教えてもらって、初めて手打ちチョコを作ってみました!」

「え、ごめん。私なんにも用意してへん」

「ええって。ホワイトデーに返してな」

 味はあんまり保証できひんけどなって、ちょっと恥ずかしそうに仁美が笑う。

 真矢は「わかった。ありがとう」って言ったあと、勇気を出すのにちょっと時間がかかったので間が空いてしまったが「仁美、好き」ってなんとか小さな声で言うことができた。仁美はちょっとびっくりした顔をして、すぐにうれしそうに笑顔を返してくれた。

 真矢って好意を相手に伝えるのがすごく苦手なんだ。なにかトラウマになるようなことでもあったのかな。だから仁美はなるべく頻繁に好きって気持ちを真矢に伝えようと心がけている。真矢が好意を伝えやすいように。

 まあ、「好き」って口に出して言ったり、手を繋いだり、ときどきキスしたりするだけだから、本当に私が好きでやっているだけ。やめろって言われてもやるけどね。仁美は俯いて赤くなっている真矢の左手にそっと自分の右手を絡めた。

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