第8話 陸上部 記録会
真矢は小学校6年生で出場した市の大会で優勝した時、100mを13秒台で走っていたから、すでに全中の全国大会出場の標準記録に近いタイムで走っていたことになる。この前、スパイクを履いて走ったときのタイムはそこから1秒以上早い12秒前半だった。これは去年の全中の決勝レベルのタイムということになる。
「真矢は凄いなあ。順当に行けば決勝進出は確実、上手く行けば優勝できるかもしれへんやん」
「仁美は100mハードルのタイムを一般の高さでしか見てんへんやろ。全中の高さでいっぺん測ってもろたら?」
スパイクを履いて100mハードルのタイムを計測をしたところで私はちょっとへこんでいた。ハードルの高さが上がっているとはいえ14秒80。全中の決勝レベルだと少なくとも13秒台、できたら前半くらいで走らないといけないのに、そんなにタイムが縮まるのだろうかと自信がなくなったのだ。
「だいたい高さもインターバルも今までと違うハードル飛んでんのやから、そんないきなりいいタイム出るわけないやん」
「全中の高さで走ってタイムがよくなかったら、もっとへこんでしまいそうで怖いねん」
「仁美って変なとこで臆病なんやな。意外と寂しがりなとこもあるし」
「寂しがりは今関係ないやん」
「そういえばそろそろ学校で記録会があるんとちゃう?うちの学校は来週の土曜日にやるって言ってたけど、仁美んとこは?」
全中は基本一人一種目しか参加できない。種目ごとの参加人数にも制限がある。各学校の陸上部では各種目の代表を選抜するための記録会が行われる。
仁美の学校では5月のある土曜日の午後、記録会が行われることになっていた。仁美はこの日のために初めて学校にスパイクを持ってきた。先輩たちは全員スパイクを履いて出走するだろう。
仁美の学校では1年生はまだ陸上を初めて間がない子がほとんどで、この時期では100m走以外の種目はほぼ素人と言っていい。なので、100m走以外の種目はすべて2、3年生が代表に選ばれるのが通例だった。
その日、部室のホワイトボードには各種目毎の代表候補者の名前が書かれたエントリー表が貼られていた。学年別に代表枠がある100m走は別として、それ以外の種目の代表候補者はすべて2、3年生だった。
代表候補者の記録を計測して、成績順で種目毎の代表者を選出する。代表者は地区やブロックでの予選会に参加し、上位入賞者のみが府大会に出場できる。ただ、全国に行けるのは府大会の上位入賞者ではなく、あらかじめ設定された標準記録を突破した者だけだ。つまり上位に入賞しても、たとえ優勝したとしても標準記録を突破しなければ全国大会には出場できない仕組みで、この点で勝ち上がり方式のインターハイとは大きく異なる。
記録会のエントリー表は2、3年生が相談して作ったんだろう。複数の種目にエントリーされている人も結構いるが、基本一人一種目しか参加できないから最終的には記録会の結果から各種目の代表者を幹部が選抜することになるのだろう。
でもこれでは仁美が出場したいと思っている100mハードルは記録会にすら参加できないことになってしまう。学校代表にならなければ全中はおろか予選会にも出場できない。そんなの絶対だめだ。真矢といっしょに全中を走るって約束したんだ!
誰に言えばいい?顧問の先生は見当たらない。やっぱ部長かな。でも部長は男の人で、話したこともないんだけど。運動場でハードルを置く位置にラインを引いてる。
「あの、皆戸先輩」
「ん?」
部長がこっちを見た。
「私1年の篠田です。今日の記録会のエントリーのことでちょっとお話ししたいことが」
「なんや」
無愛想。怖そう。怯んでしまいそうになる。
「あの、私も100mハードルにエントリーしたいんですけど」
「はあ?1年でハードル飛べんの?まだやったこともないんとちゃうの?タイム測ったってしゃーないんとちゃう?」
声大きい。頭ごなしに言われて肩が竦む。その声で周りの人の視線がこっちに集まるのを感じる。何事かって思ってるんだろう。
「あの、私小学校のときから陸上やってて……」
「おーい、進堂」と部長が呼んだのは女子で副部長の進堂先輩だ。こいつ私の話なんか聞いちゃいねえ。やっぱ最初から進堂先輩に言えばよかった。
呼ばれてやってきた進堂先輩が部長と私を交互に見る。
「どうしたん?」
「この1年生が100mハードルにエントリーしたい言うてんねんけど」
「篠田ちゃん?ほんと?」
「はい。私小学校の時から陸上やってて、ハードルも習ってました。市の小学生陸上大会でも決勝まで残ったし」
「ほう。自己ベストはどれくらい?」
「この前測ったときは14秒80でした」
「どこで測ったの?」
「西京極競技場のサブトラックで、陸上教室のコーチに測ってもらいました」
「100mだよね」
「はい」
「ハードルの高さは?」
「そのときは84cmでした」
部長と進堂先輩が顔を見合わせる。部長が、
「ウソやろ?」
ムカッときた。なんでそんなこと言われなあかんの?
「ウソと違います!」
「まあまあ、実際に測ってみたら分かることやん。よっしゃ、篠田ちゃんは小学校から陸上やってたんやったら記録会に参加してもらお。その代わり100mの1年生代表は他の子になるけどいいね」
「はい」
100mで代表になっても真矢がいるんだから勝てっこない。はなから100mハードルしか考えていない。
「じゃ、とりあえず記録会の準備手伝ってね」
「はい」
進堂先輩、話分かる!部長のボケとえらい違いやわ。私はみんなが準備しているところへ走っていった。
「14秒80言うたらほとんど全中の標準記録やろ。しかもハードルの高さが一般の84cmってありえへん。絶対ウソや」
「まあ測ってみたら分かるやん。でも76.2cmやったらもっと速くなるってことか」
二人がそんな会話をしていたことを仁美は知らない。
エントリー表を見て気づいたことだけど、中、長距離ってやっぱ3年生がほとんどだ。持久力、筋力の差がでてくるからだと思う。進堂先輩は走り高跳びにエントリーしてる。先輩は背が高くてかっこいいから1年生の間でも人気がある。ちなみに部長は110mハードルにエントリーしてる。へえ、ハードラーだったのか。どうでもいいけど。
100mハードルには2年生が1名、3年生が2名エントリーしてる。代表者の人数に特に制約はないらしいけど、やっぱタイムで選抜するんだろうな。上級生がどんな走りをするのか見てみたい。もちろん勝ちたいけど、私より速い人がいたら仕方ない。タイムがすべての世界だから。
土のグラウンドでスパイクを履いて走ったの初めて。昨日、土用のピンに交換しておいた。やっぱりトレーニングシューズで走るとは全然ちがう。土は滑りやすいから踏切足のグリップ力が高いスパイクの安定力は絶大だと感じた。
タイムはその場では教えてくれない。ただ、自分的にはいい走りが出来たと満足している。これで負けたら仕方ない。
「篠田ちゃん、参考に100mのタイムも測るから走ってみて」
進堂先輩に言われて走ってみたけど、やっぱ真矢には全然かなわないや。
各種目の代表者の選考には結構時間がかかったようで、発表があったのは翌週の土曜日のことだった。
私は100mハードルの代表に選ばれた。記録は14秒フラット。自己記録を更新しちゃってる!タータンのトラックだったらもうちょっと伸びるかもしれないことを考えると、私、結構いいとこまでいけるかも!
「篠田さん、すごいやん」
「なんであんなに軽々とハードル飛べるわけ?」
「めっちゃ速かったもんなあ」
同級生の子たちが祝福してくれる。
100mハードルの代表は私と3年生の先輩の2名だった。選ばれなかった先輩は全中には出場できないってことになるんだ。3年生はこれが最後の全中になる。そのせいかな、なんか部室の雰囲気が重いような気がする。
「1年で代表に選ばれるなんてすごいやん」
「うん……ありがと」
そうお礼は言うものの、やっぱ大喜びできない雰囲気かも。
進堂先輩はハイジャンプの代表に選ばれてる。当然だよね。ちなみにあの部長も110mハードル代表か。
「2種目出場なんてかっこええなあ」
「え?」
「そやかてリレーの代表にも選ばれてるやん。1年生でリレーの代表に選ばれるなんてめっちゃ凄すぎ」
「ええ!?」
「100mのタイムの速い順に4人選んだんだけどね。篠田ちゃん、100mも速かったんだよね。でも100mの1年生代表にはなれなかったからリレーの代表ならいいかなと思って」
「本当に私が出ていいんでしょうか」
「陸上は記録がすべてだよ。学年とか年齢とかなんて関係ない。確かに3年生はこれが最後の全中ってこともあるけど、高校行ったらインターハイもあることだし、努力次第でいくらでも活躍できるわけだから。みんな説得して了解した結果だから篠田ちゃんが気にするようなことじゃないよ。篠田ちゃんは少しでもいい記録を残せるように励んでくれたらええねん」
進堂先輩はそう言い切った。先輩にそこまで言われてはがんばるしかない。
「へえ、いい先輩やん、進堂さん。うちんとこなんか100mはうちが一番速かったんやけど、リレーの代表は3年生ばっかりやで。まあ、日本は年功序列社会やし、文句言うても嫌な顔されて部に居辛くなるだけやもんな。うちは100m出られたら文句ないし」
「でもみんなほんとに納得してくれてるんかな。特に3年生とか今回で全中最後やろ」
「ブロック予選は勝ち上がり式で上位入賞者しか次の大会に進めへんわけやから、無理にタイムが遅い選手が出場しても予選で負けるだけやん。それより可能性のある選手を選ぶのはあたりまえやろ。リレーはまあ、3年生の最後のお祭りみたいなもんで、勝つ気なんて全然ないみたいやけど。でもリレーに出場できるってことはバトンパスやテイクオーバーゾーンの使い方とか、一人では練習できひん技術を学べるわけやし、絶対いい経験になると思うよ。がんばれば?」
真矢がちょっと他人事みたいに言った。
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