第2話 出会い1

 仁美は足が速くて、小学校の運動会のリレーでは1年生のときからずっとクラス代表に選ばれてきたような子供だった。

 学校の先生が、きちんと陸上競技をやってみてはどうかとすすめてくれたことがきっかけで、市内の陸上競技施設で運営されている小中学生を対象にしたジュニア陸上教室に通い始めた。

 陸上競技施設には、大きな公式大会もできるような観客も入れるスタンドを備えたトラックの他に、一般の団体にも開放されているサブトラックがあって、ジュニア陸上教室は、そのサブトラックで週一回、日曜日に行われていた。

 小学校5年生になった春、仁美はそのジュニア陸上教室に入会して、真矢と出会った。

 仁美と真矢は同じ市内に住んでいるとはいえ、別々の小学校に通っていたから、出会いはまったくの偶然だった。

 これまで足には自信があったが、ここにはそんな足自慢の子どもたちばかりが集まっている。学校という狭い世界から一歩踏み出してみて、自分の足がどこまで通用するものか、怖いけど試してみたい気持ちもあった。

 ハードルや走り幅跳び、走り高跳びなども体育の授業ではなく、ちゃんと競技としてやってみたいと思った。

 そもそもトラック自体がめずらしかった。地面の土が赤いと思ってはいたけど、土じゃない。

 サブトラックに初めて踏み込んだときの衝撃は大きかった。歩くと弾力があって、足がすべらない。これならもっといいタイムで走れそうな気がする。早く走りたくてうずうずする。

 足の下の感触が珍しくて、その感触を確かめたくて、つい軽く走り出してしまう。そうしてトラックを軽く走ってると、ふと同じように走っている少女が目に入った。

 その少女は長い髪をポニーにしていて、走る体の動きにあわせてその髪がまさに馬のしっぽみたいに上下に揺れている。

 背丈は仁美と同じくらい、手足が長くて、まるで子鹿がステップしているみたいに軽やかで、きれいで、ちょっと目を見張ってしまった。この子は速い。直感的にそう思った。

 コーチと思しき男性の合図で全員集合する。

 6年生は2年目になるからだろうが、みんな落ち着いた感じ。背丈も大きく、陸上教室で決められているお揃いのユニフォームを着ているが、その使い込んで体になじんだ感じがベテラン?ぽくてかっこいい。

 5年生もあらかじめ自分のサイズにあわせて購入したユニフォームを着ているが、おろしたてで、まだピカピカで貸衣装を着てるみたい。

 ほとんどが初めて会うわけだから、まだお互いよそよそしくて、勝手が分からなくておどおどしてる。もちろん私も。

 その日、新しく入った5年生は柔軟体操をして、軽くランニング。その後100mのタイムの計測。

 まずは計測に先立ってスターティングブロックの使い方やスタートフォームのことを教えてもらう。

 100mのタイムの計測のとき名前が呼ばれる。それであの子が岡部真矢って名前であることがわかった。

 私はその子をじっと見つめていた。

 スターティングブロックをコーチに調整してもらいながら、適切な足の位置、手をつく位置、幅などのアドバイスを個別に受ける。

 ホイッスルの合図で飛び出した。思っていたとうり速い!

 見たところ女子では岡部真矢が一番早かったように思うが、実際にそうだったのか、何秒だったのか、自分との差がどの位あるのかは分からなかった。

 全員の計測が終了して再度集合したところで一人一人のタイムが公表された。

 速いもの順ではなく、走った順に発表されたので順位は分からなかったが、私は一位のタイムを注意深く聞いていたので、思っていたとおり岡部真矢が一番だったことは分かった。そして自分とのタイム差も。

 入会直後のタイムから今後どれだけあがっていくか、各自楽しみにするようにとのこと。今日はそれで解散となった。

 みんななんとなくバラバラと帰っていった。

 私はなんとなく岡部真矢を目で探してみたが、見当たらなかった。もう帰ってしまったのかな。

 私は知った子もいないし、まだ友達もできていないので、一人で帰るしかない。

 そういえばこの後、中学生の教室が行われるはず。中学生がどんな練習をしているのか興味があった。どうせ一人だし、ちょっと見学して行こうかな。

 別に練習が終わったからと言ってサブトラックから追い出されるわけでもないし、陸上教室のユニフォーム着てるから部外者ではないことは分かるだろう。

 私は一度帰りかけて肩にかけたリュックを再び下ろして、さっきまで走っていたトラックに入った。ぶらぶらと走ってみる。ウレタン・サーフェイスのトラックの感触が気持ちよくて、もっと走りたい衝動にかられる。

 指導してくれたコーチの人たちもどこかに行って見当たらない。たぶんお昼ごはんを食べに行ったのだろう。

 そういえばお腹すいたな。お茶しか持って来なかった。家に帰ってお昼を食べるつもりだったからお弁当を持っていない。一人でお店に入る勇気はない。お金もそんなに持っていないし。

 コンビニで何か買ってくるって言ってもこのあたりの土地勘がないので、コンビニがどこにあるのか分からない。

 しょうがない。我慢するか。私はトラックから出て外の草地に腰をおろした。

 何もしないでじっとしているのは苦手。お腹もすいているからなおさらだ。

 バッグからいつも持ち歩いている本を取り出す。普通の子ならスマホでゲームしたり、動画見たりして時間をつぶすのだろうけど、私はスマホは持っていない。

 親の方針で高校に入るまでスマホは禁止。別に不自由は感じない。でもこんなときはちょっとスマホがあったらって思う。

 知らず本に没頭していたらしい。突然頭上から声をかけられてびっくりした。

「なにやってんの?」

 岡部真矢だった。片手にコンビニの袋を下げている。

「岡部さん!」

 彼女は意外そうな顔をして

「私の名前、覚えてくれたん?」

「100m走のとき名前呼ばれたやろ」

「それだけでみんなの顔と名前覚えたん? すごない?」

「ちゃうちゃう。岡部さんだけしか覚えてへん。岡部さん、めっちゃ速かったやろ。そやから印象強かってん」

 半分は本当だけど、半分はうそ。走る前から彼女には惹かれていた。

「ふーん。ところでここで何やってんの?」

「暇やし、午後の中学生の練習を見学しよと思って」

「私といっしょや。隣座ってええ?」

「どうぞ」

 岡部真矢が私の隣に座る。彼女が自分と同じことを考えていたことが分かってうれしかった。

 至近距離で彼女の整った横顔を見つめてしまう。

 彼女がコンビニの袋からジュースを取り出してストローを刺す。ストローでジュースを飲み、

「お腹すいてへん?」と聞いた。

 彼女はコンビニにお昼ごはんを買いに行ってきたに違いない。もちろんお腹はすいてたけど、彼女が気を使っては悪いので、

「ううん。さっき食べたから」って答えた。

「ふーん」

 そう言うと彼女はコンビニの袋から焼きそばパンを取り出した。

「あ、焼きそばパン。私も好きなんだ!」

「はい、どーぞ」とそのパンを私に差し出す。

「え? いやいや、お腹空いてないから」

 会話の進行上、遠慮しないわけにはいかない。

「嘘つき。よだれ出てる」

「ええ!」っとあわてて口の周りを拭くふりをしてしまうのは関西人のお約束か。

 彼女が笑う。

 なんていい笑顔をするんだろう。見惚れてしまうほどきれいだ。

「ありがとう。けど岡部さんは大丈夫なん?」

「私には大好物のコロッケパンがある」

「あ、コロッケパンもおいしいよね」

「よかったらおにぎりもあるで」

「結構、食べるんだね......」

「食べんかったら走れへんやろ」

 結局おにぎりも一個もらってしまった。

 それにしても本当にこれ全部一人で食べるつもりだったのかな。私の分もわざわざ買ってきてくれたって考えるのは自意識過剰かな。

 中学生の練習が終わるまで、私たちはずっと並んで座っていた。

「スパイク、かっこいいよね。あのトラックでスパイク履いて走ったら気持ちいいやろなあ」

「中学生になったら全国大会もあるし、やっぱ本格的やわ。うちもはやく中学生になりたい」

 彼女は家が近いので、ここまでは自転車で来ているらしい。

 彼女と別れての帰り道。電車の駅のホームに立って、真矢って名前のすごくきれいな子と友達になれたことを思って私は一人ほくそ笑んだ。

 彼女と毎週会えると思うと次の練習が待ち遠しい。

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