bmwで捕まえて

 ハルカちゃんの唇を巡る一進一退の攻防は一時間弱続いた。動画で散々学習した筈であったが、僕のグラップリング技術不足で、日を跨ぐまで彼女と額を突き合わせたにも関わらず、彼女の牙城を崩すことは出来なかった。


「もうお姉ちゃん心配するし家帰らな。今日はありがとう。みんなにはこんなことしたの内緒やで。」


この状況でリスクヘッジをしてくるとは流石はハルカちゃんである。これは僕のホールデン・コールフィールド的性質により、イチャついた女の子を過大評価している訳では決してない。ハルカちゃんは本当に賢く、美しく、素敵な女性である。後は僕に口づけさえしてくれれば完全無欠であったのだが。


「こちらこそありがとう。ハルカ元気でな。またすぐ会いに来るわ。」


「マコトも元気でな。初期配属が一緒の同期がマコトでほんまによかったわ。お互い大変になると思うけど、つぶれんように頑張ろ。はぁ。いややなぁ。」


「俺も出雲行くの死ぬほど嫌やけど、ハルカとの楽しい思い出思い出しながら何とか頑張るわ。これからもいい友達でおってな。」


「うん。絶対また遊んでな。」


彼女は車を降り、僕は車を発進させたが、彼女は目頭を押さえながら、バックミラーに映らなくなるまで手を振ってくれた。


 この世には二種類の不幸がある。欲しいものが手に入らない不幸と欲しいものが手に入ってしまう不幸だ。そして大抵の場合後者の方がより大きな不幸である。ワイルドの言葉を思い出して自分を慰める。本当にあの赤いリップで彩られた、薄く上品な唇を手に入れたら今以上の不幸が僕に訪れるのであろうか。どうせ手に入れることが出来ないのだから考えるだけ無駄である。ふと股間を触ってみると下着では無くズボンからカウパー液が染み出していた。今度こそはと期待してくれていた読者諸賢には謝らねばならぬ。僕が成果として諸賢らに報告できるものは、ハルカちゃんと鼓動を共にしたこの心の臓と、月夜に光りながら長く糸を引く我慢汁だけである。不甲斐無い。僕のハルカちゃんに対する感謝と愛は伝えられたし、彼女からの真摯な言葉も受け取った。涙ながらに抱擁も交わした。二年間共に働き、苦楽を共にして来た同期との別れとしてはこれ以上無い程である。しかしハルカちゃんは僕に唇を許してくれなかったのだ。たった好色が欠けただけであるが、彼女と真の意味では心が通じ合わなかったのではないかという疑念を僕に抱かせた。


 結局僕に性的魅力が無かったせいで、マミちゃんも、ハルカちゃんも、アズサちゃんも手に入れられなかった。そして長い人生、自分に強い衝撃を与えなかった人物は忘れ去っていくものだ。僕からすれば彼女達一人一人が、特にマミちゃんは自分の心を掴んだ女性として、共に時間を過ごした際の一挙手一投足が記憶され、僕の中に生き続けるであろうが、彼女達からすれば、僕は自らに思いを寄せて来た数多いる男の内の一人である。いつ忘れ去られてもおかしくは無い。深いため息をつく。僕のこの倉敷での美しい思い出が、数年後には誰とも共有できなくなってしまうのではないかと思うとやり切れない気持ちになった。失意のまま僕は倉敷を後にする。


 Happiness only real when shared.

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