BMW X1
膠着状態に思われたこの戦いに転機が訪れる。恐らく六度目くらいの逢瀬の時であろうか。僕らはホテルのラウンジで飽きずに口論をしていた。
「マコトくんはバリバリお金を稼いでる人に何の憧れも無いわけ?女性から見てもしっかり仕事頑張って稼いで、ちゃんと身の回りの物にお金かけられてる人の方がかっこいいよ。」
六度目の逢瀬だ。Φも随分僕のことを理解してきている。好色の機会を得るためなら、僕がポリシーを曲げるかもしれないと思っているのであろう。確かにマミちゃんと付き合えるのであれば、僕は必要も無い商材を必要だと偽って売りつけるセールスマンにでも転身できよう。しかしΦの口から語られる女性人気のためにポリシーを曲げる程、僕は愚かでは無い。Φよ。惜しかったな。
「憧れませんね。そんなにお金を稼ぐことや使うことに時間を使おうとは思いません。金に頼らずともアイデンティティーを確立できていますからね。この世に価格が変わらない物など存在しません。何故そんな脆弱な尺度で人を評価するんですか?ミキさんが素敵だと思っている男も、大航海時代のコショウみたいな男かもしれませんよ。」
「でもお金以上に万人が価値を認めるものなんて無いの。だからお金が一番客観的な尺度になるのよ。」
「客観性の部分は同意します。ただ僕が価値判断の尺度に求めているのは、客観性ではなく普遍性です。時代や共同体に左右されない価値基準を手に入れるために勉強するんですよ。」
「マコトくんはお金を持ったことがないからお金という価値判断基準の偉大さが分からないのよ。ねえ、今度私普段使いの車買い換えるんだけど、五万円で今の私のBMW売ってあげようか?いいものに触れれば私の言ってることも分かるようになるわ。」
論理は無茶苦茶だが、BMWを五万で売ってもらえるのか。僕もこの時ばかりは直ぐに反論することは出来ず、黙りこんでしまった。正直なところ欲しくてたまらなかった。ただ散々今まで富の偶像的崇拝からの解放を説いておいて、高級車を譲ってくれとΦに嘆願するのは気が引けた。そんなことをしてしまっては、Φに敗北するだけでなく、今までの人生で僕がレプリゼントしてきたすべてのものに泥を塗ってしまうような気がした。そうだ。『オペラハット』のゲイリー・クーパーだ。大金の価値を理解しつつもそんな物に興味は無い。そんな態度で断らねばならぬ。わざとらしく無く、自然に。映画の中の彼を頭にイメージしつつ僕は言った。
「五万ならめちゃくちゃ欲しいです。」
敗北だ。僕の口は正直に動いてしまった。僕自身は高級車に乗ることがカッコいいとは断じて思わないが、高級車に乗っている男は、そうでない男よりも確実にモテるという事実も軽視できない。僕はただ好色一点のために自分の美点全てを質に出したのである。仮に金額に換算するとすれば、中古のBMWと五万円の差額を補って余りある額にはなるだろう。いや、BMWごときで揺らいでいるようでは、一銭の価値も無いかも知れない。
「へえー。BMW欲しいんだ。意外だね。まだ二万キロしか走ってないし、SUVだしいい値段付くと思うけど、友達のよしみで五万で売ってあげるわ。」
Φは勝ち誇ったように言った。屈辱的である。友達になったつもりは無かったが、否定は出来なかった。金で人を動かすとはこういうことなのか。
「ありがとうございます。足なくて困ってたんで、助かります。」
僕は高級車を欲していたのでは無く、移動手段を欲していたと見せかけるためにそう言った。最後の悪あがきだった。
Φに完全敗北を喫したにも関わらず、僕はBMWが格安で手に入ることに喜々としながら家に帰った。僕が今まで愛し、選択して来た概念を背負った代理戦争に敗北したのに、この様である。もしかすると僕が一番のインチキ野郎なのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます