世界にひとつのプレイブック
「付き合えました!今まで相談乗ってくれてほんまにありがとうな。」
マミちゃんの連休二日目十六時頃、僕の携帯に一通のメッセージが入った。敗北を覚悟していたものの、先日一歩引いた筈の視座はメッセージを見た途端、にわかに一人称に引き戻された。しっかりとした失恋は僕の人生でこれが初めてであった。幼少期に経験できなかった初めての失恋は、まるで大人になってから経験するおたふく風邪のように強く僕を苦しめた。涙しても一人。六畳一間の僕の部屋には雑然と積み重なった大量の書物と、吸いかけのまま何箱も開封された煙草以外この失恋の傷を癒してくれそうな物は無かった。いや、書と煙草も今の僕を癒す事は出来ないであろう。数ヵ月つけていないテレビの黒い画面に佇む、むせび泣くクワシオルコルの情けない男を見て、自身の醜い容姿を恥じ、精神の鍛錬にかまけ肉体を磨いて来なかったことを慚悔した。部屋にいても何もいいことは無い。居ても立ってもいられなくなった僕は外に飛び出し、あても無く歩いてみることにした。
僕の足は独りでに近くのファミリーレストランに向かっていた。そういえば朝からマミちゃんの結果発表が気になって何も口にしていなかった。僕は中に入ると三人前は優に超える量の食事を注文した。精神的困難には肉体的徒労を以って応えるべきである。ヘミングウェイがそう教えてくれた。僕はインポテンツの男が闘牛に挑むように、老人がカジキマグロに挑むように、妻の不倫を目撃した男が社交ダンスに挑むように、テーブルの上に並んだ料理に挑んだ。僕は大食いに関してはかなりの自信がある。学生時代に鶴田と三沢とナンの大食い対決をした時はストイックに食べすぎて鼻から嘔吐したほどだ。今日も鼻から嘔吐するまで自分を追い込んでやる。
スパゲティー二皿、ステーキ二皿、小皿のソーセージとフライドポテト、パフェ三つを食べた所で僕の手は止まった。鼻から嘔吐とまではいかなかったが、しっかりと限界まで自分を追い込むことが出来た。直ぐには立つことが出来ず、しばらく大量の空き皿が並べられたテーブルに一人で座っていなければならなかった。あまり知り合いには見られたくない姿だ。僕は腹をさすりながら、改めてヘミングウェイに敬意を表した。大食いを始める前に感じていた悲壮感や無力感は達成感とパンパンになった腹の苦しみで幾分か紛れていた。しかし僕にはまだまだ肉体的徒労が足りていなかった。どうしたものかとドリンクバーで取って来たココアを飲みながら考えていると、名案が降りて来た。これなら僕はこの失恋という精神的困難を補って余りあるだけの肉体的徒労を行うことが出来るし、いけすかないアメフト男にも一泡吹かせることが出来るかもしれない。僕は行きとは真逆の意気揚々とした足取りで家に帰り、早速文章を綴ることにした。
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