PDCAマニ車くるくる

 社会人としての日々は瞬く間に過ぎていった。日々作業に忙殺され、僕の文化的な生活は着実に資本主義によって蝕まれていった。入社後三ヶ月の間で学んだ事は店舗を運営していくにあたってのルールとその実践だけであった。全国津々浦々にある店舗を管理するためにルールは実に事細かな事まで決められており、個々人の創造性を発揮できる余地はほとんど残されていなかった。毎日が同じことの繰り返しで、タナトスを欺いたわけでも、親より早く死んだわけでもないのに、僕の現状はシーシュポスの岩、賽の河原であった。しかも先輩社員達を見る限り、この現状があと数年は続きそうである。一歩店舗の外に出てしまえば何の役にも立たない知識を数年かけて身に着けるのである。僕は決して知識の汎用性の無さを嘆いているのではない。身に着ける知識が何一つ僕の視野を広げず、更に汎用性が無い事を嘆いているのだ。フーコーは、知るのが望ましい事柄を自分のものにしようとする好奇心よりも、自身からの離脱を可能にする好奇心に突き動かされるという旨の事を述べていたが、この会社ではどちらの好奇心も満たされなかった。不可解なルールの記憶と実行は、まるでラクロスサークルにでも入ったかのようである。僕は最も忌避していたサークルに酷似した自社に落胆の色を隠せなかった。また、余りの退屈をしのぐ為、自らに無意味な業務の負荷をかけ、その達成度合いに一喜一憂している自分にも、忸怩たる思いに駆られるのであった。


 しかし業務環境が過酷であることは同期との連帯感という僥倖を僕にもたらしていた。弾圧は人々の結束を強化する。それは弾圧する側もされる側も同じである。万国のプロレタリアは未だ団結出来ていないが、少なくとも倉敷店のプロレタリアは団結していた。毎日のように食事を共にし、休日には一緒に出掛けることも多々あった。この団結がザイオンス効果の賜物なのか、自身のこの会社に入社するという決断を少しでも正当化しようとする認知的不協和によるものなのか、はたまた会社という共通の敵を前にしたハイダーの均衡理論によるものなのかは分からなかったが、少なくとも僕には本物の団結のように思われた。全く出自の異なる四人であったが、それぞれが自分を強く持っており、会社に手足を切り落とされぬよう必死に抗っていた。そして互いが互いの手足を守りあうために、身を挺することを厭わなかった。店舗の新入社員で、全社向けのプレゼンを考案する際、訳の分からぬ魚の骨のような図や樹形図を提示され、フレームワークの使用を上司に強制されたことがあった。これに反発した僕はデカルトの四つの規則を元に問題を措定する原稿を作成し、敢行。全員で上司に大目玉を食らったのもいい思い出である。そもそも他の人間が同期であったら、このプレゼンが敢行されることも無く、近代哲学の始まりとなるコギトの概念を打ち出した偉大なフレームワークの代わりに、富の偶像的崇拝から生まれた脆弱なフレームワークを使っていたことであろう。ちなみに同時期に鶴田は上司にPDCAを回せと言われたので、チベット仏教の法具、マニ車に「PDCA」の文字を貼り付け、くるくると回しながら考え事をしていたら大目玉を食らったらしい。考え抜かれた机上の空論こそが最も美しい。それが彼のモットーなのである。つくづく僕の先を行く男だ。

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