ツーブロックの男、不毛な会話しがち

「ネクタイ派手だね。」

会場に入るなり人事に嫌味を言われた。ブルックス・ブラザーズのネクタイにケチをつけるとは美的感覚に疎い社員もいたものだ。雨と入社式に加え、センスの無い社員にも感情を逆なでられ、僕は憤怒の相で用意されていた席に座った。あたりを見渡すと流石は大企業である。ドライブインシアター程の広さの開場に新入社員がすし詰めになっていた。中には入社前から人間関係を構築していた者もいるようで、親しげに話すグループも散見された。座席は配属順では無く、社員番号順に用意されていた。マミちゃんとハルカちゃんを見られると思っていたのにがっかりである。僕は周りに話したいと思う人間も居なかったので、オンライン麻雀をすることにした。七対子、役牌のみと小気味良く連続でアガリを決め東三局の親番を迎えた時、入社式が始まった。このまま麻雀を続けてやろうかと思ったが、僕の中にほんの少しだけ芽生えていた社会人精神がそれを止めさせた。


 入社式は実に退屈であった。大学入学時に聞いた学長のスピーチに比べると、余りにアカデミズムを欠いた役員達のスピーチに、駅構内にある書店のビジネス書コーナーに並んでいる本をそのまま紹介しているのではないかと疑いたくなるような教育推進部による課題図書紹介、インカレサークルが撮影しているのかと思うほど軽薄な内容の人事部からのメッセージ。東三局親番の配牌以上に僕の気を引くものは何一つ無かった。


 長すぎる入社式が終わると次は懇親会である。十名程度の新入社員と重役一名が一つのテーブルに座り大皿に乗った寿司をつつく。僕のテーブルには希望に満ちた顔をした新社会人八名と僕と同じくらい覇気のない顔の男一名、物静かそうな重役が一名座っていた。乾杯の合図と共に僕は大人しそうな重役を差し置いて、一番の高級ネタであるウニを口に運んだ。うまい。学生が通えるチェーンの回転寿司とは一線を画すうまさだ。調子づいた僕は残り三貫のウニを全て食べた。うまいうまい。しかし誰も僕の行動を咎めなければ、僕に注目することも無かった。鈍いやつらである。僕がウニを堪能している間、希望に満ちた顔の新社会人達はすっかり打ち解けた様子である。


「部活何してたの?」

一人の女の子がツーブロックの男に向けて問いかけた

「当ててみて。」

とツーブロック男

「サッカー!」

と女の子

「ハズレ!」

とツーブロック男。


 不毛な推論、この世の地獄である。僕は蜘蛛の糸にでもすがるような気持ちで、覇気の無い顔の男を喫煙所に誘ってみた。すると男は、自分は煙草を吸わないし、君がウニを全部食べたことも知っていると僕に告げた。ウニの独占を咎められた僕は仕方なく一人とぼとぼと喫煙所に向かった。


 喫煙所に着くと、そこに集まっていたのは僕と同じように覇気の無い顔をした社会不適合者ばかりであった。こちらはこちらでこの世の地獄である。入社式の日ばかりは強い煙草を吸いたい。そう思い買ってきたラッキーストライク・エキスパートカット14に火をつけた。多めのタールのせいで、喉に対するキック感は強いが、ラッキーストライクらしい雑味の無さと、ほんのりとした甘みが肺一杯に広がった。今日一番の幸福である。社会人一日目、ジャン・ポール・ラクロワ『出世をしない秘訣』の一つ「友達を作るべからず」を早速実践してしまった。僕は出世から一歩遠のき、自身への成功に一歩近づいたのだ。


 果たしてこんな場所にマミちゃん・ハルカちゃんという二輪の花は本当に咲いているのだろうか、仮に咲いていたとしても彼女達と仲良くなるまでに僕は会社から逃げ出してはしまわないだろうか。灰になって崩れてゆくラッキーストライクと共に、僕の思考も混濁としていき会場に戻るのが億劫になった。


 七本目を吸い終えた時、会場からどっと人が出て来た。どうやら懇親会が終わったらしい。結局マミちゃん・ハルカちゃんは見つけられず、何の収穫も無いまま僕はスーツの集団に紛れてその場を後にした。出口付近には太い直方体の柱が等間隔で並んでおり、夜な夜な上の階で働く数千人の社員達を支えていた。他の新入社員と共にその間を通り抜ける僕は『摩天楼はバラ色に』のワンカットを思い出し、自分の小市民感をひしひしと感じながら帰路につくのであった。

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