モンゴル語

 「社会人育成機関としての大学」という概念への反発もあり、僕は社会で全く役に立たないことを学ぶ学部に進学した。大阪大学外国語学部モンゴル語専攻である。大学に行っても水で一杯になった壺に更に水をつぎ足す決断をしたわけだ。両親は僕に医学部進学を期待していたこともあり、大学入学前の僕を


「こんなに教育資金を投じて来たのにあんたって本当にコスパ悪いわね。」


と罵倒してきたが、そんなことは知ったことでは無かった。軽自動車にいくらハイオクを入れようと速くは走らない。僕はフェラーリでは無くフィアットなのだ。特性を見誤ったのは両親の方なのにとんだ言いがかりをつけられたものである。


 大学のクラスは期待していたほど面白くは無かった。専攻からして僕以上に無為な人間が集まっているかと期待していたら、将来を見据えて大阪大学の学位を取得しに来た者達がほとんどであった。同級生の白いナンバープレートの軽自動車を見た際、大学・学部選択の時の精神が普段の生活にも滲み出ているなあと嘆息したものである。司馬遼太郎先生も母校の現状を見たら頭を抱えるであろう。


 そんな中にも目を見張る者が二人だけいた。新興宗教の教会長の長男として生まれ、言語学を学ぶ傍ら、布教を目指す鶴田と、大企業の社長の次男として生まれながら、社会のルールさえ無視して自由奔放に生きる三沢であった。大学一年目から彼らは輝いていた。鶴田はモンゴル100kmマラソン完走や、真冬にユニクロのウインドブレーカー一枚で熊野古道を踏破するといった空海も目を見張るような厳しい修行を積み、着実に宗教人として精錬されていった。また、三沢は万引き常習犯という教育者として有るまじき人間であるにも関わらず、自分は英語教師になるのだと豪語し、simmer(とろ火でとろとろ煮る)等どこで使うか分からない英単語の意味を僕に解説してきた。ちなみに当時の彼のTOEICの点数は四百六十点である。鶴田は僕より賢く、三沢は僕より自由であった。そして二人共僕にはないストイシズムを持ち合わせていた。僕らはすぐに仲良くなり、そしてクラスでは三人そろって鼻つまみ者にされた。僕はこの二人と大学生活のほとんどを共に過ごした。二人とも読書家であったため、僕の読書量は更に増加し、意見を交換できる二人のおかげで、一冊一冊の理解度も高まっていった。


 また、愛煙家三沢の影響で煙草にも手を出した。デカダンスを演出しながら口寂しさも満たしてくれる煙草に僕は瞬く間に惹かれていった。とは言っても僕の愛飲する煙草はキャスターの5ミリで、傍から見ればデカダンスとはほど遠い、大人ぶりたい大学生であったことだろう。二人との思い出は阪大池の主捕獲作戦や本人不在のクラスのマドンナの誕生日パーティー等挙げればきりがないのでここでは割愛する。

鶴田、三沢共に童貞であったため、無論彼らとつるんでいた僕も大学生らしい色恋沙汰とは一切無縁の学生生活を過ごした。男子校時代から夢想し、先延ばしにしていた青春は遂に訪れることは無かったのだ。こうして僕は実際の女性との関わりからは疎外れたものの、エロを欲する気持ちが収まることは無く、画面越しの好色専門家として確固たる地位を確立したのであった。永井荷風は人生の三大快楽を読書・好色・飲酒としたが、僕は大学時代に荷風の影響を受けることなく、人生の三大快楽を読書・好色・喫煙と定義したのであった。荷風に近い文化的な嗜好を持つことができたのも、全てはよき友に恵まれたおかげである。テニスサークルにでも入って大学生活を過ごそうものなら、人生の三大快楽をオール・コール・アルコールと定義していたかも知れない。

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