目の前にいる

十余一

目の前にいる

「南向きですので、陽当たりもとても良く――」

 不動産屋の青年が柔和な笑みを浮かべ話すのを、俺と彼女は並んで聞いていた。

 南向きの和室、広めのダイニングキッチン、風呂トイレ別。レトロな雰囲気を残すアパートは築浅でこそないが、それ故に家賃は安い。否、不自然に安すぎるほどであった。

 暖かな陽の差す室内で、彼女が不意に身震いをする。もしかして、霊感でもあるのだろうか。不安げに揺れる瞳で辺りを見回した。しかし俺と目が合うことはない。

「その、家賃が安い理由ってやっぱり……」

 言い淀む彼女に続いて、俺も青年を見つめ問いただす。

「何か後ろめたいことでもあるのか? 隠さずに言うべきだろう」

 青年は複雑な心境を隠すように口元を掌で覆い、少しの沈黙のあと口を開いた。

「実は、以前住んでいた方が不慮の事故に遭われまして」

 不動産屋の青年が語る事の顛末てんまつはこうだ。

 その日、部屋の住人は酷く酒に酔っていた。酩酊した彼は足をもつれさせ、運悪く机の角に頭部を強打する。すぐに救急搬送されれば助かったかもしれない。しかし一人暮らしであったため発見が遅れ、そのまま亡くなった、と。

「そんなことが……」

 彼女はショックを受けている様子だが、それでもなおこの物件の立地や家賃と、今しがた聞いた出来事とを天秤にかけて迷っているようだった。何かと入り用の、しかし憧れの一人暮らし。少しでも費用を抑え、広い部屋に住みたいのだろう。例えそれが事故物件だったとしても。

 それでも俺は看過できない。

「悪いことは言わない。こんな部屋はやめておけ。別の不動産屋に行こう」

「日常生活での不慮の事故に告知義務はないからと口止めされていたのですが、やはりお伝えすべきでしたね。申し訳ございません」

 青年が誠実さを貼りつけた顔で謝罪する。

 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。あれは事故なんかではない。

 ふらつく足元、後頭部に走る衝撃、広がる生ぬるい血溜まり。温度と色彩を失っていく視界で、恍惚とした表情を浮かべる男を見た。俺は、俺を殺したこの青年の顔を最期に見ていた。

 殺人鬼は目の前にいる。次にその毒牙にかかるのは、内見に来たこの女性かもしれない。

 ポルターガイストでも起こせないかと窓や戸を手あたり次第に叩く。危険を知らせるべく彼女の肩に触れようとする。しかし、俺の半透明の体は虚しくすり抜けるばかりだった。

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