第三九翔

『さあ、八ドランを通過! 先頭は依然六番モルドレッド。二番手はそこから六竜身ほど離れて七番アロンダイト! 一時はトップとの差が二〇竜身以上もついていたにもかかわらず、ここに来て一気に差を詰めてきたーっ! さあ、俄然面白くなって参りましたっ!』

「ちょっとちょっとちょっとぉっ!?」


 グィネヴィアがヒステリックな悲鳴を上げる。

 コロッセウム中央の魔法時計に刻まれた数字は、一分三七秒フラット。

 峡谷八ドランのレコードタイムを実に一秒近くも更新していた。

 途中経過ではなく八ドランで行われる一ハイル戦のレコードタイムを、だ。


 ライオネルはまさに生涯最高の騎乗を魅せている。

 モルドレッドもドラゴンレーシング三二年で最速の名竜だ。

 なのに現実は、怒涛の追い上げを食らっている。

 叫びたくもなろうと言うものだった。


「なによ! 調子悪かったんじゃないの!?」


 貴賓室にも愛竜のタイムを見る為、魔法時計は設置してある。

 そこに刻まれたアロンダイトの八ドランのタイムは一分三七秒六。

 モルドレッドに〇・六秒遅れてこそいるものの、これも従来の記録を塗り替える数字だった。


 しかもだ。『迷宮』に入ってからのタイムは、明らかにアロンダイトが上回っている。

 これで調子が悪いなど、詐欺もいいところというのがグィネヴィアの偽らざる心境だった。


「調子が悪かったのはあくまでレース前まで、です。お祖母さま」


 にっこりと満面の笑みを浮かべて、シャーロットが答える。

 調子が悪いと聞いた時にほくそ笑んでいた祖母への意趣返しだった。


「アロンダイトは……絶好調です!」


 今の彼は竜なりで飛んでいる。

 そして、シャーロットは産まれた時からアロンダイトを見続けていたのだ。

 彼が調子を取り戻している事など、すぐに見抜けた。


 否、取り戻している、どころではない。

 今のアロンダイトの飛翔は実に軽やかで力強く、過去に類を見ないほど素晴らしいものだった。

 抜群に、最高だった。『迷路』はまだ後二ドランもある。

 追い抜くのも時間の問題に思えた。


 一方、興奮する主とは裏腹に、えもしれぬ不安に襲われていたのがリュネットである。

 エレイン女史の墓参に付き合った折に感じた違和感。

 当時はその正体に気づかなかったが、心に妙なしこりとなって残り、以来、どうにも悶々とさせられていた。

 そしてある日、唐突に気づいた。

 ランスが努力をしている姿を人前にさらしている、それ自体が本来なら有り得ぬことだということに。


 ではなぜ、彼はそんな姿を晒したのか。

 今日のレース展開でその謎も氷解する。

 速度を半分以下に落とす通常の旋回ですら、素人なら一回でムチ打ちに追いやるほど強烈な重圧がかかると言う。

 ならば今のランスには一体どれほどの重圧が襲いかかっているのか、想像するだけで背筋が凍った。


 ランスはその騎乗技術こそ化け物じみているとはいえ、その肉体はあくまで人間のそれである。

 立て続けにこんな無茶をして、全くダメージを受けていないなど有り得ない。

 だから、それに少しでも耐える為、わずかの時間さえ惜しんで首を鍛えていたのだ。


 つまりそれだけ、彼は余裕のない飛翔をしていると言い換えることもできる。

 いとも簡単にこなしているように見えて、実はかなりギリギリなのではないか。

 『迷宮』はまだあと二ドラン近くも残っている。

 果たして本当に、こんな綱渡りな飛翔を続けられるのか。


 思い過ごしであって欲しいと心から願う。

 一六翼将すら化物と称するランスなら、大丈夫なはずだと言い聞かせもしてみる。

 だが、胸騒ぎは止まらなかった。

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