第三八翔

「「「きゃああああっっ!?」」」


 シャーロットとリュネットとグィネヴィア、皇族用貴賓室では、スクリーンに映し出される光景に、三人の女性が一様に悲鳴をあげていた。

 それも当然だろう。

 対地高度五〇メトー以下という最難関コースで、あろうことか――


「目! 目っ! 目を開けてくださいランス様ぁっ!!」


 ランスは両目蓋を閉じていた。

 他の竜に遅れているとは言え、それでも馬の何倍もの速度は出ている。

 いかに強靭な肉体を有する竜と言えど、こんな速度で木々や岩壁に激突すればただでは済まない。

 上に乗っている竜騎士は尚更だ。


 つまり端的に言ってしまえば、ランスのしている事は、まごうことなき自殺行為以外の何物でもなかった。


「「「ひっ!!」」」


 ランスとアロンダイトの前に、容赦なく岩壁が立ち塞がる。

 起こり得るであろう凄惨な光景に、女性陣が思わず顔を背けて身体をすくませる。

 そして、そんな彼女たちに――


「「ぶあっはっはっはっはっ!」」


 皇帝とシャーウッド公は大爆笑である。

 クローダス公も仏頂面を装ってこそいるものの、その口元がにやついているのを隠し切れていなかった。


 実はこの三人、新竜戦の際にランスの正体に気づかなかった事を、グィネヴィアに馬鹿にされ、ひそかに根に持っていたのだ。

 戦場で共に戦った自分たちのほうがランスロットの事を知っているという自負もあった。

 女性陣の慌てぶりに、まさにしてやったりだったのである。


 笑い声に女性陣も遅まきながら、危機は回避されたと察したようだった。

 おそるおそる目蓋を開けると、スクリーンではちょうど、アロンダイトが身体を傾け、伸びる樹木の枝木を最小限の動きでかわしているところだった。

 次いで再び立ちはだかる岩壁を、絶妙のタイミングで手綱を右に引っ張りかわしていく。


「やっぱり目は閉じたまま、ですよね……いったいどうやって……」


 リュネットの呟きはしごく当然のものと言えた。

 戦闘の達人は、殺気や気配などにより敵の位置を目で見ずとも感じとれると言うが、岩や木がそんなものを発しているわけもない。

 その疑問に、つまらなさそうに応えたのはクローダス公である。


「聞いて呆れろ。音と勘だそうだ」


 驚け、でないところがポイントである。

 驚くなというほうが無理なことを、彼はよくよく思い知っていた。

 男衆三人が驚かないでいられるのは、単に慣れがあるからにすぎない。

 さすがにこの説明だけでは不親切と思ったのか、ロヴェルが補足を加えてくる。


「故大魔術師マリーン師が、使い魔の研究中に発見したことなのだが、な。蝙蝠は自ら発した音の反響を受け止め、暗闇の中でも周囲の状況を目で見るがごとく捉える事ができるらしい」

「音の反響で……ですか?」


 シャーロットが祖父の言葉を反芻する。

 音が跳ね返る、と言うのは、ヤマビコなどからなんとなく理解できる。

 しかし、それにより周囲の状況を目で見るがごとく、と言うのは正直、どういう理屈なのか想像もつかない。


 よくよくスクリーンを見れば、確かにランスは唇をわずかにとがらせている。

 話から推測するに、あれは口笛を吹いているのだろうか。


「蝙蝠にできるなら俺にだってできるだろうとか仰られて、な。最初は冗談だろうと思っていたが、本人いわく、とても便利だそうだぞ。周囲の空間を立体的に認識できるから、死角の多いところでは特に、使えるらしい」


 シャーウッド公の言葉の意味を察せない程、シャーロットは鈍くなかった。

 複雑に入り組んだ峡谷の『迷宮』にはまさに打って付けのスキルだ。

 話をしている間にも、不運にも通り道にいた小鳥を、ランスは首をわずかに傾げるだけで易々と回避している。

 間違いなく、周囲の状況を完全に把握できていなければ出来ない芸当だった。


 リュネットがゴクッと喉を鳴らし、震える声で疑問を口にした。


「あの方……本当に人間ですか?」


 ランスは本来なら爵位を持つ貴族である。

 そしてこの場にいる誰もがそれを知っている。

 不敬と言えばあまりに不敬と言わざるを得なかったが、誰もそれを咎めようとはしなかった。

 そう思わないほうがどうかしていたからだ。


『六番モルドレッド、今、五ドランを通過。タイムは一分一秒六。速い! とんでもなく速いです! まるでハイル戦のような超ハイペースだぁっ!』


 シダー氏の叫び声に、シャーロットは慌てて一般大衆用のスクリーンに視線を移す。

 二番手に一〇竜身以上の大差がついていた。

 ランスの超絶技巧に高揚した心がたちまち焦燥に変わる。


 城壁レースであれば、スローペースと言っていいタイムではある。

 しかし、これは峡谷レースだ。

 急カーブの連続でたびたび減速を繰り返さねばならない。

 当然、その分タイムは城壁レースよりはるかに落ちるのが一般的だ。


 一分四秒あたりが平均ペースと言えば、モルドレッドがいかに尋常ならざるペースでとんでいるかがわかるだろう。

 闘志爆翔という切り札ゆえのハイペースということもあるが、それ以上に鞍上の竜騎士ライオネルの技術の高さを伺わせるタイムと言えた。


『二番手には先頭から一〇竜身ほど離れて三番アヴァロン、そのすぐ後ろに一二番ガーターナイト、四番手は、おおっと、二番人気七番アロンダイトだーっ! 最後尾からここまで一気に順位を上げてきていましたぁっ!』

「えっ!?」


 思わず、自分の耳を疑ったシャーロットである。

 他竜とは飛ぶ高度が違う為、気づきにくかったのは確かだが、それでも本当にいつの間に、である。


「ランス様、ペースを上げられた? しかし、いくら闘志爆翔があるからと言ってもさすがに速すぎる……」


 少なくとも、スタートから二ドランの地点ではぶっちぎりで最後方を翔けていたはずだ。

 つまりたった三ドランで一二頭をごぼう抜きしたことになる。モルドレッドすらはるかに上回る超ハイペースだった。

 ただでさえ距離の壁を有するアロンダイトだ。

 こんな調子で飛ばしていたら八ドランすら持たないのでは、と危惧さえしたが――


「いや、ランス様はスタートからずっと同じペースを維持しておられる。ペースを変えているのはむしろ他の連中じゃよ」

「お祖父さま? それはどういう……?」

「目を閉じとったのがインパクト強すぎたかの? 今度は手綱をしっかり見ておれ」


 シャーロットは言われた通りにする。

 スクリーンではまたアロンダイトがカーブに差し掛かっていた。

 ランスはぐいっと一度だけ手綱を右に引っ張る。


 彼がしたのはただそれだけである。

 本当に、たったそれだけだったが、シャーロットはゾッと背筋が凍った。

 しなければならない動作が一つ、完全に抜けおちている。


「げ……げっ……げげげっ……減速してないっ!?」


 あまりの衝撃に歯がカチカチとなり、舌が上手く回らない。

 信じられなかった。

 先程の音で「空間」を認識するという以上に、信じられなかった。


 音で空間を把握するというのは、理屈はよくわからなかったが、蝙蝠ごときにできるのなら、ランスなら出来てもおかしくない。そう思える。

 しかし、だ。

 これは有り得ない! 明らかに『世界の理』に反している!


 速度が速ければ速いほど、曲がろうとする際、外側に膨らむ。

 ドラゴンレーシング関係者の間では常識中の常識だ。


 城壁レースより遅いペースと言っても、アロンダイトの現在の飛翔速度は一時間でざっと三〇〇ドラン弱、現実的にはとんでもない超高速なのだ。

 どう考えたって曲がり切れず岩壁に激突していなければおかしい。

 絶対におかしい。

 そのはずなのに、アロンダイトは平然と飛翔を続けている。


「ど、どどど、どうやってるんです、あれ?」

「以前、騎乗のコツを聞いたことがある。理想のラインを見出して、ただそこに寸分違わず竜を乗せてやればいいだけ……らしいぞ?」

「そ、それで出来るものなのですか!?」

「まあ、見ての通りだ。現実を否定しても仕方あるまい。わしらにはとても真似できんが、な」

「あの馬鹿以外に出来てたまるか。試す気にもならん」

「然り。身につける前に死ぬのがオチですな」

「しかもあれでもまだ足りんとか抜かして、爆旋翔なんぞ編み出しておるからな。まったく、ここまで無茶無謀の叩き売りして、なんで未だに生きとるのか不思議でならんわ」


 シャーウッド公が苦笑がちに語れば、クローダス公が忌々しげに吐き捨てる。

 帝国一八〇年の歴史でも傑出した指折りの竜騎士であるはずの彼らをして、出来ないと言わしめる。

 シャーロットは胸が熱くなるのを感じずにはいられなかった。


『さあ、先頭六番モルドレッド、六ドラン通過! そしていよいよ「蛇のとぐろ」に差し掛かりました! わずか一ドランの間に、四六度、三三度、二九度、四二度とキャメロットコース北門並の急カーブが右左と立て続けに四つも続く、ベイドンコース最大の難所であります!』


 実況シダー氏の声にコロッセウムの観衆がにわかに沸き立つ。

 それも当然だった。

 この蛇のとぐろこそ、数あるG1レースの中でも最も竜騎士の腕が問われる場所なのだ。

 選り優れられた一流の竜騎士たちがその技巧の粋を尽くして攻略していく様は実に見応えがあり、いわば中盤の魅せ場と言えた。


 早速、ドラゴンレーシング最高の名手ライオネルが蛇のとぐろへと果敢に突っ込んでいく。

 第一のカーブ、減速のタイミング、位置取りの巧みさ、そして淀みなく流れるような再加速。

 シャーロットが今まで頭に思い描いていた「理想」を、まさに体現したような騎乗であり、敵ながら惚れ惚れするほどだった。

 この調子なら、ほとんどロスなく続く三つの急カーブもまったく危なげなくこなしてしまうに違いない。


「ふふっ、さすがはライオネルじゃな。さて次はランスロットか。いかなあの常識外の化物とて、さすがにここは減速せざるを……なぁっ!?」


 クローダス公の呟きは、最後まで続かなかった。

 スクリーンでは、モルドレッドに一秒ほど遅れて、今度はランスとアロンダイトが蛇のとぐろへと突入していくところだった。

 公の予想を嘲笑うかのごとく、一切スピードを緩めずに。

 そしてあっさりと、本当にあっさりと、次々と迫ってくる岩壁をかわしていくのだ。


「凄い! 凄い! 凄い! ランス様凄すぎますっっ!」


 いかにスピードを落とさずに曲がるか、脱出後いかに滑らかに加速するか、この二つこそが蛇のとぐろにおける竜騎士の腕の見せ所、そのはずだった。


 ランスのしている事は、それを根底から覆すまさに暴挙だった。

 まるで彼らだけ、『違う世界の理』の中を飛んでいるとしか思えなかった。

 これが、これが伝説の、シャーロットが幼い頃からずっと憧れ続けた……『不可能も覆す竜騎士』なのだ!


 もはやシャーロットはとてもソファーになど座っていられず、中腰になってスクリーンににじり寄り、拳を握り締めている。

 皇族の血を引く公女とはとても思えぬはしたなさだが、誰もそれを指摘しない。

 否、気づいていない。

 皆が皆、ランスの騎乗に完全に魅せられていて、それどころではなかった。


「蛇のとぐろすら……あれか」


 冷静沈着を旨とするクローダス公でさえ、思わず身を乗り出して魅入っていた。

 しかし、さすがに興奮のしすぎは老体にはこたえたようだ。

 長い長い溜息とともに、どさっと背もたれに身体を預ける。


「も、もしかしなくとも、聖戦の頃よりキレてませぬか?」


 ロヴェルが確認するように問う。

 彼もすでに立ち上がり、身を乗り出してスクリーンを凝視していた。

 杖を持った手が小刻みに震えている。


「ああ。過去というものは美化されるものじゃが、それでもなお明らかに、腕を上げておる」

「魔王との戦いで、何かを掴んだのでしょうか?」

「……まだ伸び代があったのか」


 レース当初はどこか余裕があった公爵二人であったが、すでにその顔にはびっしりと汗の珠が浮かんでいた。

 彼らが知る時点で、ランスロットの技量は他を隔絶した高みにあった。

 そこからさらに成長するなど、もはやデタラメにも程があった。

 一六翼将だなんだと持ち上げられ称賛される自分たちが、実は全然大したことなかったのではないかと、どうしてもそんな錯覚に襲われてしまう。

 おかしいのはランスのほうだとわかっているのに、それでも考えてしまう。


 しかし、自分たちはまだ慣れがあるからいい。

 いきなりレース本番にあんなものを見せつけられる竜騎士たちがあまりに不憫だった。

 自失して事故など起こさないよう、心から祈るばかりである。

 むしろその事に、彼らは心を痛めていた。


「ふふっ。これほどのものを遠目でしか見れない大衆は、少々可哀想だな」


 貴賓室でただ一人、余裕を崩していないのは、勿論、英雄王そのひとだ。


 大衆用のスクリーンはどうしても全ての竜が捉えられるよう、遠い視点にせざるを得ない。

 つまり、数万人はいるであろうこのコロッセウムで、この空前絶後の神技の連続を間近な視点で見ていられるのは、おそらくこの貴賓室にいるたった六人だけだった。

 そんな限られた人数で楽しむのは、あまりに勿体なさすぎると彼は嘆いたのだ。

 しかし、この状況下でそんなことを気にしていられるのは、やはり彼の度量があってこそだろう。


「まあ、好都合か。あやつの技は、門外不出、口外無用が原則だからな」

「えっ!? 陛下! それはどういうことです!?」


 アーサーにしてみれば何気ない呟きではあったが、ランスロットの熱烈ファンを自認するシャーロットとしては聞き捨てならない一言だった。

 目の前で繰り広げられる神技の数々に魅せられ興奮し、思考がそこまで回らなかったが、よくよく考えてみれば確かにおかしい話ではあった。


 シャーロットは子供の頃からランスロットの英雄譚(サーガ)が大好きで、何度となく祖父に昔話をせがんだものだ。

 街中に流れる噂もほとんど残らず収集している。


 にもかかわらず、先程の音の反響を利用する技に、減速なしの旋回、そして爆旋翔と、何一つ覚えがなかった。

 アーサーが言うように、緘口令が敷かれていたとなれば、それも納得がいく。つじつまが合う。


 しかし、ランスロットは魔王を倒した歴史上最高の英雄だ。

 しかも当時は戦死したと思われていた。

 国家人民の為に果敢に戦った戦士への敬意を忘れ、その功績を人々の目から秘匿しようなど、とても英雄王のする事ではない。

 矮小な愚物のすることだ。


 義憤に燃えた瞳で睨みつけてくる孫に、英雄王は思わず苦笑して弁明する。


「若い奴らが真似し出したら……たまんねえ、だろう?」


 最後にパチリとウインクする。

 洒落っ気に満ちていながら、ランスロット贔屓のシャーロットも黙らざるを得ない、実に説得力のある一言だった。

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