第三七翔
「あん?」
前を翔ける竜群から一頭、脱落して下がってくる竜を見つけ、ランスは訝った。
その上に乗る竜騎士が見知った顔だったからだ。
一四番ウインドハーティア。
堂々の三番人気の竜である。
スピードこそ落としているものの、その飛翔には異常は見受けられない。
何かトラブルがあったというわけではないらしい。
その見立て通り、アロンダイトの隣に並んだ瞬間、ウインドハーティアの後退が止まり、鞍上の竜騎士がニヤリと口の端を釣り上げる。
「久しぶりだな。てっきり今日も逃げかと思っていたぜ。まったく裏をかかれたよ」
「悲願のダービーだってのに、わざわざこんなところまで下がってきて世間話たあ随分と余裕じゃねえか」
「ふん、クローダス公から貴様の邪魔をするよう厳命されたんだよ」
そんな事を苛立たしげに言い放ち、ウォルターはウインドハーティアをアロンダイトに寄せてくる。
故意に翼をぶつけるのは非常に危険であり、竜騎士免許剥奪も有り得る反則行為だ。
しかし、そうならない範囲で竜体を併せる事は、竜の闘争本能を刺激し、非常に有効な戦法ともなる。
ラストスパートの局面では、だが。
ウォルターの卿の狙いはすぐに察しがついた。
アロンダイトを挑発し、そのペースを乱そうと言う腹だろう。
まったく迷惑極まりなかった。
「おいおい、ダービー獲る為にシャーロットを裏切ったんだろう? そんなあっさり捨てていいのかよ?」
とりあえずランスは適当に揺さぶりをかけてみる。
効果はテキメンでウォルターの顔が苦々しげに歪む。
「公の命令は……絶対だっ」
その絞り出すような声からは納得がいっていない様子なのは明らかだった。
ウォルターはすでに一度主を変えた身だ。
これ以上変節するわけにはいかず、黙って受け入れるしかないといったところか。
ならばつけ込む隙はありそうである。
「ふん、相変わらず情けねえなぁ、おまえは。要は勝ちゃいいんだよ。勝てばあのおっさんだって文句言えねえだろうが」
早速ランスは得意の舌先三寸でまるめこみにかかるも、
「ふん、公からは絶対に貴様の口車には乗るな、と口を酸っぱくして言われている」
「あっそ。……たまんねえなぁ」
どうにも手口を知られているのが相手だと、やりにくいったらありはしない。
盛大にランスはぼやきつつ、アロンダイトの首筋を叩き「我慢しろ」と指示するも、手綱からは抗議の意思が返ってきた。
すでに七戦をこなし、アロンダイトはレースというものを理解している。
闘争心の塊のような彼の事だ。
「勝つためには前を行かねば」と考えているのだろう。
だが、それはまさしく敵の思うつぼなのだ。
とは言え、いつまでも並ばれていては面倒なのも確かだ。
ランスの技量を持ってすれば、アロンダイトを抑え続けるのはわけないが、彼は気持ちで飛ぶ竜だ。
あまりストレスをかけ続けると、モチベーションが落ち、能力の低下を招く。
それは得策ではない。
さてどうするか、思案しかけたランスであったが、
「今日はどこまでも、貴様に貼りつく。ただそれだけだ!」
「ほう?」
ランスの心に、むくむくと悪戯心が芽生えてくる。
生来あまのじゃくな彼としては、こうまで言われると、是が非でも相手を出し抜きたくなるのだ。
これはもう性分である。
もしかしなくとも、そこまで読んでのクローダス公の策なのだろうが、ここはあえて乗ってやる事にした。
スタートから二ドラン、そろそろ加速用の直線は終わる。
ここからが峡谷レースの醍醐味である複雑に入り組んだ『迷宮(ラビリンス)』の始まりだ。
丁度いい頃合いではあった。
「なら……ついてこれるもんならついてこいよ」
ランスは手綱を操り、スピードはそのままにアロンダイトの高度を下げ始めた。
「逃がさん!」
ウォルターも即座に反応し、ぴったりと引っ付いていこうとする。
しかし、数秒もしないうちにウォルターは手綱を引き、下降を断念する。
せざるを得なかった。
「なんて無茶なことを……っ!」
他人事だと言うのに、ウォルターは背筋に疾る寒気を感じずにはいられなかった。
峡谷レースは城壁レースと違い、ある程度、高度の自由が利く。
対地高度で三〇〇メトー以下なら、どの空域を飛んでも良いとされている。
上限が決まっているのは単純に、峡谷レースは峡谷を飛ぶから面白いという理由だ。
もっともダービーも今年で三二回目だ。
どの空域が飛びやすいかは調べ上げられ、周知の事実となっている。
それがちょうど対地高度で五〇~一〇〇メトーという空域だ。
地形の関係で、比較的風が凪いでいるというのが主な理由である。
ここより上の空域になると、強い逆風にさらされ速度が出なくなる。
そして今、アロンダイトが突っ込んでいった五〇メトーより下の空域は、さらに風は凪いではいる。
しかし、今度は回廊の幅が極端に狭くなり、加えて生い茂る木々という推奨空域にはない天然の障害物まで存在する。
当然、難度は格段に跳ね上がる。
推奨空域でさえ竜騎士泣かせと言われているのに、だ。
ウォルターは自らの腕にそれなりに矜持がある。
G1こそ獲っていないが、それはこれまで竜に恵まれなかっただけで純粋な実力なら竜騎士の中でも十指に入ると自負している。
だが、そんな彼でも、この高度を飛べば、間違いなく死ねる確信があった。
帝国の竜騎士として、名誉ある死は恐れないが、こんな無謀な馬鹿者と後世の笑い物になるような死に方は御免被りたかった。
とても付き合えない。
「なっ……なっ……!?」
しかし、ランスの無茶無謀はこれで終わらなかった。
ウォルターの目は、さらにとんでもないものを目撃する。
正直信じられなかった。
目の錯覚かと疑った。
だが、何度も思わずまばたきしても、見えるものは変わらない。
公から言い含められてはいた。
絶対にとんでもない事をしでかすだろうから驚くな、と。
一六翼将の一角がそこまで言うのだ。
ウォルターも覚悟を決めていた。
だが、それでも、それでもこう叫ばずにはいられなかった。
「なにやってんだ、きさまぁぁぁぁっ!?」
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