第三五翔
岩肌が剥き出しになった崖の一角には、若々しくも精悍な竜たちが揃いぶんでいた。
さすがに数千頭にも及ぶ竜たちから選び抜かれた最精鋭だけあって、いずれもレース環境がガラリと変わったというのに動揺する素振りも見せない。
その背に竜騎士を乗せ、発翔の時を今か今かと待ち構えている。
両端にそびえたつ花崗岩の岩壁は、ほぼ垂直と言っていいほどの険しさだ。
遠く次々と連なっていく山々には、鮮やかに新緑が萌えている。
眼下では激流がはげしくぶつかりあい、飛沫をあげていた。
回廊を吹き抜ける風は爽やかで、鳥たちの囀りを運んでくる。
「隣り合うとはやはり、運命ですかなぁ……兄上」
隣に並ぶワイバーンに騎乗した老騎士が、感慨深げに笑みを零しつつ、ランスに話しかけてきた。
鼻筋に疾る横一文字、本レースの一番人気モルドレッドの主戦竜騎士ライオネルである。
その手綱の先では、魔王がその瞳に激しい闘志を燃やしてアロンダイトと睨みあっている。
最強の竜種サラマンダー相手に向こうを張れるとは、やはり尋常な精神力ではない。
さすがにワイバーンでありながら闘志爆翔を使えるだけはあった。
「話には聞いていましたが、本当にあの頃のままですな」
「よぉ、久しぶりじゃねえか、ライ。ちったあ腕上げたんだろうなぁ?」
ランスの試すような物言いに、ライオネルはふふっと自信ありげな笑みを零した。
「期待していいですよ。この四〇年というもの、ただそれだけに邁進して参りました。あの頃は見えなかったもの、感じとれなかったものが、今ならば、はっきりとわかります」
齢五〇を過ぎ、確かに筋力は全盛時より落ちた。
昔のように円錐槍(ランス)を片手で操るなどという芸当はもはやできない。
しかし、そんなものはドラゴンレーシングでは使わない。
筋力はたかだか三分、竜にしがみついていられれば事足りる。
そんな無用の長物より今の自分には、経験により磨き上げた洞察力、それに基づく精密な『勘』という最高の武器がある。
ここ数年というもの、判断ミスと言えるものは一つもなかったと断言できる。
刹那の時を争うドラゴンレーシングではこれは非常に大きい。
人竜一体と言えるほど竜と呼吸を合わせる事も出来るようになった。
今なら、愛騎の気持ちが手に取るようにわかる。思い通りに操れる。
「今になってようやく、貴方の気持ちがわかりましたよ。切磋琢磨出来る相手がいないと言うのは、実にむなしい」
ライオネルは暗に今の竜騎士には自分の相手がいないと言い切った。
このような大言壮語も彼ならば誰もが認めざるを得ない。
体力の衰えから騎乗数はピーク時の半分以下まで減らしたが、それでも最多勝のタイトルを譲っていないし、勝率・獲得賞金額に至っては二位の三倍以上という圧倒的な数字で、他の追随を許さない。
天才と謳われるパーシヴァルにしたところで、彼の好敵手足り得るにはまだ一〇年早いというのが、世間の常識だった。
「言うようになったな、おまえも。やっぱ三八年ってのは長えぜ」
ランスの口元が緩み、牙が覗く。
軽薄な口調とは裏腹に、その顔からは軽佻浮薄な仮面が剥がれおち、獰猛で好戦的な、まさに火竜のごとき素顔が露わになっていた。
敵が強ければ強いほど彼の心は燃え盛る。
もはや表情をつくろうことさえ出来ない。
「事実ですから。ここ数年というもの、本当に……虚しかった。こう言うとさらに鼻もちならないかもしれませんがね、ダービーを獲っても、最多勝を獲っても、G1を一〇〇個獲っても、最高の竜騎士と人々が讃えてくれても、私の心は全くと言っていいほど満たされなかった……」
そこでライオネルはいったん言葉を切り、じっとランスの顔を見つめ人差し指を突きつける。
「答えは、わかっていました、貴方だ。貴方に勝たずして、最高の竜騎士などおこがましくて名乗れるわけがない! 誰が認めようと、この私が認められない!」
ライオネルの心の中には、鮮烈に焼きついて離れないイメージがある。
心から憧れ、弟であることを誇りに思い、物心つく前からその背中を常に目指し追い続けてきた、ただ一人、空に君臨する「覇王」。
一方で、ずっと嫉妬してきたのもまた事実だ。
心の奥底に刻み込まれた敗北感は、幾度勝利を重ねようと蚊ほども拭い切れない。
結局、それを打ち消すには、兄に勝つしかない。
「まあ、そうは言っても、所詮はどうしようもない事と諦めていたのですが、まったく天も洒落たことをしてくれる」
「ああ、それに関しては、俺も同感だね。くくっ、たまんねえよなぁ」
「ええ、まったく、たまりませんな。くははっ」
二人の英雄が、楽しそうにそれでいて獰猛に笑い合う。
押し殺していてもなお漏れる闘気のほとばしりに、その場にいた竜騎士たちはえもしれぬ悪寒に身体を震わせた。
ダービーに出翔してくる以上、いずれも世間にその名を知られた一流たちである。
にもかかわらず、明らかにこの二人は、「格」が違った。
「おっと、どうやら、おしゃべりの時間は終わったようだぜ」
「そのようですな」
二人の前を、松明を掲げた兵士がゆっくりと横切っていく。
その先には大砲が設置され、そこから伸びる火縄に、彼は火を寄せた。
大地を火花が疾っていき、やがて火種が大砲の中に収まる。
「じゃあっ……!」
「ええっ……!」
二人は一瞬だけ視線を交わし合い、後はただ前方に意識の全てを集中させていく。
肌を切り裂くような緊迫感。
そして、それを打ち砕くように、大砲の音が高らかに響き渡った。
「「戦闘開始(オープンコンバット)!!」」
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