第三四翔

 地響きのような大歓声が、コロッセウムを包んでいた。


 第九レースが終わり、いよいよ本日のメインレースにして、ドラゴンレーシングの最高峰、ダービーが始まるのである。

 観客のボルテージは嫌がおうにも最高潮に達している。


 巨大スクリーンには、スタート地点へと向かう竜たちが次々と映し出されている。

 観客たちはこの移動の動きを見て、竜の仕上がりを見極め、賭ける竜を決めるのだ。


「姫様、アロンダイトの調子はどうでしょう?」


 リュネットがシャーロットに問いかけた。


 リュネットにはまだ竜の飛翔からその状態を察する事ができない。

 普段ならわからなくてもただ黙って主の側に控えるのがメイドの心得ではあったが、今日ばかりはさすがに気になって気になって訊かずにはいられなかったのだ。


 コッロセウム最上階オーナールームは、年に数回しか使われていないにもかかわらず、手入れが行き届き、室内に置かれたインテリアはどれも艶やかな光沢を放っている。

 その豪奢なソファーに腰掛けたまま、シャーロットは心ここにあらずといったふうにぽ~っと遠くを見つめている。


 リュネットは思わず溜息をつく。

 思いつめた顔で一人ランスの下に向かって、帰ってきてからというもの、ずっとコレである。

 理由を訊いても慌てふためくばかりでどうにも要領を得ない。


 間違いなくランスのせいだということはわかる。

 しかし、悲願のダービー当日のシャーロットをここまで自失させるとはいったいあの男は何をやらかしたと言うのか。


「姫様っ」

「うわっ!」


 気持強めに呼びかけると、シャーロットが間の抜けた声とともにビクッと肩をすくませる。

 どうやら現実世界に戻ってきてくれたようで、リュネットはホッと胸を撫で下ろす。


 驚かせるのは本意ではなかったが、アロンダイトの一世一代の晴れ舞台だ。

 これを見逃せば主は一生後悔するだろう。一の忠臣としては見過ごすわけにはいかなかった。


「どうした、リュ……あっ、アロンダイト!」


 早速シャーロットは愛竜の姿を見つけ、食い入るようにその姿をしばし吟味する。

 主の失態は見なかったフリをして、素知らぬ顔でリュネットは問う。


「どうですか?」

「ふむ、今のところ人竜の折り合いはついているようだな」


 一番の心配事が取り除かれ、シャーロットはホッと安堵の息をつく。

 誇り高いサラマンダーの顔面を思いっきり殴りつけたのだ。

 最悪、アロンダイトがランスを鞍上として認めないという事態も十分に有り得た。

 油断はできないが、この調子なら大丈夫だろう。


 さすがはランスと言ったところか。

 とりあえず、レースをする前からすでに勝負がついているなどという、最悪の事態だけは何とか避けれたらしい。


「それで、その、ランス様の荒療治は功を奏したのでしょうか?」

「……正直、悪くない、としか言えん」


 シャーロットは溜息とともに首を左右に振る。


 今のアロンダイトは人間で言えば歩いているようなものだ。

 見るからに調子が悪いとかならばわかるが、身体のキレ具合まではやはり実際に翔けさせてみないことにはとても判別がつかない。


 しかし、レース前にそんなことをすれば、無駄に体力を消耗して勝率を下げるだけである。

 今は『不可能も覆す竜騎士』が起こす奇跡に期待するしかない。


 コンコンと、不意に扉をノックする音が響いた。

 誰が来たのかはわかっていた。シャーロットはそっとリュネットに目で合図する。


「シャーロット、わしだ。入らせてもらうよ」

「どうぞ、大旦那様」


 リュネットが恭しくドアを開け、「「えっっ!?」」と、少女二人が驚きの声とともに硬直する。


 そこには予想通り、シャーウッド公がいた。

 顔色は良く二本の足でしっかり立ちかくしゃくとしている。

 二人が驚いたのは彼の後ろにいた人物に、だ。


 年の頃は五〇代半ばぐらいだろうか。

 赤と白を基調とした豪奢な礼服に身を包んだ、中肉中背の男性である。

 深い知性を宿した澄んだ蒼い瞳が何より印象的だった。

 落ち着いた雰囲気の中にも何人にも侵しがたい威厳を漂わせている。


 一六翼将の一角にして公爵であるロヴェルですら、彼の「格」の前には明らかに見劣りすると言わざるを得ない。

 そんな人物は、ランカスター帝国にはただ一人だった。


「へ、陛下!? し、失礼しました!」


 シャーロットはその場に片膝をつき頭を垂れる。

 リュネットも主に習い、慌ててその場に両膝をついて平服する。


「よい。頭を上げよ。かわいい孫にかしこまられても困るぞ」


 老齢の男――アーサーは深みと張りのある声でそう言い、鷹揚と手を振った。

 彼こそ帝国一八〇年の歴史においても稀代の名君と讃えられる『英雄王』そのひとである。


「至尊たる陛下に、礼を失するわけには参りませぬ」


 シャーロットは立ち上がりつつ、言葉を返す。「皇帝の権威」は治世の安寧の為にも貶めるわけにはいかない。

 血縁とは言え臣籍に下った娘である。

 年端もいかない子供の頃ならともかく、分別のついたこの年になって親しげに接していては、他の者に示しがつかない。


「やれやれ、こういうところはおぬしそっくりだな、ロヴェル。正直もう少しグィネヴィアに似て欲しかったぞ」


 溜息混じりにアーサーは隣の老公爵に愚痴をこぼす。

 アーサーには孫が五人いるのだが、姫はシャーロット唯一人である。

 そのせいもあって目の中に入れても痛くない程可愛く想っているのだが、こうも他人行儀では、正直かなり寂しい。


「それで、陛下御自ら、どのようなご用件でしょう?」


 片膝をついたまま顔を上げ、シャーロットが問う。

 英雄王はことさら驚いたように肩をすくめた。


「半年以上会っていない孫娘に会いに来るのに理由が必要とは知らなかったぞ。まったく余も冷たい孫を持ったものだ」

「いえ、その、お呼びくだされば、こちらから参上つかまつるのに、という意味です。勿論わたしも陛下の御顔を拝見したいと思っておりました」

「なら良いのだが、な。まあ、用があったのは確かだ。せっかくの機会だ。余の部屋で一緒に観戦しないかと誘いに来たのだよ」

「陛下の御部屋で、でございますか?」


 シャーロットは目を数回しばたたかせた。

 キャメロットコロッセウムにも、ここベイドンコロッセウムにも、皇族専用の貴賓室が設けられている。

 臣籍の自分が入って良いものか判断に迷ったのである。


「陛下の御心を汲んで差し上げろ。陛下とて人間であらせられる。可愛い孫娘と少しでも長く時を過ごされたいのだ」

「はっ」


 もう一人の祖父である老公爵にそうまで言われては、断れるはずもない。

 シャーロットは短く了解の意を発し、目でリュネットに合図する。


 こうして少女二人は老人二人の後ろをつき従い、衛兵たちが一斉に槍を立て直立不動の姿勢を取る中、廊下を歩いて行く。

 しばらくしてコロッセウムのちょうど中央に辿りつく。


 目の前には重厚な扉が立ちふさがっていた。

 オーナー室の扉もなかなかに立派な代物であったが、これにははっきりと劣る。

 扉の中央には、二頭の竜が向かい合うと言う、ランカスター皇族のみが使用を許されるという紋章が刻まれていた。


 リュネットが素早く進み出て、ドアを押し開けた。

 中はちょっとしたホール並の広さで、いくつものビロードのソファーが並び、その向かいには一つ一つスクリーンが立てかけてある。


 中には先客がすでに二人いた。

 一人はアーサーの妃のグィネヴィアである。

 彼女の愛竜はダービーに出翔するのでここにいるのは当然と言えた。


 もう一人は白髪の老人だ。

 シワに覆われたその顔は、もはや年齢の判別がつかない。

 しかし五〇代半ばであるロヴェルやアーサーよりさらに一〇か二〇は上に見えた。

 身体も痩せ細り今にも折れそうなぐらいだが、その全てを見透かすような細く鋭い眼光だけは健在だ。


 クローダス公ペレアス・ド・マリス。

『神算鬼謀』の二つ名で知られたアーサーの参謀にして、自身も優れた竜騎士であり彼の護衛として数多の武功をあげた一六翼将の一角である。


「これは……」


 シャーロットは思わず息を呑んだ。

 なにせ現在生きている英雄譚の登場人物たちがまさに揃い踏みである。

 ランスロットとライオネルはここにはいないが、ダービーに騎乗する為、スクリーンにしっかり映っている。


 さすがのシャーロットも、この場の空気には呑まれざるを得なかった。

 クローダス公にはウォルターの事で嫌みの一つも言ってやりたいと思っていたのに、言葉が続かない。


「ふふっ、驚いたようだな。懐かしい奴がひょっこり帰ってきてくれたからな。今回ばかりは皆で揃って観戦することにしたのだよ。楽しい物が見れそうだからな」


 アーサーが悪戯っぽく片目をつぶる。

 世間一般では実直で政務に真面目な王と評判の彼だが、ランスの主で、グィネヴィアの夫だけあり、実はけっこう茶目っ気のある人だということをシャーロットは知っている。


「ワシは懐かしくなどないがな。まったく死んだと思っておったヤツが帰ってきただけでも驚きだと言うのに、当時と同じ姿とは、相も変わらず非常識なヤツじゃ」


 クローダス公は忌々しげにそう吐き捨てるも、スクリーンに映るランスの姿を凝視するその瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。

 自らの心の内を素直に表そうとしないあたり、年老いても彼はやはり策士なのだろう。


「はは、あの方が非常識じゃないことなどありましたかな?」

「まあ、な」


 シャーウッド公ロヴェルの言葉に、クローダス公は冷笑を浮かべる。

 ロヴェルは一六翼将の中では若年であり、爵位は同じでも、一回り以上年長のクローダス公には敬語で接していた。


「ふん、乗っとる竜まで生き写しじゃな。本当に聖戦の頃に戻ったみたいじゃて。まあ、逆にちょうどいい。ヤツには散々頭痛を覚えさせられたからな。ワシは一度でいいからあやつのへこんだ顔を見たかったんじゃ」

「そうねー。あいつは一回、痛い目見た方がいいのは確かよねー」


 スクリーンから視線をそらさず、クローダス公が薄ら寒く笑えば、グィネヴィアがうんうんと頷き応じて、意地悪くほくそ笑む。

 この二人が結託して何かを企んでいるのが傍目にもありありとわかった。


 そう言えばモルドレッドの父竜エクリプスはクローダス公所有の種牡竜だ。

 隠す気もないらしい。

 だと言うのに、普段あれほど公平な英雄王さえ、苦笑いするだけで咎めようともしない。


「お祖父さま……」


 我慢できず、そっと小声でシャーロットはロヴェルに声をかけた。

 オーナーたちが手を組んでレースに挑むなど、完全な不正である。

 勿論、現実的にそれを取り締まる事が出来ないのは確かだが、こうまであからさまにされては、彼女としては黙っていられない。


 老公爵は孫娘の顔色から彼女の言いたい事をすぐに察したようだった。

 しかし、余裕の笑みを零して片目をつぶる。


「いいじゃないか、ハンデぐらいやらんと面白くない」

「そんなっ!」


 思わず悲鳴めいた声を上げてしまう。

 祖父は知らないからそんな呑気な事が言えるのだ。


 魔王モルドレッドが一〇秒の壁を突破したことを。

 アロンダイトに距離の壁があり、さらに今、不調にあえいでいることを。

 ランスがアロンダイトを殴りつけるなどと言う蛮行を行い、いつ人竜の折り合いを欠くかわからぬ一瞬即発の状態にあることを。


 ここまで悪条件が揃っていると言うのに、さらに敵が結託するとなっては、いかにランスが伝説の竜騎士と言えど、到底勝てるとは思えなかった。

 相手もまた、円熟の一六翼将なのだ。


 しかし、今更、それを説明し、抗議している時間はない。

 ダービーの発翔は、もう間近に迫っていた。

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