第三〇翔
ホーリーグレイル――
現役時代、ロヴェル=ロックウェルとのコンビでゲイネス・ステークスを制した、ドラゴンレーシング三二年の歴史の中で、サラマンダー種唯一のG1タイトルホルダーである。
アロンダイトの父であり、そして『魔王殺し』の名竜ガラハッドの父系を継ぐ唯一の種牡竜でもある。
そして現在、後継となれるほどの実績を持った竜は、いない。
「病気を患ったという報は聞いておらんぞ。……黒血病か?」
眉間にしわをよせ厳しい表情で老公爵がセバスチャンに問いかけると、老執事は静かに一度深々と頷いた。
「そうか……」
老公爵は重々しい溜息とともに天を見上げ、ついで腰の愛剣を抜き放ち奉剣する。
人間と竜は寿命が違う。
ゆえに竜騎士は愛騎と二度の別れを経ねばならない。
一つ目は愛騎が年を重ね衰え現役から引退する時。
二つ目は言うまでもなく死別だ。
一つ目は寂しくはあっても会えなくなるわけではない。
血生臭い戦場と、もしくは過酷な競翔生活と離別し、これからは安穏とした余生を過ごす相棒を、笑って見送るのが竜騎士の心得である。
だが、二つ目は……。
「おい、シャーロット。黒血病ってなんだ?」
さすがに今の老公爵には声をかけられず、ランスは公女に小声で問いかける。
現代の常識には疎い彼ではあるが、竜に関してはかなりの知識の持ち主である。
そして三八年程度で竜のかかる病気がそうそう変わるはずもない。
にもかかわらず、全く聞いた事もない病名だった。
「その名の通り、全身を黒い血が支配したちどころに死に追いやるという、ガラハッドの血を引く竜のみが発症する奇病です。実はガラハッドも、この病で……」
シャーロットが固い表情でランスの問いに答える。
競走竜の父としてはいささか物足りないサラマンダー種ではあるが、実は母の父としては仔に抜群の闘争本能を伝える為、なかなか優秀であったりする。
歴代の名竜たちにも母父にサラマンダー種を持つ者は決して少なくない。
大レースは観客の興奮は凄まじいし、出てくる竜にも皆、一流の凄みがある。
対戦相手が放つ重圧に耐え、真っ向から立ち向かえ十全の力を発揮できる。
そんな強い心がなくてはG1を取る事はできないからだ。
にもかかわらず、ガラハッド系の人気がないのは、この病気ゆえだった。
一説には魔王の呪いではないかとさえ言われている。
「奇病……かぁ。確かにほんの一週間前までは元気にしてたのになぁ」
残念そうに、ランスは空を見上げる。
エレインの墓参の際、通り道だったので寄ってもらい、昔の愛騎の孫にして、今の愛騎の父の姿を、見物させてもらったのだ。
その時はまさかそれが今生の別れになるとは思ってもみなかったが。
「しかし、これでガラハッドの血統を継ぐ種牡竜はいなくなったってわけだ。アロンダイトの下に良い仔はいるかい?」
「残念ながら、アロンダイトほどの竜はおりません。今年産まれたばかりの仔に関してはまだ何とも言えませんが」
「そうか。じゃあ勝たなきゃいけない理由がまた一つ増えたってことだな」
ランスが不敵に笑う。
困難であればあるほど、重圧があればあるほど、この男は燃えに燃え、真価を発揮する。
その自らの性分を知るがゆえに、この男は自らを追い込むのだ。
英邁なる皇帝のことだ。
サラマンダー種の血統を断絶させるのは、軍事的に色々問題があるので、最終的に保護してもらえはするだろう。
この大陸からは魔族を一掃できたが、海を隔てた先にあるというもう一つの大陸では未だ魔族は健在である。
いざという時にはやはりサラマンダーの力は必要不可欠だ。
サラマンダーの原種はまだ大陸には少なからず棲息している。
だが、人類が一八〇年もかけて進化させてきた『血の結晶(サラブレッド)』のサラマンダーに比べれば、やはりその能力は著しく劣る。
また一から作り上げていくのは、まさに一〇〇年がかりであり、危急の折にはとても間に合うものではない。
そんな事に気づかぬ英雄王では決してない。
とは言え、ガラハッドの血統は、一〇〇年以上もの長き間、死闘をくぐり抜けてきたからこそ、『今』がある。
戦いによる選別を受けずに存続させたところで、能力的にもどんどん衰退していくのがオチだ。
それでは意味がない。
また心情の問題として、誇り高き『英雄の愛騎』の血統が、過去の栄光にすがって生き延びさせてもらうなど、正直ランスには耐えられない。
みじめもいいところだ。
そんな屈辱を相棒に被せるなど断じて許せることではなかった。
「すみませんな、ランス様。お待たせしてしまいました」
剣を仕舞い、老公爵がペコリとランスに軽く会釈する。
まだその顔には悲しみの色が濃かった。
彼にとっては自身の現役最後を飾った愛騎だ。当然、歴代の愛騎の中でも特別な思い入れがあったに違いない。
それがわからぬランスではなかった。
「いいさ。愛騎の弔いは何より優先すべきもんだ」
「そう言って頂けると助かります。しかし、私がここに参ったのはランス様にお伝えせねばならん事があったからです」
「俺に?」
「はい。……峡谷レースでの爆旋翔の使用禁止が、正式に決まりました」
「「えええええええええええ!?」」
驚きの声を上げたのはシャーロットとリュネットであった。
この二人は主従だけあって驚く時とても息が合う。
そんなことを埒もなく考えていたのはランスぐらいで、二人の少女は心底慌てていた。
「そ、そんな! あの技は峡谷でこそ真価を発揮する技ではありませんか!?」
「そ、そうです!」
シャーロットが甲高い声で叫べば、リュネットもコクコクと何度も頷く。
峡谷レースは城壁レースに比べカーブの数がそれこそ桁違いに多い。
そして距離の壁は、翼やその付け根の筋肉の限界によるものだ。
ファイヤーブレスを連発したところで距離の壁が短くなるなどと言った心配はない。
加速しながら方向転換できる爆旋翔は、様々な不安要素を抱えるダービーで、唯一アロンダイトが他竜に秀でているところだった。
それが禁止されるなど、何かの陰謀ではないかとすらシャーロットは疑いたくなる。
アロンダイトのみを狙い撃ちしたようなものではないか。
とても公平な取り決めとは思えない。
「まあ、おまえたちの気持ちはわからないでもないが、な」
孫娘の目に見えての不満顔に、老公爵は笑みをひきつらせる。
実際、老公爵もこれを英雄王から言われた時には彼女たちと同じく憤慨したものである。
だが、今は禁止は致し方なしと思っている。
なぜなら――
「あんなところでファイアーブレスを連発したら、峡谷そのものが破壊されるだろう?」
「「あっ!」」
再び、シャーロットとリュネットの声が重なる。
城壁レースの場合、ランスはファイアーブレスを城壁の外側、かつ、少し斜め上に放たせている。
周りに何の被害も出ていないがゆえにあの技は黙認されているのだ。
しかし峡谷で使えば下手すれば、ベイドン連峰一帯を巻きこむ山火事になりかねない。
「なんでそんな当たり前の事を見落としているんだ、わたしは……。しかし、アレが使えないとなればますます我々にとって不利に……」
「そう落ち込むなよ。ハナから俺は、アレを峡谷で使う気はなかったからな。大した問題じゃねえよ」
「そうは仰いますが……」
何と言うか、シャーロットは嫌な流れを感じるのだ。
魔王に闘志爆翔を真似られ、次いで距離の壁が発覚し、ホーリーグレイルの死亡に、爆旋翔の禁止。
悪い事は重なるとは言うが、それにしても続き過ぎである。
勝負事の世界に生きるドラゴンレーシング関係者は、とにかくゲンを担ぐ。
運気というものには流れがある事を、理屈ではなく、肌で感じ取っているからだ。
ダービーまであと二週間、まだ何かあるのではないか。
そういう得もしれぬ不安がシャーロットの胸をかきむしった。
そしてその不安は見事的中することになるのである。
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