第二九翔

 レースまで残り二週間を切るあたりになると、日々の調教も厳しいものとなる。

 主な目的は減量だ。

 日課の調教に加え、低速飛行を三時間ほど続けさせて、ゆっくりと脂肪を削ぎ落としていくのだ。


 ドラゴンレーシングには差が一竜身未満というレースはざらにある。

 少しでも身体を軽くして飛翔のキレをよくしておかねば、勝てるレースも落とすと言うことになりかねない。

 その時間にしてわずか〇・一秒にも満たない差が、勝敗を分け、時にはその後の竜生の明暗さえ分けるのだ。


 とは言え、過度の減量はスタミナを奪うし、アロンダイトには距離の壁という問題もある。

 キレとスタミナ、その両方のバランスが取れたまさに理想の体重を見極めねばならない。


 一〇ドランの理想体重より、いったいどれほど増やせばいいのか。

 これが実に難しい。

 熟練の調教師は普段の調教の中でその竜の理想的な体重をレースに合わせて一キラの誤差なく見極めると言うが、調教師生活二年目のシャーロットには非常に難しい芸当だった。


 しかも、この件に関してはランスも全く当てにならない。

 戦時は敵の襲撃がいつ来るかなどわかろうはずもないし、連日連夜の出撃も当然有り得る。

 いわば彼は常在戦場の男なのである。

 期日の決まった戦いに向けて、一カ月近くかけてベストコンディションを作っていく、などおそらく現代に来るまで考えた事もなかったに違いない。

 なにより――


「こんなことでランス様を頼るのは筋違いというものだ」


 シャーロットは自らを戒めるように呟く。竜をレース当日に万全の状態に仕上げて送り出すのは、竜騎士の仕事ではない。調教師である自分の役目だ。

 次の一戦は悲願のダービーだ。何が何でも万全の状態に仕上げねばならない。


「うん、良い仕上がり具合だ」


 手元の紙に刻まれた数字に、シャーロットは満足げに頷く。

 一ドラン一一秒三。体重を絞り切っておらず、闘志爆翔も使っていない事を考えれば、ほぼベストなタイムである。

 今のアロンダイトはまさに絶好調と言えた。


 過去七戦と比べて、とにかくアロンダイトの気合のノリが段違いに良い。

 減量中の為、食事制限され、かつ普段より調教量が多い。

 つらいはずだが嫌がる素振りも見せず、一生懸命ランスを背に飛翔を続けている。


 人間でもそうだが、本人のモチベーションが高ければ、自然、訓練の効果も高くなる。

 竜の知能は決して低くない。

 仮親であるシャーロットの言葉、そして周囲の雰囲気、そう言ったものから次のレースがこれまでとは違う意味合いを持つ大事な一戦であることを、しっかりと感じ取っているようだった。


「ふい~、終わった~」


 アロンダイトの調教を終えたランスが額の汗を拭いながらやってくる。

 延々と三時間、同じコースをゆっくりぐるぐる回り続ける、というのはやはり退屈なものである。

 天衣無縫なランスなら尚更だった。


 とは言え、嫌そうな顔をしつつも、鞍上をシャーロットに任せたりせず、頑として鞍上には自分が乗ると言い張るのがランスらしいと言えばらしかった。


「お疲れ様です、ランス様」

「おう、サンキュー」


 差し出されたタオルでランスは顔の汗を一通り拭って、


「アロンダイトのヤツ、いい感じに調子が上がってきてるぜ……ってどうしたい?」

「……え? あっ、はい。アロンダイトの調子はどうですか?」

「いや、だから、良くなってきてるって」

「そ、そうですか」


 シャーロットは真っ赤な顔で何度も頷く。

 季節はそろそろ初夏に入ろうとしていた。

 汗を拭うランスが普段より爽やかで新鮮で、つい見惚れてしまっていたシャーロットである。


「まあ、いいや。おい、リュネット」


 深く追求せず、ランスは半眼でこちらを睨みつけてくるメイドに手を上げて呼びかけた。


「今日の昼飯はおまえが作ってくれねえか? 前に作ってくれたヤツ、美味かったからもう一回食べさせてくれよ」

「……姫様、どうされますか?」


 答えはわかりきっていたが、リュネットはあえてシャーロットに問いかける。

 この男の為に頑張りたくないと顔にありありと書いてある。


「うん、そうだな。わたしも久しぶりにリュネの手料理が食べたいな」

「勿体ないお言葉っ!」


 主の言葉にリュネットは俄然張り切った。

 主が食べたいと言うのなら、腕によりをかけて最高の物を仕上げて見せよう。

 ランスにもそのおこぼれぐらいなら預からせてやってもやぶさかではない。


「あ、ちょっと待て、リュネ」


 早足で厩舎に戻ろうとしたリュネットの腕をシャーロットがガシッと掴む。

 その顔が少し恥ずかしげに染まっていた。


 妙な悪感がリュネットの背筋を疾る。

 シャーロットは黙ってリュネットを厩舎のほうへと引っ張っていく。

 ランスとの距離が十分に離れたところで、ようやく彼女は口を開いた。


「その、な、リュネ。料理を手伝わせてくれないか? それでその、ついでに少し、料理を教えて欲しいのだ」


 悪い予感、的中である。

 全身全霊をもって舌打ちを噛み殺し、リュネットはつとめて平静を装う。


「料理など、高貴なる姫様がなされることではございません」

「そうか? お祖母様は陛下にしばしば手料理を振る舞っていると聞くぞ」

「……さ、左様でございますか」


 不遜ながら、皇妃に心の中で呪詛の言葉を吐きかけたリュネットである。


「おまえが作ったものをランス様は美味しいと仰っていただろう。その、わたしもな、自分の作ったもので、あの方にそう言ってもらいたいのだ。だから、頼まれてくれないか?」


 そう言ってはにかむシャーロットは可憐だった。

 同性のリュネットの目から見ても、とてもとても可愛らしかった。


「か、かしこまりました。このリュネットにお任せください。及ばずながら全力で姫様にご指南させて頂きます」


 心の中で血涙を流しつつ、リュネットはドンと自らの胸を叩く。

 こんな顔で頼まれてどうして断れよう。

 主が喜ぶなら、何でもするのがメイドの務めなのだ!


「おやおや、何かの密談かね?」

「えっ!? お祖父さま!?」


 聞き慣れた声にシャーロットが驚き振り向くと、シャーウッド公ロヴェル=ロックウェルが杖を片手ににこやかに微笑んでいた。

 少し遠くでは馬車の前に控えた老執事セバスチャンがこちらの視線に気づきペコリと一礼してくる。


「どうして……? 予定ではこちらに来られるのは一週間後だったはずでは?」

「陛下に呼ばれていたのだよ。なぜランス様のことを黙っていたのか、とね。まったくとばっちりもいいところだ」


 やれやれと老公爵は首を左右に振った。

 そう言う割にその顔は楽しげで、おそらくは昔話に花を咲かせていたのだろう。

 英雄ランスロットの帰還と言う最高の肴もある。盛り上がったに違いなかった。


「お身体のほうは?」

「ははっ、もうピンピンじゃよ」


 老公爵はくるんと杖を一回転させて持ち替えると、目にもとまらぬ高速の突きを繰り出した。

 還暦間近の老人のものとはとても思えぬ、もしかしたらウォルターにも反応できないのではないか、というほどの凄まじき技のキレである。

 一六翼将は健在だった。


「お元気なのはわかりましたが、くれぐれもご無理はなさらないでくださいね」


 心底嬉しいシャーロットであったが、釘を刺しておくことは忘れない。

 愛する祖父には少しでも長生きして欲しかった。


「おー、ロヴェルじゃねえか」


 ランスも老公爵の姿を見つけ、手を振りながら近寄ってくる。


「おお、ランス様、実はお伝えしたいこ……」


 老公爵の言葉を、けたたましい馬のいななきが遮った。

 次いで慌ただしい蹄の音が鳴り響く。


 早馬で駆けてきた兵士は、老公爵の馬車の前でひらりと下馬すると、老執事に耳打ちする。

 老執事の顔がみるみる青くなっていく。

 ランスの無礼千万にも顔色一つ変えなかった男が、だ。


 彼は兵士から手紙を受け取ると、老公爵に駆け寄り告げた。


「昨夜、ホーリーグレイルが、亡くなったそうです……」

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