第二七翔

 ブルーリーフ賞からはや二週間ほどが過ぎた。


 ランスが勝利を請け負ってくれたからとて、それで安穏としていられるシャーロットではない。

 今、自分に出来る事は精いっぱいこなす。

 出来得る限り、ランスの負担を減らす。それが調教師の役目だと、自らに課していた。


 この日もシャーロットはアロンダイトの背に乗って、彼に日課の調教を施していた。

 帝国民のほとんどは、竜の調教と言うと、竜の身体能力の強化を目的に行っていると勘違いしているが、実は違う。

 最大の目的は知育である。


 竜騎士は竜に様々な指示を出す。

 当然のことながら、その指示の意味を理解していなければ竜も指示に従いようがない。

 竜の調教というのは、実は「この指示には、こう動け」と何度も何度も反復し、身体に教え込むことが大半なのである。


 その過程で勿論、身体能力の強化や反射神経の向上などが為されるが、それはあくまで副次的な物に過ぎない。

 勿論、実際にレースに乗るランスが直々に調教をつけるほうが望ましい。

 竜への指示は帝国式で統一されているが、やはりどうしても人によってそれぞれ多少癖があるからだ。

 特にランスは癖が強い。


 ランスも嬉々としてアロンダイトに騎乗してくれるので普段は任せているのだが、今日はエレイン女史の命日だった。

 墓参に遠方に出向いており、帰ってくるのは明日の夕方頃の予定だ。

 そこで久しぶりにシャーロット自身が調教をつけることにあいなったわけである。


「ウォーミングアップはこれぐらいでいいかな。いくぞ、アロンダイト!」


 そっとシャーロットはアロンダイトの首筋を撫でる。

 それまで人間で言えば歩くに相当する超低速飛行を続けていたアロンダイトが、グンっと一気に加速した。


 鞭や手綱で特に指示を出さず、アロンダイトの飛ぶ気に任せて空を翔けさせる。

 ドラゴンレーシング用語で「竜なり」と言われる飛ばし方だ。

 竜の身体のキレや調子を調べたい時にはこれが最もわかりやすい。


 アロンダイトの調子はかなり良かった。

 機嫌もかなりいい。

 理由にはすぐ思い当たった。


「そう言えば、おまえに乗るのは半年ぶりだったか。すまんな。わたしはおまえの仮親なんだから、たまにはこうして乗ってやらんといかんな」


 シャーロットの言葉に、ぐるるとアロンダイトが短く唸る。

 言葉はわからなくても、まったくだ、と言っているのが一発でわかった。

 確かにアロンダイトはランスを気に入っているが、それでも彼が一番大好きなのは、やはりシャーロットなのだ。


「ははは、そうだな」


 頷きつつ、シャーロットは巧みに手首を動かし、手綱を前後にしごく。

 スピードを上げろという指示だ。


 アロンダイトの首がわずかに沈み、翼の羽ばたきが大きくなる。

 スピードが乗ってきたところでシャーロットはさらに手綱を短く持って引き絞る。

 本気で飛べ、という指示だ。


 鞭で叩くのも同じ意味合いなのだが、あちらはどちらかというと気合い注入という側面が強い。

 人間で言えば両頬を叩いて気合いを入れたりする、あの感じである。

 その為アロンダイトの場合に限っては、鞭入れは闘志爆翔の指示と言える。


「ふふっ、いいぞ、アロンダイト」


 女の細腕では両手でしっかり掴まっていないと吹き飛ばされそうな速度である。

 しかし、それが頼もしい。


 一ドランほど追った(本気で飛ばした)ところで、シャーロットは手綱を緩めた。

 スピードを落として力を抜け、と言う指示である。

 再び超低速飛行に戻し、三〇分ほどかけてクールダウンさせれば今日の調教は終了である。


 シャーロットは子供の頃からサラマンダー種と接し、竜騎士に憧れ修練を重ねてきた少女である。

 実は並の竜騎士など及びもつかない騎乗技術の持ち主だったりする。

 それでもさすがにサラマンダーを乗りこなすにはまだまだ技量が足りない。

 そんな彼女の指示にアロンダイトが素直に従ってくれているのは、ひとえに彼のシャーロットへの愛情ゆえだ。


 そう思うと、シャーロットの中に愛しさが溢れてくる。

 アロンダイトの首筋に抱きつく形で、彼を優しく抱擁した。


 こんな指示は今まで受けた事がなく、アロンダイトは一瞬、戸惑ったような素振りを見せた。

 しかしすぐにその温もりから、「親」からの愛情表現である事に気づき、気持ちよさそうに喉を鳴らす。


「ありがとうな、アロンダイト。闘志爆翔がおまえにかなりの負担を強いているのはわかっているんだ。それでもおまえは三度あれを使い、わたしに勝利を運んできてくれた。それに、その、なんだ……ランス様とわたしを引き合わせてくれたのもおまえだしな。本当に……感謝している」


 ぐっとアロンダイトを抱き締める腕に力をこめる。

 頑張ってくれている彼に自分が出来る事はこれぐらいしかない。

 それが歯がゆかった。


「おまえからは色々もらってばかりで、さらにこんなお願いするのは気が引けるのだが、無茶なお願いだというのも重々承知しているのだが……それでも、それでも頼む。次のレースも、勝ってくれ」


 ガラハッドの直系でダービーを勝つ。

 それはシャーロットにとって幼少の頃よりの夢であり、そして愛する祖父の長年の悲願でもあった。


 すでに祖父は齢五〇を越え、今は持ち直しているものの、ここ数年は病気がちだった。

 いつお迎えが来てもおかしくない。

 なんとか祖父が生きている内にその光景を見せてあげたかった。


 アロンダイトは翼を大きく広げ、天に向かって高らかと咆哮をあげる。

 その瞳には強い意志の光が灯っていた。

 愛する少女の願いに、竜は応える気満々のようだった。


 しかし、この事が後に思わぬ事態を招くことになるのである。

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