第二六翔
その夜は呑めや歌えの大騒ぎであった。
新竜戦や昇級戦の時の宴会も盛り上がったが、今回はそれに輪をかけてのお祭り騒ぎである。
それも当然か。
何と言ってもシャーロット厩舎初の重賞制覇である。
しかも厩舎の主はまだ若干一八歳と六カ月、開業してまだ二年目早々と言う、従来の最速記録を大幅に塗り替える快挙だ。
まさに厩舎の前途は洋洋と言えよう。
そんな中、シャーロットは部屋の隅で一人厳しい顔でたたずんでいた。
重賞を制覇したとはいえ、あくまでブルーリーフ賞はダービーの前哨戦。
本番はまだ先であり、気を緩めるわけにはいかないのだろう、そう厩舎スタッフは理解している。
なにより自分に厳しい彼女らしい思考ではある。
ただ今回に限って言えば、その推測は間違ってこそいなかったが、正鵠を射ているとは到底言えなかった。
宴もたけなわになり、お開きとなる。
生き物を預かっている以上、いくらめでたいからとて明日厩舎を休みにするというわけにはいかない。
宴会は日付が変わる前に、と言うのがコーンウォール・シティの習わしである。
「ランス様、少々宜しいでしょうか。本来なら明日改めてとすべきなのでしょうが、どうしても、その……気になって……」
厩舎スタッフたちが片づけに勤しむ中、シャーロットがランスに声をかける。
片づける手を止め振り向いたランスの瞳には一切の濁りがなく、鋭い光が煌めいていた。
「俺もおまえに話があったんだ。ただ重賞勝ってめでたい日に言う事でもないし、明日にしようかと思ってたんだが、まあ、そろそろ日付も変わるしいいか」
言って、ランスは厩舎事務所を出て行く。
その足取りはしっかりしたもので、浴びるように呑んでいるように見えて、酒量を抑えていた事は明らかだ。
いつ何時、何が起こるか分からぬ戦時の竜騎士の嗜みなのだろう。
シャーロットとリュネットもランスに続いて、事務所建物の裏手へと移動する。
蛙の大合唱が少々やかましいが、これはこれで防壁代わりにちょうどいいとも言えた。
「話とは、距離適性のことだろう?」
二人に背中を向けズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、ランスが言った。
やはりか、とシャーロットはつらそうに顔をしかめる。
悪い予感ほど当たるという話はどうやら本当らしい。
正直、訊きたくないという気持ちも大きかったが、シャーロットは厩舎の主で、総責任者だ。目をそむけるわけにはいかない。
「……アロンダイトに、一二ドランは長すぎるのですね?」
「ああ、前から薄々は感じていたが、今日乗って確信した」
ランスがきっぱりと言い放つ。
この辺り、さすがに彼はドライであった。
戦士にとって自己の過大評価は死に直結する。
「どういうことでしょう? 今日のレースは完勝だったではありませんか」
納得がいかないというふうに、リュネットが口をはさむ。
ランスは「そうだな」と皮肉げに笑い、
「新竜戦は六竜身、昇級戦は十竜身の圧勝が、今日は二竜身差の完勝だ」
「それは……重賞なのです。相手がこれまでとは一段も二段も強くなっているのは当然ではありませぬか」
「リュネ、新竜戦には、ライオネルステークス二着のウインドハーティアがいたぞ」
「っ……」
シャーロットの指摘にリュネットは言葉に詰まった。
一ドラン九秒九と言う魔王の衝撃のせいでまるで話題にのぼっていないが、実はウインドハーティアはゴール前にしっかりエクスカリバーを抜き返し、見事、二着に滑り込んでいた。
つまり、魔王などと言う規格外の怪物がいなければ勝っていたということで、実質G1竜と言ってもいいだろう。
勿論、ウインドハーティアとて新竜戦の頃のままではない。
はるかに成長している。
だがそれはアロンダイトとて同じ事だ。
にもかかわらず、ウインドハーティアよりも明らかに格下を相手にして、着差を広げられなかったということになる。
加えて、今日のアロンダイトのタイムは二分二四秒四。
一二ドランのタイムとしてはそこそこ早いが、あくまでそこそこでしかなかった。
過去二回、大幅にレコードタイムを更新してきたアロンダイトが、だ。
もっとも一つは魔王によってその日のうちに破られてしまったが。
勿論、レコードタイムとはそうそう毎回更新できるほど甘いものではない。
だが、アロンダイトには闘志爆翔にランスの卓越した技量という、旧来の常識を覆す武器が二つもある。
だと言うのにそれが出来なかったとなれば、やはり何かマイナス要因があると見るべきだった。
「実は前も八ドラン直前あたりで急に手応えがなくなったんだ。それで今回、さらにペースは落としていたはずなんだが、それでもほとんど同じ地点で手応えが感じられなくなった」
「典型的な距離の壁(ウォール・オブ・ディスタンス)ですね」
沈痛な顔で、シャーロットが大きく溜息をつく。
競翔竜はある一定の距離を越えると、途端に成績が悪くなるというケースがある。
ドラゴンレーシング関係者はその境界線を距離の壁と呼んでいる。
シャーロットも調教師の勉強をして初めて知った事なのだが、大魔術師マリーンによれば、竜に限らず生物と言うものは、瞬発力に優れるが持久力のない筋肉と、持久力はあるが瞬発力に欠ける筋肉の二種類を持っているらしい。
そして、アロンダイトの瞬発型筋肉の限界は、八ドラン付近にあったと言うことだ。
それでも闘志爆翔があるので、一〇ドランまでは何とか対応できる。
しかし、ダービーはそこからさらに二ドランも長いのだ。
たった二ドラン、されど二ドラン。
格下相手なら今日のように何とか力で捻じ伏せられもしようが、ダービーはドラゴンレーシングの最高峰だ。
出てくる竜はまさに一流揃い。
しかも今年のダービーには史上最強との呼び声も高い魔王が出翔してくる。
その適正の差が大きなハンデとなってアロンダイトにのしかかってくるのは明白であった。
「やはりってことは、気づいていたのか?」
「気づくと言うより、怖れておりました。アロンダイトの血統は、あまりにスピードに偏りすぎていましたから……」
異種配合では、父方の種を受け継ぎつつも、母方の性質も多く受け継ぐ。
ワイバーン種の母竜は仔に飛行速度を伝え、サラマンダー種の母竜は闘争本能を伝える。
そしてスタミナを伝えるのが、べフィーモス種だ。
ドラゴンレーシングにおいては一般に五代前までを一覧にする血統表が普及しているが、アロンダイトのそれにはべフィーモス種の種牡竜の名前はただ一頭限りしか刻まれていない。
ほとんどがワイバーン種に埋め尽くされていた。
そうしなければドラゴンレーシングに対応出来なかったからとはいえ、そのスピード偏重の方針がここにきて響いてくるとは、運命の悪戯のようでいて、まさに必然だったと言える。
「そんな……それではダービーは絶望的ではありませんかっ! ダービーは峡谷(キャニオン)レースなのですよ!」
リュネットの悲痛の声が闇夜に響き渡る。
峡谷レースとは、まさにその名の通り、自然の険しい峡谷において行われる競翔である。
当然ながら、平地で行われる城壁(キャッスル)レースよりはるかに入り組んだ複雑なものとなる。
急減速・急加速を繰り返す為、同距離でもスタミナの消耗は比べ物にならない程に激しい。
平地でその有様では峡谷で体力など持つわけがない。
ダービーは主が年端も行かぬ子供の頃から獲ることを夢見てきたタイトルであり、ようやくその夢に手が届きかけているのだ。
そして、アロンダイトは主にとって我が子同然の竜だ。
最初から望みがないのであれば、諦められもしよう。
しかし、一度でも希望を持たせてからそれを奪うなど、あまりに残酷に思えた。
「なんとか、なんとか出来ないのですか!? 貴方は『不可能も覆す竜騎士』なのでしょう!?」
「こら、リュネ! あまりランス様を困らせるな」
侍女をたしなめつつも、ランスに向けるシャーロットの目には隠しきれない期待があった。
今にもすがりつきたいだろうに、現状の厳しさを深く認識し期待をかけるのは酷だと理解しそれができないでいるのだ。
まったく難儀な性格をしている。
ランスは心の中で「たまんねえなぁ」と思わず独りごちた。
こんな美少女二人にここまで期待されてできないなどと言おうものなら、それこそ男が廃るではないか。
「まあ、なんとかするさ。俺も負けるのは嫌いだしな」
溜息まじりにそう告げて、ランスはそっと天を仰ぐ。
その場の雰囲気に流されて、ほいほいと安請け合いしてしまうのは自分の悪い癖だという自覚は、あった。
とは言え、嬉しそうな二人の顔が見れたのだから、その価値は十分にあったと思う。
どうせかつての愛騎に誓ったことでもある。
要は自分がそれを裏切らなければいいだけの話だ。
もう『約束』を破るつもりは、ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます