第二三翔

「じゃあ次に会う時は、ダービーね」


 グィネヴィアはそう告げて、小さく手を振った。

 少々名残惜しそうではあったが、彼女はこれからライオネルステークスの優勝セレモニーに出席しなければならない。

 最も格式高いレースであるG1には、そういう盛大な式典が催される。

 そこに竜主が欠席しては締まるものも締まらない。


「おう、またな。もう年なんだから健康には気をつけろよー」

「まあっ! 自分だけ若いからって調子に乗ってぇっ! 見てなさい。クー・ホリンの二の舞にしてあげるんだからっ!」

「はっ、返り討ちにしてやるぜ」


 軽口を応酬し合い、ランスとグィネヴィアは同時に吹き出す。

 昔もこうやって、喧嘩みたいなじゃれあいをよくしていたことを思い出したのだ。


 クー・ホリンは神の血を受けた半神半人の英雄で、人と竜がまだ交わる前に活躍した人類の守護者である。

 しかし、魔王モルドレッドによって討ち取られ、以後、人類はランカスター皇家の祖、征竜王ウィルフレッドの登場まで、実に三〇〇年もの長きに渡り魔族の奴隷として苦渋の時を過ごす事となった。


「そう言えば、半神半人のクー・ホリンですら敵わなかった魔王を、ランス様は討ち倒しておられるのですね。さすがすぎます」

 今更ながら、神話級の人物と接しているという事実にシャーロットの心は震えた。


「あらあら、まあまあ」


 グィネヴィアがにま~と底意地の悪い顔を浮かべた。

 ゾクゾクっとシャーロットの背筋を悪寒が疾り抜ける。


「あなた、確かリュネットと言ったかしら。ちょっとシャルちゃんと女同士のお話をするから、そこの男を見張ってて」

「かしこまりました」


 リュネットは恭しく頭を下げる。

 彼女にとって主はシャーロット唯一人であるが、グィネヴィアは主の実の祖母である。

 ここは黙って従うのがメイドの務めだった。


「さあ、シャルちゃん、あっちで話そうね~」


 グィネヴィアにぐいぐいと背中を押され、シャーロットは廊下の隅へと強引に連れ込まれてしまう。


「お、お祖母様、セレモニーに遅れてしまいますよ!?」


 完全に逃げ道をふさがれた格好となるシャーロットが必死に声を上げる。

 祖母の顔に浮かぶ笑みに、悪寒が止まらない。


「うふふ、待たせておけばいいのよ~」


 まさに暴君の言であった。

 若かりし頃より宮廷を困惑させたその自由奔放さは今もなお健在である。


「ねえ、シャルちゃ~ん」

「そのシャルちゃんは止めて頂けますか。わたしはもう子供ではありませぬ」


 この祖母は興奮すると、幼い頃の呼び名で自分を呼ぶ癖がある。

 自分の事を好いてくれているのだろうとは思うし、それはわかるのだが、さすがにこの年になってそう呼ばれるのは少し恥ずかしかった。


「シャルちゃんはシャルちゃんだからいいのよ。そんなことよりシャルちゃん」


 まったく人の話を聞いてくれない。

 妙な既視感をシャーロットは覚えた。

 四ヶ月ほど前、似たような事があった気がする。

 そんなとりとめもない思索は、グィネヴィアの次の言葉によって木端微塵に吹き飛ばされた。


「あいつのこと、好きなんでしょ~? もちろん、異性として」

「なっ!?」

「あら、やっぱり」

「わ、わたしは何も答えておりませぬ!」

「そぉんな真っ赤な顔をして言っても説得力がないわよぉ」

「うぐっ」


 慌ててシャーロットは両頬に掌を当てる。

 火照って火傷しそうなぐらいに熱かった。

 いくらなんでも動揺しすぎだ、と恥ずかしくなり、余計にまた顔に血が昇る。

 グィネヴィアはそんな孫娘にうんうんと頷いて見せる。


「男の好みが一緒だなんて、やっぱりわたしの血を引いているのねぇ」

「そ、そう言えば、ランス様はお祖母様の初恋の方でしたね!?」


 咄嗟にシャーロットは自らの恋から話をそらそうと試みる。

 途端、グィネヴィアがそっと寂しそうに目を伏せた。


「そう、ね。あの頃が、わたしの青春だった。悲恋に終わったけど、ね」

「あっ……」


 シャーロットが自らの失言に気づく。

 ランスロットの訃報を聞いた時、祖母がどれだけ嘆き悲しんだかは伝え聞いていた。

 三日三晩泣き明かし、ついには自殺さえ試みたほどだった、と。


「申し訳ございません、お祖母さま」

「いいのよ、気にしないで。もう過去のこと、よ」

「そんなわけには……」

「本当にいいのよ、そんなことより」


 シャーロットの言葉をさえぎって、グィネヴィアがくるりと振り向いた。


「シャルちゃんもあいつの事が好きなのね?」

「うぐっ」


 シャーロットは再び言葉に詰まる。

 こちらの言葉に傷ついた素振りを見せて罪悪感を煽ってからの問いかけだ。

 これでは答えざるを得ない。


 いや、「男の好みが一緒」という発言がそもそも、グィネヴィアの巧妙な誘いだったのではないか。

 自分は完全にはめられたのだと今更ながらに気づく。

 その顔は未だ悲しそうなのに、なぜか口元だけはわずかに緩んでいる。


 宮廷は煌びやかで華やかな反面、裏では羨望や嫉妬が渦巻くどろどろした場所でもある。

 そこで何十年も女王として君臨してきたグィネヴィアである。

 シャーロット如き小娘を手玉に取るなど造作もないことだったろう。

 ここはもう観念するより道はなかった。


「はい、その、お慕い申して、おります」


 シャーロットはさらに顔を赤くして、うつむきながら自らの想いを口にする。

 からかわれる、と身構えていたシャーロットであったが、彼女の祖母は重い溜息をつき、同情するような視線を送ってきた。


「あっさり認めるとは、ずいぶんとのぼせてしまっているのねぇ。ったく、あんな男に惚れたら、絶対苦労するわよ~」

「あんな男って、ランス様は素晴らしい竜騎士ではありませんか!?」


 想い人を馬鹿にされ思わずシャーロットは抗弁する。

 武門の名家であるロックウェル家では何より竜騎乗の腕前が問われる。

 ランスは生まれも伯爵家だし、現代オークニー家が、公爵に列せられているのもまさしく彼の偉業によるものだ。

 シャーウッド公爵令嬢のシャーロットとも十分に家格は釣り合う。

 むしろ相手に相応しいかを問われるのは自分の方だとさえシャーロットは思っていた。


「そう、素晴らしい竜騎士だわ。でも、女心ってものがまるでわかってない男よ」

「お祖母さま……」

「巷ではわたしとあいつが恋仲だったってなってるけど、あれはわたしが負け惜しみで流したデマでね。実は完全なわたしの片想い。あいつには他に女がいたの」

「それは……エレイン、と言う方ですか?」


 その名を口にすると、ズキリと胸が痛んだ。

 ランスに想い人がいた、その事実がシャーロットの胸を強く軋ませる。


「おや、知っていたの?」

「いえ、話の折に一度だけ耳にした程度です。詳しくは……」

「そう。エレインはあいつの家に仕えていたメイドでね。誠心誠意、あいつに尽くしていたわ。あいつも、あんまり自覚はしていなかったみたいだけど、彼女の事を憎からず想っていたみたいだった。でもあいつはいつも空を飛ぶことばかりに夢中で、想いに応える事もしなくて、ついには魔王を倒したっきり帰ってこなかった……『絶対に帰ってくる』って約束したくせにね」

「…………」


 シャーロットは祖父が語った言葉を思い出す。

 エレインと言う女性は、ランスに最期まで操を貫き、たった独りで亡くなった、と。

 そして恐らくは、いまわの際まで、ランスの生還を信じていた。

 グィネヴィアへの言伝が、それを裏付けている。

 とても情深く、強い女性だと思った。


「ライバルを褒めるのは癪だけど、本当に、良い女だったわ」


 グィネヴィアは今は亡き親友を偲ぶように遠い目をする。

 恋の鞘当てを演じた相手だ。当時は色々あったのだろう。

 しかし、その表情からは晩年は良い関係が築けたことがうかがえた。


「まあ、あいつの女はエレインだけじゃなかったみたいだけどね」

「え?」


 初耳の話に、シャーロットの顔がぴくりと引き攣る。


「あら、意外ね。知らなかった? かなりの女たらしよ、あいつ。ライオネルやロヴェルの話だと、行く先々で軽薄に声かけて、女作ってたみたいだわ」

「そう、なのですか?」

「わたしが把握できただけでも、それなりの仲になったのは両手に余るわね」

「そ、そんなにいるんですか!?」


 思わずシャーロットは眼をむく。

 爵位を持つ貴族が他所に妾を作る事などそう珍しいことではないし、英雄色を好むとも言うが、ランスはまだ当時一八歳だ。

 それでその数はさすがに手が早すぎだった。


 一方その割には、この時代に来てからの彼は、そう言うことにあまり興味がなさそうなのが不思議だった。

 今の彼はとにかくアロンダイトに夢中だからかもしれない。


「シャーロット、あいつはね、ほいほい女をひっかけるくせして、いざってときは女より空を選ぶ酷い男よ。ひとつところに繋ぎ止められる男じゃないわ。想っても辛いだけ、よ」

「……繋ぎ止めようとしたから、ではないでしょうか?」


 ふと頭に思いついた事がシャーロットの口から思わず零れ落ちた。


「どういうことだい?」


 グィネヴィアの声色はあくまで優しい。

 それでもシャーロットの心は震えた。


 血の繋がった祖母とは言え、彼女は帝国で最も高い地位にある女性なのだ。

 孫とは言え臣籍の娘に過ぎないシャーロットがそのやり方を真っ向から否定するなど不遜の極みと言える。


 チラリと視界の隅にリュネットの姿を捉える。

 いつもはっきりと自分に諫言をしてくれる彼女の勇気を、今更ながらに思い知った。


 二人の間には厳然たる身分の差が横たわっている。シャーロットがその気になれば、いつでも彼女を解雇し、あるいはその命さえ奪うことが出来る。

 勿論、シャーロットにはそんなことをする気はさらさらないし、リュネットもそのことはわかってくれてると思うが、そういう恐怖を完全に拭い去る事まではできないはずだ。

 それでも彼女は諫言を止めない。

 そんな勇敢な彼女の主たる自分が、こんなところで怯んでいてはあまりにみっともない。


 シャーロットは腹に力を込め、覚悟を決める。

 エレインと言う女性の想いの強さは思い知らされた。

 だからこそ、自分も負けてはいられない。

 ランスを好きだという気持ちでは、誰にも負けたくなかった。


「あの方は、まさにサラマンダーです。強大な力を持ち、故に自由奔放な、空の王なのです。竜房に戸など付ければ、窮屈に感じて逃げ出したくもなります。戸を常に開き、ただ暖かな寝藁と、美味しい食事をいつでも用意しておく。そうすれば居心地良く感じて、勝手にネグラと定めてくれるのではないでしょうか?」


 シャーロットが一息に言い切ると、グィネヴィアは一瞬ポカンとなり、次いで盛大に吹き出した。


「あははははは! そう言えばおまえはわたしの孫であると同時に、アーサーの孫でもあったんだったね! あのひとも似たようなことを言っていたよ。なるほど、だからあのひとと、そしてエレインはあいつのネグラになれたんだね。くくく、はははは」


 よほどツボにはまったのか目じりに涙まで浮かべてグィネヴィアは笑い続ける。

 よくよく考えれば、この祖母の自由奔放さはランスに通じるところがある。

 ひそかにシャーロットは祖父が彼女の夫足り得たことに、大いに納得したのであった。

 英雄王はまことに偉大である。


「ふう、今頃になってそんなことに気づくとは、わたしもまだまだだね。大したもんだよ、おまえは」


 ひとしきり笑い終えると、グィネヴィアは唐突にバァンとシャーロットの背中を思いっきり叩いた。

 いきなりの不意打ちにシャーロットが顔をしかめる中、彼女はくるりと踵を返して手を振る。


「せいぜいがんばりなさい。わたしや、エレインの分もね。あいつの事も、頼んだ」

「はいっ!」


 託された想いは、重い。

 それでもシャーロットはいささかも迷うことなく力強く返事して、やおら腰の剣を抜き放ち、捧剣の構えを取り目蓋を閉じた。

 二人の人生の先輩に、心から敬意を表したのである。

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