第二〇翔

 コンコンとドアをノックする乾いた音が響いた。


 レース開始まで残りあと一〇分を切り、いやがおうにも緊張を高めていたところだったので、シャーロットとしては見事に肩すかしを食った気分である。

 シャーロットが不機嫌気味にリュネットへと視線を送る。有能な侍女は主の意を汲み、優雅な足取りでドアへと向かう。


「どなたさまでしょう?」

「わたしよ」

「お祖母さま!?」


 わずかにしわがれた声に、シャーロットはソファーから飛び上がった。


 リュネットがドアを開くと、見覚えのある落ち着いた雰囲気の老婦人が立っていた。

 ベージュを基調としたドレスは華美ではないが、見る者が見れば、使われている布が最上級の絹であることや、製法や刺繍に技巧の粋が尽くされていることに一目で気がつくだろう。

 こういう服は着る者の「格」が問われるが、この老婦人にはとても良く似合っており、彼女の持つ荘厳な風格をより一層引き立てていた。


 その後ろには屈強な衛兵が二人つき従っていた。

 老婦人は彼らに室外で待つよう伝え、オーナールームに入室した。


「お久しぶりです、お祖母さま」


 シャーロットは慌てて老婦人の下へと駆け寄り一礼する。

 祖母と言ってもシャーウッド公ロヴェルの妻ではなく、母方の祖母である。

 すでにもう半年以上顔を会わせていない。

 懐かしさに胸が暖かくなる。


「ほんと久しぶりね、シャーロット。また一段と綺麗になったのね」


 老婦人も嬉しそうに微笑んで、シャーロットを抱き締めた。

 シャーロットも愛情をこめて老婦人を抱き締め返した。


「どうして新年の祝いに来てくれなかったの? とても寂しく思ったものよ」


 たっぷり一分ほども抱擁した後、老婦人が少しむくれた顔で言う。

 すでに五〇代半ばのはずだが、こんな子供っぽい仕草が妙に似合う若々しさがあった。


「その、アロンダイトの事で手いっぱいで」


 シャーロットは恐縮しつつ答える。

 本当はそれだけではないのだが、それは言えない。


「まあ調教師一年目、それに仮親だものね。気持ちはわからないでもないわ」

「ご理解ありがとうございます。それでわざわざわたしに会いに御足労してくださったんですか? 嬉しいです」

「実はそっちはついで。本命は……」


 老婦人はじろりとランスのほうをねめつけると雰囲気を一変、怒声を上げる。


「こら! 帰ってきてるならさっさと知らせなさい! みんなどれだけあなたの事で悲しんでいたと思っているの!?」

「……もしかしなくても、グィネヴィア……だよな?」


 ランスは悪戯がばれた子供のように、肩をすくめ顔をひきつらせていた。

 そう言えば、とシャーロットは思い出す。

 英雄譚で謡われた、彼女の祖母とこの青年の関係を。

 その、悲恋に終わった物語を。


「ええ、ええ。そりゃ一目じゃわたしってわからないわよね! あなたがあんまり待たせるものだから、もうすっかりおばあちゃんよ! 人妻で三児の母よ! あなたは魔王の血でも呑んだりしたのかしら!? 憎ったらしいぐらいに全然変わってないわね!」


 英雄王アーサーの正室にして、現神聖ランカスター帝国皇妃グィネヴィア=ランカスターは、腰に両手を当ててフンと鼻を鳴らしたのだった。

 その後、グィネヴィアはこれまでのいきさつからダービーで驚かそうと言う悪巧みに至るまで、洗いざらいランスに白状させると、心底呆れ果てた顔になった。


「あなたって昔からそう。ほんっっっっと、自分ってものがわかってないのよ。無名の新人が、初騎乗で、サラマンダーでレコードタイム叩き出して、ブレスで方向転換なんてデタラメまでかまして、あげく名前がランス=スカイウォーカー?」


 グィネヴィアは小馬鹿にしたようにいちいち語尾を釣り上げながら指折り数えていき、最後に大きく溜息をつく。


「これでダービーまで正体を隠せるって思ってるんだから、おめでたいったらないわ」

「は、ははは」


 シャーロットの口から乾いた笑いが漏れる。

 さすがにランスの前で「おめでたい」という発言に同意は出来ず言葉を濁すしかないが、祖母の言に思わず納得してしまった。

 シャーロットも全く同じ理由で、ランスとランスロットを重ねてしまったのだから。

 ランスがふてくされたようにぼやく。


「ロヴェルは気づいてなかったんだけどなぁ」

「アーサーとライオネルもよ! ほんっと男って馬鹿ね」


 信じられない、とグィネヴィアは苛立たしげに頭を振った。

 歴史にその名を残した英雄王と一六翼将の一角をここまで大っぴらにこきおろせるのは彼女ぐらいであろう。


 とは言え、二人を責めるのは酷である。

 彗星のごとく現れた新人竜騎士が、三八年も前に行方不明になった英雄と同一人物など、そうそう結び付けられるものではない。


「おまえはよく気づいたな」

「女の勘を舐めないでほしいわ。男と違って女は常識に縛られないの」

「そいつはたまんねえや」


 彼女にはとても隠し事ができそうにない。

 夫のアーサーもさぞ大変だろうと苦笑するしかないランスである。


「そ・れ・よ・り! わたしに言わなくちゃいけないことがあるでしょう?」

「ん? ああ、そうだったな。ただいま」


 パン! ランスの頬が大きく鳴った。

 叩いたのが誰かは言うまでもない。


「って~。おまえ、本気でやりやがったな」


 顔を傾けたまま、ランスが文句を言う。

 もっともそれは口だけで、彼も避ける気はなかったようだ。

 魔王を討ち倒した戦闘の達人が、老婦人の平手をかわせぬわけがない。


「謝罪だったら許してあげたけど、それじゃあ、ね」

「は、ははは」


 またも乾いた笑いを零すしかないシャーロット。

 ランス贔屓の彼女にも、ちょっと擁護できそうになかった。


「ま、言いたいことはいっぱいあったけれど、その一発で全部チャラにしてあげる。一応『帰ってくる』って約束は守ってくれたから、ね。寛大なわたしに感謝しなさい」

「へいへい。ったく、約束守って叩かれてちゃ割に合わねえぜ」


 パン! 今度は逆の頬が鳴る。


「……さっきのでチャラじゃなかったのか?」

「わたしの分はね。今のはエレインの分。頼まれてたの」

「……たまんねえなぁ。そっちは文句言えねえや」


 呟いて、ランスはグィネヴィアに背を向けて故人を偲ぶように空を見上げる。

 その寂しそうな背中に、シャーロットの心はズキリと痛んだ。

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