第一九翔


 帝都キャメロットの春は咲き乱れるラッパスイセンで黄色一色に染まる。

 長かった冬の終わりを告げるこの花が地中から芽吹いてくるのを、市民たちは一日千秋の想いで待ち望んでいた。

 三カ月の雌伏の時を経て、ついにまた今年も、ドラゴンレーシングが始るのだ。


『アロンダイト強い! アロンダイト連勝です! 翔破タイムは一分五七秒四。なんと今度は一〇ドランの帝国レコードタイムを更新! なんでこんな竜がライオネルステークスに出ず、昇級戦に出ているのでしょう!? 何かが間違っている! 絶対に何かが間違っているぞぉ!』


 オーナールームで実況シダー・セント氏の絶叫を耳にしつつ、シャーロットはグッと小さく拳を握り締めた。

 新竜戦でランスが落ち込んでいた理由が、今ならばよくわかった。

 あの時の騎乗も傍目には神がかりだったが、今日の騎乗はさらにそれが洗練されていた。


 何より違ったのが、ペース配分の巧みさだ。

 今日のレースの五ドラン通過タイムは五八秒三。

 新竜戦の時よりタイムは落ちているが、その分、後半も失速することがなかった。


 それどころかラスト二ドランは闘志爆翔によりさらに加速、ハラハラさせられることなどまったくない、実に安定したレース展開と言えた。

 ランスがアロンダイトの能力を完璧に把握したように、アロンダイトもまたこの三カ月の間にランスを知ったようだった。


 指示への反応がまるで違う。

 要所要所で、人竜一体の素晴らしい動きを見せてくれた。

 今のアロンダイトは、新竜戦の頃よりはるかに速かった。

 次戦のトライアルレース、そして最大目標であるダービーに向けて、十分な手応えを感じられた一戦と言える。


 スクリーンの中では、ウィナーズサークルに降り立ったランスが、観衆の歓声に応え手を振っていた。

 観衆は誰も知らない。

 彼こそが全ての国民が憧れ、敬い、感謝する伝説の英雄であることを。


 そう、自分だけが知っているのだ。

 その優越感の、なんと甘美なことか!

 口元がにやつくのを止められないシャーロットである。


「あの姫様、今日は労いに参られないのですか?」


 リュネットが控え目に問いかけてくる。

 そう言えば彼女もランスの正体を知る人間の一人だということを思い出す。

 リュネットはシャーロットの腹心であり、隠し事をする気は何一つない。

 ないのだが、少しだけ複雑な心境になったのも偽らざるところだった。


(おっと、いかんいかん)


 シャーロットは自戒する。

 いったい自分は何を浮ついているのか。

 ランスもアロンダイトも真剣にレースを戦ったのだ。

 調教師たる自分がこんなことではとてもあのコンビに顔向けできない。気を引き締め直す。


「そうしたいのは山々だが、な」


 シャーロットはソファーを動くことなく苦笑する。

 眼下ではひとしきり声援に応えたアロンダイトが凱旋門をくぐって退場していく。


 この後はシャーロット所有の竜車に取りつけられた竜房で休ませる手筈になっている。

 今日のレースぶりを見る限り故障等のトラブルはとりあえずなさそうだ。

 優秀なスタッフたちに任せておけば問題ないはずだ。

 ならば、自分は自分の仕事をしなければならない。


『さあ、次に行われるのは本日のメインイベント! 四歳クラシック三冠初戦、最も速い竜を決めるライオネルステークスです。来月行われるドラゴンレーシング最大の祭典ダービーの行方を占う上でも極めて重要な一戦と言えましょう!』


 シダー氏の解説に思わずシャーロットは頷いた。

 そう、次のレースにはアロンダイトと同世代の有力竜のほとんどがエントリーしている。

 いずれダービーに駒を進めてくる竜も少なからずいるだろう。

 絶対に見逃すわけにはいかなかった。


「おや?」


 出翔表の中に因縁ある名前を見つけ、シャーロットは目を見張る。

 ウインドハーティアだった。

 現在の戦績は四戦三勝。

 どうやらアロンダイトの二着に甘んじたあの一戦の後、着実に勝ち星を重ねてきたらしい。


「ふん、生意気な」


 アロンダイトに完敗した分際で、彼より先にG1レースに出ようなどとは、全くもって気に食わなかった。

 ウォルターが過去三戦のうちいずれかで勝っていれば、もしくはランスが一カ月早く自分たちの下に現れてくれていれば、今頃はアロンダイトもこのレースに参戦できていたはずなのだ。

 たらればを言っても仕方ないとはわかっているが。


 丁度折よく、スクリーンにウインドハーティアの姿がアップで映し出される。

 こうして一頭一頭竜を紹介し、客はそれを見てどの竜に賭けるかを決めるのだ。


 竜は生き物だ。

 コンディションは日によって変わる。

 たとえ前評判が高くても、ここで頭や身体をしきりに動かし落ち着きのない姿を見せていたり、とぼとぼと元気なく歩いているような竜は、まず勝てない。

 通になると、筋肉の付き具合や身体の締まり具合、全身のバランスなども見る。


 シャーロットは通どころか専門家である。

 その本職の眼から見ても、今日のウインドハーティアの出来は上々と言えそうだ。

 この三カ月という期間、及び三度のレースとその勝利が、着実に彼を成長させているのがありありと感じとれた。


 それを証明するように、出翔表に書き込まれた持ち時計は一ドラン一〇秒五、三歳時よりさらに速くなっている。

 数字だけならG1竜と比較してさえ上位と言えるずば抜けたものだ。

 ウォルターがそれまでの義理人情を捨てても乗りたいと思うだけの事はあった。


「ふむ、考えようによっては、ちょうどいいか」


 次々とスクリーンに紹介されていく竜を、シャーロットはウインドハーティアを基準に評価していく。

 そうして分かった事は、思った以上にウインドハーティアが良い竜だ、ということだった。


 勿論、竜体の素晴らしさだけで勝敗が決するわけではない。

 みすぼらしい竜体の名竜もいるし、素晴らしい竜体の駄竜もいないわけではない。

 それでも、ほとんどの名竜はやはり素晴らしい竜体をしているものだ。


「ふふっ、これほどの竜にアロンダイトは勝ったのだ」


 すでに一〇頭以上紹介されたが、ウインドハーティアを超える竜体の持ち主はいなかった。

 彼以上の時計の持ち主もだ。

 このレースの勝ち竜は彼でほぼ決まりか、そう思い掛けたところで画面が移り、シャーロットは思わず眼を剥いた。


「これは……」


 まず目を引いたのは雄大な翼だった。

 アロンダイトもサラマンダー種としては大き目の翼の持ち主だが、この竜と比べるとどうしても見劣りすると言わざるを得ない。

 体格はワイバーン種の平均的な大きさだが、筋肉の発達具合が尋常ではない。

 中でも翼の付け根の盛り上がりは素晴らしいの一言に尽きた。


 速く空を飛ぶ、ただそれだけを突きつめたような竜体だった。

 何よりシャーロットの眼を釘づけにしたのは、その眼だ。

 まるでサラマンダーのような、ぎらついた闘志が漲っている。


「うぃーっす」


 シャーロットが竜に魅入っていると、レース後の検査を終えたランスが入室してきた。


「あっ、ランス様。お疲れ様でした」


 慌てて立ち上がり、シャーロットはランスにペコリと頭を下げる。

 彼はいいからいいからと手を振って、スクリーンに目を移し、「ほう」と感嘆の息を漏らした。


「すっげえ竜だな。こりゃたまんねえ……」


 彼をして、ここまで言わしめる。


 その事実にシャーロットは戦慄を禁じ得ない。

 何者だと思わず出翔表に目を移しかけ、そうするまでもなくその正体に気づく。

 というよりすぐに気づけなかった自分が、不覚であった。


 シャーロットはこの竜を見るためにアロンダイトの昇級戦を今日に定めたのだ。

 そんなことすら忘れさせるほど、素晴らしい竜だった。


 今のところ暫定ではあるが、ウインドハーティアを抑え、堂々の一番人気に支持されている。

 それも当然か。

 すでに重賞を二つ勝っている。

 うち一つは三歳王者決定戦ガウェインステークス、すなわちG1である。


 これまで四戦四勝無敗。

 持ち時計一ドラン一〇秒四は、ウィンドハーティアを抜いて出翔竜中単独トップの数字だ。

 さらに着目すべきは前翔のラスト三ドランのタイム、三三秒一だろう。

 これはウインドハーティアの三三秒六を実に〇・五秒も上回る。

 キレる上に、長い翼が使えるということだ。


「くくくっ、おいおい、こりゃ随分と奮った名前じゃねえか。これも名前負けしないっていうオーナーの自信の表れかね? まあ、お手並み拝見と行こうか」


 ランスはむしろ楽しげに口の端を釣り上げる。

 シャーロットも深く頷く。

 実に頼もしい主戦竜騎士だった。



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