第一八翔

「ランス様、お、おはようございます。き、昨日はよく眠れましたか?」

「ランス様、教えて欲しいことがあるのですが……」

「ランス様、本日は何をお召し上がりになります?」

「ランス様♪」

「ランス様☆」


 こんな調子で、正体をばらして以来、シャーロットはランスに対し、丁寧にかしこまった態度で接してくるようになった。


 当然、ロックウェル家中の者たちは、姫君のあまりの豹変に驚天し、そして好奇の視線がランスに注がれる事となった。

 シャーロットがこうまでへりくだるほどだから、やんごとなき生まれに違いない、と今では皇族のご落胤説が使用人たちの間では有力視されている。

 それを裏付けるように、ロヴェルは使用人たちにランスを最上の客人として丁重に遇するよう言い渡し、自らもランスに対し一歩引いた恭しい態度で接した。

 これが権威を盾にした無理強いなら、使用人たちも苦々しく思い主人たちに同情していたところである。


 しかし暇さえあれば使用人たちにランスの居場所を聞き、嬉々として彼の下へと向かうシャーロットが、本心からランスを慕っている事は誰の目にも明らかであった。

 使用人たちはそんなシャーロットを温かな目で見守っている。

 実のところ、淑女の嗜みにはまるで興味を示さず竜にばかり傾倒し、社交界では『ロックウェルの赤竜姫』などと呼ばれるまでになった彼女を、婿のなり手がいないのでは、と彼らはひそかに心配していたのだ。


 屋敷の主も、ここ最近はすこぶる機嫌がいい。

 こうしたこともあり、数日も経たぬうちに使用人たちのランスへの好感度はうなぎ昇り、もてなしにも力が入ろうと言うものだった。


 一方、そんな経過を経て行われる至れり尽くせりな待遇に、最も辟易していたのが当のランスだったりする。

 一応、伯爵家の生まれではあるが、厳しい戦時で育ち、贅沢とは縁遠い生活を送ってきた。いちいち世話してもらうのが、鬱陶しくて仕方がなかったのだ。


 そんなわけで、朝食を食べるなり弁当抱えて急いでアロンダイトを探しに出かけ、彼と日没すぎまで遊んでからこっそり帰宅する、と言う日々をここ最近のランスは送っている。

 アロンダイトは休養中なので騎乗して飛ばすなんてことはほとんどできないし、冬のシャーウッドは骨身に染みるほど寒かったが、それでも屋敷にいるよりはずっとましだった。


「ふう、いい湯だったぜ」


 パァンとタオルで自らの肩を叩き、ランスは鼻歌交じりに屋敷を練り歩く。

 やはり冷えた身体を温めるには風呂が一番である。

 ついつい長湯してしまった。


 上がった頃にはもうすっかり夜も深まり、屋敷は不気味なぐらいに静まり返っていて足音が妙に響く。

 月明かりを頼りに薄暗い廊下を歩いて行くと、ふと、ある一室から灯りが漏れているのに気づく。

 シャーロットの部屋だった。


「おいおい、こんな時間まで起きて何やってるんだ?」


 好奇心を刺激され、ランスは扉をノックした。

 こんな時間に若い婦女子の部屋を訪れるのが問題なのは当時も今も変わらないが、ランスはそう言う事に頓着しない男だった。


「どなたさまでしょう?」


 誰何(すいか)の声はリュネットだった。

 こんな夜遅くまで傍近く仕えるとは、まったく呆れるほどの忠臣ぶりである。


「俺だ」

「ランス様!? 少々お待ちを!」


 シャーロットのひどく慌てた声とともに、扉の奥でドタバタと慌ただしく動き回る気配がした。「鏡、鏡!? 櫛! それから……」と必死な声も漏れ聞えてきた。

 そんなこんなでしばらくして扉が開き、ランスは短く口笛を鳴らした。


 シャーロットはゆったりとした薄桃色のナイトドレスに身を包んでいた。

 今まで騎士服姿しか目にしていなかったので、地味な夜着とは言え女性らしい格好をした彼女を見るのはこれが初めてだ。

 実に新鮮で、目に楽しかった。


「なんですか? なにかおかしいですか、わたし!?」


 ランスの反応に、シャーロットがおろおろと慌てる。


「いや、可愛いぜ。凛とした格好も悪くないが、たまには着飾った姿も見せてくれよ。元はいいんだから、勿体ないぜ」


 口先の魔術師、本領発揮である。

 だが、嘘を言っているつもりはない。


「み、見たい、ですか?」


 肩口を垂れる髪をいじりながら、シャーロットがほんのり紅く染まった顔で、上目遣いで聞いてくる。

 その表情は、これまでの彼女にはなかった艶があり、思わずランスが見蕩れるほど可愛らしかった。


「ああ、見たいね」

「わ、わかりました! 明日、お見せします! でも、その、あまりドレスは慣れてなくて、変でも笑わないでくださいね?」

「笑わねえって」


 この美しい少女が着飾った姿を見て、それを指差して笑っている自分を想像するのは、『不可能も覆す竜騎士(ドラグーン・オーバーターンズ・インポッシビリティ)』と謳われたランスにも至難の技だった。

 どうせなら、とランスはシャーロットの側に侍る少女にチラリと視線を向ける。


「リュネットのメイド服以外の姿も見たいんだがな?」

「わたくしはお見せしたくありません」


 侍女ははそれはそれは冷たく蔑んだ視線を返してきた。

 最近はちやほやされすぎて、彼女の冷たさが妙に心地良くてつい軽口を叩いてしまうランスである。


「あ、そういえば、こんな夜更けにどうなされたのですか?」


 ふと思い出したように、小首を傾げてシャーロットが問う。


「ああ、こんな時間まで何やってんのかってちょっと気になっただけだ。邪魔したかな?」

「いえ、ちょうど良かったです。ランス様のご意見をお訊かせ願いたかったところです」

「俺の?」

「はい。あっ、いつまでも立たせたまま申し訳ございません。どうぞ」


 シャーロットは手で入室するよう促し、その腹心がさっと、それまでシャーロットが作業していであろう机の前の椅子を引く。


 シャーロットの部屋はぬいぐるみや絵画の類は一切なく、机に広がるのも煌びやかな小物ではなく、書物の山だ。

 本棚にもぎっしりと本が詰まっている。

 揃えられたインテリアも高級感は漂っているがどれもシックで重厚な色合いで、おおよそ貴族令嬢の部屋としてはかなり簡素で地味と言えた。


 ランスが腰掛けるのを待ってシャーロットも着席し、彼の前に一枚の紙を差し出してきた。

 先程までこれを作っていたのだろう。

 そこにはびっしりと文字が書き込まれ、紙の一番下にはひときわ大きくダービーと書かれ、何重にも丸で囲んでいるのが目についた。


「ご相談したい事と言うのは、トライアルレースの事です。昇級戦も勝っていない内から気が早いとは思うのですが、やはりどちらを目指すかで調教方針も変わりますから」

「……そもそもトライアルレースってなんだ?」


 ポリポリと頬を掻きながら、ランスが問う。

 竜騎士の免許試験の時に一応ドラゴンレーシングについて勉強はしたが、反則行為やレースの進め方など実際のレースを行う際に知っておかねばならないルールのほうが中心だった。

 ランスがこの時代に来てまだ二月ほど、今の時代を生きる人には常識の事でも、未知の事が多々あった。


「あ、はい。G1レースの前哨戦とされる重賞レースのことです。概ねG1レースの一月前に近い距離で行われます。これにより竜の調子を整えたり、距離を教え込んだりします。そして次が重要なのですが、トライアルには三着まで出翔優先権というものが与えられます。つまり、このレースで三着までに入れば、確実にダービーに出翔できるということです」

「ほう、そんなものがあるのか」

「はい。ダービーのトライアルは、ブルーリーフ賞とインポータントステークスの二つになります。ブルーリーフ賞は一二ドラン、五月第一週に行われます。対してインポータントステークスは一〇ドランで五月第二週に行われます」


 ダービーの上の段に書かれた丸囲みの文字をそれぞれ指差しつつ、シャーロットは語る。


「それぞれのメリット・デメリットは?」

「ブルーリーフ賞のメリットは、やはりダービーと同距離で行われると言うことでしょう。よりダービーへの実戦的な訓練ができます。デメリットは、このメリットゆえインポータントステークスより強豪竜が集まりやすく、勝つのが難しいということですね」

「ふむ」

「一方、インポータントステークスのメリットは、何と言っても勝算の高さと言えます。すでにアロンダイトは一〇ドランで三歳レコードを叩き出し、この距離での強さは証明されています。ほぼ確実にダービーに駒を進めることができるでしょう。デメリットは――」

「一二ドランの距離を未経験のままダービーに出翔することになる、か」

「仰る通りです。あと、出翔間隔がブルーリーフ賞より一週短い分、より疲労が残っているという問題もあります」

「なるほどね。なら、ブルーリーフ賞だな。ダービーに出翔するのが目的じゃねえんだろ? あくまでダービーに勝つのがおまえの目標だ。そうだよな?」


 ジッと試すように、ランスがシャーロットの瞳を覗きこんでくる。

 シャーロットは胸が熱くなるのを感じた。

 憧れの英雄に見つめられて胸が高鳴っているというのも、確かにある。だが、決してそれだけではない。


 アロンダイトでダービーに勝つ事、それは確かにシャーロットの夢だった。

 だが一方で、心の奥底では無理だと諦めていた夢でもあった。

 いつの間にかダービーに勝つ事から、なんとか出翔だけでも、と目標を下げていた自分が、確かにいた。


 しかし、ランスは本気で勝つつもりでいる。

 聖戦時にはしばしば荒唐無稽な事を言い放ち、その全てを実現させ、同僚たちからは『不可能も覆す竜騎士(ドラグーン・オーバーターンズ・インポッシビリティ)』と讃えられた奇跡の竜騎士が、だ。

 これで胸が熱く燃え盛らないわけがない!


「はい、勿論です!」


 シャーロットは声に力を込め、強くはっきりと宣言する。そう、弱気だった自分と、完全に決別するために。

 少女の答えに、ランスは満足げに口の端を釣り上げる。


「決まりだな。じゃあブルーリーフ賞に……」

「お話中のところ、申し訳ございません。僭越ながら、ちょっと宜しいでしょうか?」


 ランスの言葉をさえぎって、リュネットが片手をあげた。


「どうかしたか、リュネ?」


 ランスに対するのとは一転して、凛とした威厳ある声でシャーロットは言う。

 そのあまりの変貌に、そして切り替えの速さに、まだ少々慣れないランスである。


 とは言え、自分だけにそういう態度を見せてくれるというのは、やはり男として悪い気はしない。

 リュネットが小さく首肯し、意見を口にする。


「ダービーへの優先出翔権が付与されるのは、その二つだけではなく、G1のライオネルステークスもあるはずです。なんといってもアロンダイトとランス様には、闘志爆翔(バーストウイング)があります。むざむざ三冠のチャンスを逃すのは勿体ないと思うのですが」

 闘志爆翔とは、例の火事場の馬鹿力のよる限界を超えた飛翔のことである。名称がないと色々不便だったので、シャーロットが命名した。

 ファイアーブレスによる鋭角ターンは爆旋翔(バーストターン)と言うらしく、そこからの連想だった。


「……三冠、か」


 シャーロットが虚空を見上げ呟く。

 四歳限定のG1は三つあり、総じてクラシック三冠と呼ばれる。

 その全てを制覇した竜は、三一年のドラゴンレーシングの歴史において、わずか一頭しかいない。

 アロンダイトをその史上二頭目の三冠竜にする。

 それはとても魅惑的で、アロンダイトが三冠を制した瞬間を想像するだけで、もううっとり夢見心地になれる。


 しかし、シャーロットは調教師である。

 見るのは夢ではなくて、現実でなければならない。


「わたしもそれは考えたんだがな。どうにも出翔間隔が厳しい。アロンダイトはまだ未昇級竜だ。G1であるライオネルステークスに出翔するには、事前に昇級戦、トライアルと最低二戦こなさねばならん」


 言ってシャーロットは紙を裏返し、そこにローテーションを書き込んでいく。


「ライオネルステークスが行われるのは四月第二週、そしてステップレースのスプリングウインドステークスが三月四週、昇級戦は三月第一週と言ったところになる」

「中三週、中二週での三連戦ですね。ひ弱なワイバーン種ならともかく、頑健なサラマンダー種であるアロンダイトが苦にするとも思えません」


 ドラゴンレーシングにおいて、レース間隔は四週ほど開けるのが平均的である。

 一般論として、中二週は竜にとってかなり厳しい間隔と言えるだろう。


 とは言え、アロンダイトは過去四戦、そう言うペースでレースをこなしてきていたし、それで疲労を残して次のレースに挑んだということもなかった。

 レース間隔を開けすぎると、逆に調子を維持するのが難しいという側面もあり、むしろアロンダイトの適正なレース間隔とすらリュネットには思えた。


「あんまりお奨めしねえなぁ、それは」

「やはりランス様もそう思われますか」


 ランスが口を挟むと、シャーロットも同意を示す。

 二人だけがわかっているというのが、二人が通じ合っているようでリュネットには何とも面白くない。


「どういうこと、でしょう?」

「リュネ。確かに闘志爆翔はサラマンダーのアロンダイトにレコードタイムを叩き出させるほど強力な切り札ではある。しかし、考えてもみよ。体力が尽きたところから、さらに限界以上の力を発揮するのだぞ?」


 リュネットは頭の回転の速い少女である。

 すぐにシャーロットの言葉の意味を察した。


「……身体への負担が大きい、ということですか?」

「うむ。レース後のアロンダイトを診たが、疲労の度合いがそれまでのレース後とは段違いだった。まるでぶっ続けで二レースこなしたかのようだった。たった二ドランの闘志爆翔で、な」

「と言うより万全の状態でもアレは二ドランが限界だな。それ以上はアロンダイトがもたねえ」


 二人の説明に、リュネットはごくりと唾を呑みこんだ。


「まさに諸刃の剣……なのですね」

「然り。特に競翔竜の命とも言うべき翼へのダメージが大きい。とても中二週では疲労が抜けきらぬだろう。中三週でも恐らく多少残る。次のレースに向けての調教も平行して行わねばならぬしな。それで三連戦だ。最悪、ライオネルステークスで故障する可能性すら考えられる」

「それは、確かに問題ですね」

「ああ。あくまでわたしたちの目標は、ダービーだからな」


 そう、ライオネルステークスも捨てがたくはあるが、やはりアロンダイトに最も似合うタイトルはダービーを置いて他にはない、とシャーロットは確信している。

 それはダービーがドラゴンレーシング最高峰のレースということだけでなく、もう一つ、理由がある。


「なあ、前から少し気になってたんだけどよ。もしかして、G1って一六翼将の名前から付けられているのか?」


 ランスが眉をしかめて嫌そうに言う。


「はい、ご明察の通りです。だからこそダービーは最高峰のレースなのです」


 シャーロットが答えると、ランスはますます嫌そうな顔になった。


 シャーロットは思わず苦笑する。

 最近少しわかってきた。この偉大すぎる竜騎士は、派手好きで目立ちたがりではあるのだが、一方で名誉とか地位とかいったものを煩わしいと思っている節がある。

 自分の帰還を知らせないよう指示したのも、恐らく少しでも自由を満喫するためなのではないだろうか。


 本当に、子供みたいな人だ。

 惚れてしまえばあばたもえくぼと言うが、そんなところも可愛いと思えてしまう。


「ちなみに、ダービーの正式名称は、ランスロット・ダービーです」


 リュネットが淡々と補足する。

 ランスがげんなりと肩を落とした。


「たまんねえなぁ……爵位号だけならまだしも、ファーストネームがついてんのかよ」

「ふふふ」


 シャーロットは楽しげに笑みを零す。

 そう、だからこそ、アロンダイトにはダービー竜の称号が最も似合うのだ。


 ロマンだけで勝てるほどドラゴンレーシングは確かに甘くない。

 だが、それでも人々は夢見ずにはいられない。

 否、甘くないからこそ、夢を見るのだ。


 その艱難辛苦を乗り越えるからこそ、人々は感動し、涙し、熱狂し、夢を叶えてくれた竜に祝福を惜しまない。

 時を越えた伝説の竜騎士が、自身の名を冠する大レースを過去の愛騎の子孫で勝つ。


 そんなまるで運命の神が洒落で仕込んだとしか思えないようなドラマが紡ぎだされる瞬間が来る事を、シャーロットは期待せずにはいられなかった。

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