第一六翔

「知らぬとは言え数々のご無礼、真に申し訳ございませんでしたぁっ!」


 老公爵の寝室を出るなり、シャーロットはランスにガバッと膝に額をぶつけそうな勢いで頭を下げた。


 老公爵はまだまだ名残惜しみ、ランスと話したがったが、病身であまり無茶をさせるわけにもいかない。

 時間ならこれからいくらでもある、とランスたちは話を打ち切り部屋を後にしたのである。


 頭を下げ続けるシャーロットの身体が、小刻みに震えていた。

 自分のしでかした事の重大さに慄いているようだった。

 肝心のランス自身はまるで気にしていないので、こうなると一種の喜劇ではある。

 ランスは思わず苦笑して、ポンポンとシャーロットの頭を優しく叩いた。


「正体を隠していた俺が悪いんだ。気にするな」

「ううっ、もっと早く教えて頂ければわたしも……」


 顔をあげたシャーロットの瞳には、じわっと涙が浮かんでいる。

 凛とした彼女には非常に珍しい光景だった。

 傍で控えるリュネットが目を見張るぐらいに。


 それほどにシャーロットはテンパっていた。

 初対面から横柄な態度で接してきた。

 何度も怒鳴りつけた。

 思いっきり抱きつきその胸で泣きじゃくった。

 祝勝会では酌をさせた。

 今朝など足を思いっきり踏みつけた。

 自分が心の底から崇敬する歴史上最大の英雄に、だ。


 しかも、しかも、しかも、だ。

 シャーウッドに来るまでの間中、英雄ランスロットの偉業をもうこれでもかって語って聞かせてしまった。

 本人に向かって何を偉そうなことを言っているのか、である。

 本人のほうがよほどよく知っているに決まっている。


 思い出すだけで顔にカーッと血が昇り羞恥にいたたまれなくなる。

 穴があったら入りたいとはまさに今こういう心境を言うのだろう。


「いや、でも、言ったって信じなかったろ?」

「それは……」


 シャーロットは言葉に詰まる。

 確かに初対面あたりで「俺はランスロットだ」なんて名乗られたら、「あの方を侮辱するなっ!」と激高さえしていた気がする。

 おそらくアロンダイトにも乗せようという気にならなかったに違いない。

 官憲に突き出そうとしていたかもしれない。

 しかし。しかし。しかし。


「うううっ……」


 どうにも過去の自分の所業が悔やんでも悔やみきれないシャーロットであった。

 唯一の救いは、ランスに態度を改めるよう指示しなかったことか。

 それだけは過去の自分を褒めたいと素直に思う。

 もしそうさせていたかと思うと……。

 シャーロットはぶるるっと身体を震わせた。


「そうびびるなよ。嬢ちゃんもあんなに俺のファンだってんなら、俺の性格は知ってるはずだろう? ほんと気にしてねえって」

「姫様は他人にご寛容で、御身には厳しいお方ですので」


 リュネットがいつもの無表情で、淡々と言う。

 ランスにしてみれば、どちらかと言えば殺気をたびたび向けてくるこの侍女のほうに冷や汗をかかされたものだが、こちらは至って悪びれる様子もない。

 まあ、こちらのほうが気楽で有難かったが。


「それは本来なら褒められるべき気質だが、今に限っては面倒だな」

「人の上に立つ身として考えるなら、どこぞのちゃらんぽらんな風来坊伯爵よりよほど素晴らしい資質かと存じます」


 本当にいい度胸をしたメイドであった。

 どうもこの侍女はシャーロットを神聖視している節がある。

 その主がランスにへりくだるのが我慢ならないのだろう。


 その気持ちが、ランスもわからないではなかった。

 素性不明で無礼な自分を受け入れる寛大さに、能力があるとみるやケチらず厚遇する気前の良さもある。

 まだ数日に過ぎないが、スタッフが皆のびのびとそれでいて真剣に仕事をしているのは十分にわかったし、ランス自身、彼女のために何かしてやろう、という気にいつの間にかさせられている。

 なかなかに人の上に立つ器の持ち主と言えた。


「こら、リュネ! ランスロット様に向かって何と言う口のきき方だ!」


 それまでのしおらしさから一転して、シャーロットは威厳ある凛とした態度で己の侍女を叱責した。

 何とも忙しく、また一瞬の変わり身であった。


 とりあえず「ちゃらんぽらんな風来坊伯爵」を一発でランスと特定したことは追求しないほうがいいのだろう。

 さらに話がこんがらがりそうだ。


「いいからいいから。だから気にしてねえって。俺がちゃらんぽらんなのは事実だ」

「いや、しかし、ランスロット様……」

「あー、むしろそっちのほうが気になる」

「え?」

「俺を呼ぶ時はランスでいい。本名のほうは、他の誰かに聞かれると色々面倒だからな」


 名誉欠名に刻まれた名前を名乗る事は、皇室侮辱罪に問われる。

 下手すれば死刑だ。

 それはさすがにランスも御免被りたかった。


「……そうですね。わかりました。ランス様」

「様もいらねえよ。今まで通り呼び捨てで構わねえから」

「そ、そんな!? ランス様を呼び捨てにするなどできるわけがございません!」


 ぶるるっと再び全身を震わせて、シャーロットがきっぱり言い切る。

 こういう時の彼女が融通が利かず頑固であることを、ランスは短い付き合いの中からもすでに悟っていた。

 強く行っても巖として聞き入れてくれないだろう。


 ほんとあいつの若い頃にそっくりだ、とランスは彼女の祖父のことを思い出す。

 彼も呼び捨てでいいと言っているのに様付けを一向に止めなかった。

 祖父のほうは年齢を経る事で多少柔らかくなっていたようだが、孫娘がその域に達するのはまだまだ時間がかかりそうだった。


「ったく、たまんねえよなぁ……」


 思わず額に手を当て、ランスは途方に暮れる。

 この屋敷で働く使用人たちの反応を思うと気が重くなってくる。


「あ、あの、それで、ランス様、ひ、ひとつ、お、お願いがあるのですが……」


 おずおずとシャーロットがランスの顔を見上げ、呼びかけてきた。がちがちに緊張しているのははっきりとわかったが、一方でその顔は妙に期待に輝いている。


「なんだ?」


 敬称は気に入らなかったが、スルーする。世の中、諦めが肝要である。


「あ、握手してもらっても、よろしいでしょうか?」

「……ああ」


 苦笑いとともにランスが手を差し出すと、シャーロットがおそるおそるその手を握ってきた。

 その手をぎゅっと握ってから離してやると、彼女は幸せ絶頂というのがありありとわかるうっとりとした顔でその手を胸に抱き締める。


「……この手は、もう一生洗いません……」

「いや、洗え。握手ぐらい毎日してやるから」


 思わずランスは突っ込みを入れる。


「ええ!? 毎日してくれるんですか!?」


 どうやら失言だったようである。

 これまでの凛とした彼女に慣れてしまっていて、どうにも調子が狂う。

 正直、どう接していいかわからない。ランスは引き攣った笑いを浮かべるしかなかった。


「まあ、正体が知れたならちょうどいい。ここに『あいつ』の墓があるだろう? 案内、してくれねえかな?」


 気を取り直して、ランスは何気ない調子を装って訊く。

 成功したとは、言い難かった。

 声が震えていたのが自分でもわかった。


『あいつ』のことは、この時代に来てからずっと気になっていた。

 竜車の中でシャーロットからここシャーウッドに『あいつ』が眠っていると聞いて、心が泡立ち、正直、居ても立ってもいられなかったのだ。

 老公爵の話を早々と切り上げたのも、実はそれが理由の大半だった。


 シャーロットがはっとその表情を引き締めた。

 ランスロットの熱烈なファンを自認する彼女である。

 彼の言う『あいつ』が誰の事か、立ちどころに察したようだった。


「わかりました。案内します。ランス様の愛騎ガラハッドの眠る地へ」

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