第一五翔
「いったい何があったのか、説明してくださいますかな?」
ロヴェルは孫ほどの青年に、慇懃にかしこまって問いかけた。
シャーロットの前では常に静かながらも深い威厳を漂わせており、こんな祖父の姿は初めて見るもので少し新鮮であった。
シャーロットとしてもランスに問い詰めたい事は山ほどあったが、偉大なる祖父を差し置いてそんなことができるはずもない。
ただ黙って二人の話に耳を傾けるしかなかった。
常識的に考えれば、単なる祖父の勘違いだ。
魔王殺しランスロットが行方不明となり、すでに三八年が経過している。
生存はほぼ絶望的で、仮に生きていたとしても年齢が違いすぎる。
一方で、否定しきれないところもあった。
ランスロットをランスロットたらしめているのは、なんといってもその竜騎乗における他を隔絶した超絶的技量である。
容姿だけなら似た人間はいるだろう。
だが、いったい誰にランスと同じ芸当が出来る?
それこそランスロットしか思い浮かばないのだ。
「そうだな……なにから話せばいいやら。おまえが墜ちた後、魔王と一騎打ちにもつれこんで、まあ、ぶっ倒したまではよかったんだけどよ、なんかあいつが作った変な闇に呑みこまれちまってな」
「はい、それは見ておりました……」
「ンで、咄嗟にこいつでその闇を斬り裂いたら――」
ランスが言葉の途中でコンコンと腰に差した剣の鞘を人差し指で叩く。
もしかしなくても、あれこそ神々が作ったという二振りの宝剣の片割れにして、シャーロットの愛竜の名前の由来ともなった魔剣なのだろうか。
まさしく神話級の代物が目と鼻の先に存在している、そう思うとシャーロットは心が異様なまでに昂ぶってくるのを感じた。
「こんなところに放り出されちまった。たまんねえよなぁ」
両掌を天にかざし、やれやれとばかりにランスは肩をすくめた。
「まさかそんなことが……しかし魔王の力なら……」
老公爵がかすれた声で呆然とつぶやく。
魔王の魔力は魔族の中にあってさえ空前にして絶後だったと伝え聞く。
その凄まじい力をもってすれば時を超える事もできても不思議ではない。
(じゃあやっぱり本物っ!?)
シャーロットは期待と不安が入り混じった複雑な想いで、ランスを見つめる。
「俺も最初は四〇年近くも経ってるなんて思いもしなかったしよ。草原からは死体が全部綺麗さっぱり消えててさすがに驚いたぜ。だいたいこれが一カ月前、ってところだな」
「つまり、ランスロット様の中では、あの戦いから一カ月しか経っていないということですな」
ロヴェルが相槌を打つ傍らで、シャーロットは必至に二人の会話の内容を咀嚼していた。
あの戦い、とは言うまでもなく、聖戦において最大の激戦だったと言われる「カムランの戦い」のことだろう。
戦死者の数は双方実に半数に及び、人類は長年の仇敵である魔王を討ち果たすことに成功したが、一方で『アーサー王の十六翼将』と謳われた英雄たちの実に九名が帰らぬ人となった。
いや、ランスロットは今こうして奇妙な形ではあるものの生還しているので、実際は八名か。
ランスロットがカムランの戦いに参戦したのは、一八の頃だ。
と言う事は、今目の前にいるこの若き英雄は、シャーロットと同年齢ということになる。
年が同じ、ただそれだけだと言うのに、なぜかシャーロットの胸は躍った。
「で、とりあえず、王宮に行って名乗って陛下にお目通り願ったらよ、英雄の名を語る不届き者っつって追いかけ回されたもんだ。ったく、たまんねえよなぁ」
自分で言って、ランスは思い出したかのように吹き出す。
「それは……仕方ありませんな。あれからもう三八年です。私ですら不遜ながらどうしても、詐欺師に騙されているのではないか、という疑念を完全に消し去れません」
「俺だっておまえの立場だったらそう思うだろうよ。気にするな。それでさすがに変だなって思って調べて、時間が四〇年ぐらい経ってる事に気づいて、途方に暮れちまったよ。実家のほうは弟が継いだんだろうけど、門前払いを食うのが関の山だろ? 着てるものもボロだったしなぁ」
「ですな。我が家の門兵も、ランスロット様を語るような不届き者が来たら即刻追い返しているでしょう」
「だろう? ンで、どうすっかなぁって草っぱらに寝転んで空を眺めてたら、竜の群れがすっげー速さで飛んでいくのが見えたんだよ。その中に一頭、懐かしいのがいてさ。ここにいるわけがねえってわかってんのに、思わず目を疑っちまったぜ」
それまでのどこか他人事のようなさばさばとした口調が一転、熱を帯びる。
彼の嗜好の事は弟分であるロヴェルは当然ながら知っていたのだろう、その口元から笑みが零れる。
「アロンダイト、ですか。あれは私もそっくりだと思っていました」
「そしたらもうあいつに乗りたい! ってことしか考えられなくてよ。ドラゴンレーシングのことを調べて、竜騎士免許取って、この娘の厩舎に駆け込んでいた、ってわけだ」
「それは……実に貴方らしいですな」
「一番困ったのが、名前だ。たまんねえよなぁ。ファミリーネームはともかくファーストネームにはけっこう愛着あったってのに、陛下のおかげで変えなきゃならなくなった」
「仕方ありますまい。貴方の功績を考えれば、『名誉欠名』は当然です」
名誉欠名とは、神聖ランカスター帝国がまだ大陸西南部のみを支配していた王国時代からある古い法律のことで、偉大なる功績をあげた者に敬意を表し、王族以外の者がその名を名乗ることを禁ずる、というものだ。
代々の王は、自分の名前を名誉欠名に加えているが、王族以外でその名簿に刻まれた者は両手で数えられるほどしかいない。
「そ、そうです。ランスロット様の武勲は、帝国一八〇年の歴史においても並ぶ者なしの素晴らしいものです!」
両の拳を握り締め、思わず口を出していたシャーロットであった。
ランスロットの熱烈なファンを自認する彼女としては、とてもとても黙ってはいられなかった。
魔王に討ち倒された英雄は、有名どころだけでも、『魔槍』クー・ホリン。『竜心王』リチャードに、『弓聖』ウィリアム、『黒太子』エドワード、とそうそうたる面々が連なる。
彼ら以外にも数多の勇士がかの魔王に挑み、返り討ちにあっていた。
あの魔王が戦場に出てきた時点で、その戦いの敗北はすでに確定している、とすら忌み恐れられたそうである。
そんな怪物を一騎打ちで討ち果たした者を、英雄と讃えずして誰を英雄と呼べばいいのか。
今までの尊大な態度から一転、目をきらきらと憧れと尊敬に輝かせ、こちらを見上げてくる少女に、ランスはただただ苦笑するしかなかった。
なんとなくこそばゆくなり、話題を変える事にする。
「今度はこっちも聞いていいか。今……誰が生きている?」
そっとロヴェルから目線を外し、どこか言いにくげにランスは問う。
これはこの時代に来て以来、彼が最も知りたかったことであり、またあえて知ろうとせず避けてきたことであった。
ランスロットが飛ばされた当時、魔族の勢力はまだまだ健在だった。
魔王という求心力を失ったとは言え魔族が易々と降伏するとは思えず、戦争はしばらく続いたはずだ。
加えて三八年という歳月は無常である。
少年少女をすべからく老齢へと至らせる。
亡くなっている者が多々いることは容易に想像がついた。
だが、こうして昔の知り合いに会えた以上、先延ばしはそろそろ潮時だった。
「十六翼将で生き残っているのは、私とライオネルと、クローダス公です。陛下もご健在ですよ。あとその……グィネヴィア皇妃殿下も」
最後の一人だけ、どこか言いにくそうに、ロヴェルは告げる。
その理由は、シャーロットにもわかった。
現神聖ランカスター帝国皇帝アーサーと皇妃グィネヴィア、そして『救世の竜騎士』ランスロットは、いわゆる三角関係にあったと言われている。
そして当時の皇妃の心が、どちらかと言えば皇帝よりも竜騎士のほうに傾いていたと英雄譚は謡う。
その事をロヴェルは慮ったのだろう。
シャーロットはちらりとランスの様子をうかがう。
しかし、ランスに特に衝撃を受けているような素振りはなかった。
むしろどこか嬉しそうである。
「そっか。あの二人、ちゃんとくっついたのか。みんな元気なのか?」
「はい。私以外は特に病気を患うこともなく、健康そのものだそうです」
「そりゃよかった……エレインは?」
シャーロットの知らない名が、ランスの口から放たれる。
声色から、その者の事をとても気にかけていることがわかった。
音からすると女性の名前である。
そう思った途端、ズキンとシャーロットは胸に締めつけられたような痛みを覚える。
「エレイン殿は貴方様のお帰りを独り待ち続けておりましたが、四年前に病で……」
「そう、か……約束、破っちまったなぁ……」
遠い目をして、しんみりとランスが呟く。
ランスとそのエレインと言う女性がどういう関係だったのか、約束とはいったいどんなものだったのか、このランスの表情を見ていると、シャーロットは気になって気になって仕方がなくなる。
しかしとても聞ける雰囲気ではなく、また自分とランスはまだそんな関係でもなくて、なんとももどかしかった。
「おお、そうだ。私としたことがうっかりしておりました。早速陛下や、当時の仲間たちに知らせを出しましょう」
思い出したかのようにロヴェルは言い、枕元の鈴に手を伸ばして配下の者を呼ぼうとしたが、ランスはスッとその手を抑えた。
「よせよせ。ボケたって思われるだけだ。詐欺師に騙されてるとか、な。おまえだって譲らねえだろうし、揉めるのが目に見えてるぜ」
三八年も前に亡くなった人間が、当時そのままの姿で戻ってきた。
信じられる方がどうかしている、とランスは他人事のように思う。
「そのような問題、ランス様を一目見れば吹き飛びましょう。魔剣アロンダイトだってあるではございませぬか」
反論してくる老公爵に、ランスは人知れず舌打ちする。
まったくこの男は相も変わらず暑苦しくて、そして真面目すぎる。
ただ再会するのでは、いまいち面白味が足りないではないか。
勿論、ランスも昔の知り合いに早く会いたい。
だが、やはり感動の再会は劇的でなければつまらない。
「皆もう年だろう。長旅させるのは可哀想だ。俺もアロンダイトと遊ぶ、じゃなかった、信頼関係の構築に当分忙しくて動けない。しかし、皆が一堂に会する大イベントが、ちょうど半年後にあるんだろう?」
「なるほど。ダービー、ですか」
呟いてから、老公爵はやれやれと溜息をつく。
さすがに弟分だっただけあり、ランスの性分を知り尽くしていた。
彼がこれから何を言おうとしているのかある程度推測できてしまったらしい。
「ああ、その勝利竜騎士が俺だったら、みんな腰抜かすだろうなぁ?」
ランスの口元が楽しそうに釣り上がる。
その笑みは、まさに悪戯を思いついた子供そのものだった。
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