第一四翔

 べフィーモスが二階建ての家を引いていた。


 家の四方には巨大な車輪が取りつけられ回っている。

 外壁は白で目立つところに竜の上に弓矢を持った人が立ったところを象った紋章が刻まれていた。

 ロックウェルの家紋である。その後ろには家よりもやや簡素な造りの小屋が続く。


 べフィーモスは見た目はサイに近く、背中には他の竜種に比べるとやや小さめの翼が畳まれている。

 竜種の中でも高い身体能力と比較的温和な性格を持つべフィーモスは、ドラゴンレーシングだけでなくこうして貴族たちの竜車としても利用されていた。


 車窓から覗く景色はコーンウォール・シティの自然部に近いが、あちらは動物の姿が皆無だったのに対し、今は羊や牛の群れがちらほらと見受けられる。

 帝都からおよそ五〇〇ドラン、旧ランカスター王国時代の国境線沿いに、ロックウェル家の領地シャーウッドはあった。


 ドラゴンレーシングは竜に多大な負担を強いる。

 あまり酷使すると体調を崩して病気になったり翼を傷めたりしやすい。

 また毎日毎日調教づくめでは竜もストレスが溜まり、たまにはリフレッシュさせないと効率が落ちてくる。


 すでにアロンダイトは四戦を戦い抜いている。

 特に最後の四戦目は激翔であった。またドラゴンレーシングは寒さ厳しい冬の間はシーズンオフとなる。

 そこでここらで慣れ親しんだ生まれ故郷に戻り二ヶ月ほど休養させ、来るべきダービーに向けて英気を養うことにしたのだ。


 本来なら調教師が己が管理する厩舎を二カ月も留守にするなど言語道断の話であるが、シャーロットの厩舎にはアロンダイトしか所属していない。

 ならばアロンダイトとともに帰郷し、その様子をしっかりと自分の目で見ておく方が理にかなっていた。


 竜車が邸宅の門前に停止する。

 門から邸宅まではまだけっこう距離があるのだが、車窓は全てを収めきれないでいる。

 かなりの大きさだった。

 邸宅の前には庭園が広がっており、今は冬の寒さに彩りを失っているが、春には鮮やかな景観を見せてくれることだろう。


「着いたぞ」


 シャーロットが紅茶を机に置いてソファーから立ち上がる。

 ランスもぐだ~っとソファーに寝そべった状態から「よっ」と勢いよく立ち上がる。


「やぁっとついたか」


 げんなりとした顔でランスはほっと安堵の息を漏らす。


 竜車に乗ってから今まで、シャーロットに『魔王殺し』がいかに偉大か、を延々と講義されたのである。

 彼女がかの英雄の大ファンであり、その胸に抱く熱烈な想いがひしひしと伝わってきたものだ。


「まったくこそばゆくて、身の置き場がないとはこの事だぜ」


 こっそり独りごちつつランスは足早に出入り口へと向かい、ドアを開ける。

 コーンウォール・シティを出た時には朝方だったはずなのに、今はすっかり夕暮れとなっていた。

 とはいえ五〇〇ドランをわずか半日で走破できるのだから、竜車の利便性は計り知れない。


「んー、やはりシャーウッドの空気を吸うと落ち着くな」

「はい、姫様」


 ランスに続いて竜車を降りたシャーロットが大きく伸びをしている。


 リュネットは全くいつも通りの無表情と綺麗な姿勢で、シャーロットの斜め後ろ四五度という定位置をキープしていた。

 彼女も長旅で疲れているはずなのに、職務に忠実なメイドであった。


 シャーロットは竜車の後ろに繋がれた小屋へと向かい、従者の男たちに扉を開けるように指示する。


「アロンダイト、長旅御苦労だったな。シャーウッドに着いたぞ。しばらくここに逗留するからおまえも羽を休めるといい」


 薄暗い空間に、らんらんと真紅の光が二つ輝いている。

 シャーロットの言葉に、アロンダイトはグルルと一声唸ってから小屋から歩み出、羽を広げて赤味さす空へと飛び去っていく。

 それをしばらく見送ってから、シャーロットはランスの方を振り返った。


「ランス、我がロックウェル家にようこそ。心から歓迎するぞ。自分の家だと思って、気楽にくつろいでくれ」

「ああ。……ここも随分と古ぼけちまったなぁ」

「なんだ、この屋敷を知っているのか?」

「かなり昔に、来た事がある」

「おまえ、実はうちの使用人の子だとか言わないよな?」

「それはねえよ」

「ふむ……」


 顎に手をやりシャーロットは考える素振りをする。


 ランスのサラマンダー種の扱い方は非常に手慣れたものがある。

 どこかでかなりの騎乗訓練を積んでいるはずだ。


 よくよく考えれば今やサラマンダー種の生産を取り行っているような奇矯な家は、帝国内広しと言えどロックウェル家ぐらいである。

 後は王宮が少数生産しているに留まる。

 騎乗できる場所は限られていた。

 先の発言からも、もしかしたらこの地の縁者なのかもしれない。


「知り合いがいるなら、呼ぶぞ。その者にも休暇を与える。旧交を温めるがよい」


 とりあえずシャーロットは探りを入れてみたが、ランスは静かに首を左右に振った。


「知り合いならいるにはいたが、みんな死んじまったよ」

「そうか……」


 シャーロットは胸が締め付けられる想いがした。


 この男は時々、こんなふうに年に似合わず遠い昔を懐かしむような顔をする。

 凄く寂しそうな顔をする。

 自分とそう歳も変わらないと言うのに、いったいこの男の過去に何があったのか。

 人の過去を詮索するのが下世話だということには気づいている。

 しかし、知りたかった。


 今朝方、リュネットと会話してからというもの、どうしてもランスのことを意識してしまう。

 一度意識してしまうと、もう後の祭りだった。

 ランスの全てが気になって仕方ないのだ。


 一体自分はどうしてしまったのだろう、シャーロットは高鳴る胸を押さえほうっと人知れず溜息をつく。

 ほどなくして屋敷の入り口まで辿りつく。

 リュネットが前に進み出てロックウェル家の紋章が刻まれた扉を開けると、


「「「おかえりなさいませ、姫様」」」


 数十人からの使用人たちが二列を作って恭しく頭を下げてきた。

 義務感で頭を下げているのではない事が、使用人たちの顔がみな嬉しげなことからうかがえる。

 みな心から主の帰還を喜んでいるようだった。


「うむ、ただいま。わざわざ出迎えありがとう」

「姫様、ロヴェル様が寝室にてお待ちです」


 列の中から老執事が一歩シャーロットの前に進み出て、告げる。


「わかった。すぐ向かう。お祖父さまはご壮健か?」

「はい、アロンダイト圧勝の報は、何よりの薬となったようでございます」

「そうか!」


 シャーロットが花が咲いたように魅力的に微笑む。

 それだけで彼女が祖父のことが大好きなことは誰の目にも明らかだった。


「セバスチャン、この男に部屋と世話をする侍女を何人か見繕ってやってくれ。…………いや、大切な客人だ。おまえ自身が直々に世話してやってくれ」

「おいおい、どうせ世話してもらうのなら、俺は爺さんより女の子のほうがいいぞ」


 本人を前にしてきっぱり言える辺り、やはりこの赤髪の男は大物だった。

 シャーロットに対してもぞんざいな口のきき方であり内心相当不快であったろうに、老執事は表情を変えない。

 まさにプロフェッショナルだった。

 この辺り、リュネットはまだまだ若い。


「黙れ。おまえが問題を起こしたらアロンダイトの竜騎士でも追放せねばならなくなるではないか。それを未然に防ぐためだ」


 自分でもかなり苦しい理屈を言っていると言う自覚はあった。

 だが、この男が他の女と楽しそうに談笑しているところを想像するだけで、どうにも胸がムカムカしてくるのだ。

 ここには休養に来たのである。

 心穏やかにいられなければ休むものも休まらない。


「信用ねえなぁ、俺」

「当たり前だ。この口先の魔術師がっ」

「それは言い得て妙な二つ名だ」


 どうやら一応、自覚はあったらしい。

 逆に言えば、余計にタチが悪いということだ。


「そんなことより、ついてこい、ランス。お祖父さまに紹介してやろう。お祖父さまもアロンダイトの新たな竜騎士にぜひ会いたいと思っておられるはずだ」


 手で合図して、シャーロットはエントランス中央にある階段へと向かう。

 その後ろをひょいひょいとついて行きながら、ランスが問いかけてくる。


「そういえばさっき、あの爺さん、ロヴェルとか言ってたよな」

「ほう、さすがに知っているか。まあ、お祖父さまの名を帝国民で知らぬ者がいたら逆に驚くがな。そうだ。聖戦を戦い抜き、人類に平和をもたらしたアーサー王の十六翼将が一人、かの『魔王殺し』の大英雄ランスロット=オークニー様の弟分で、かの英雄の最期を看取り、『聖戦の語り部』と言われたロヴェル=ロックウェルがわたしの祖父だ」


 誇らしげに祖父を語るシャーロットであったが、


「かーっ、たまんねえな、おい。なんだ、くたばってなかったのか、あいつ」


 ランスの発言に、ご機嫌から一転、シャーロットはその顔を怒りに染める。

 よくよく見ればランスが喜んでいる事はわかっただろうが、さすがにそれより無礼千万ぶりが目につきすぎた。


「ランス、貴様、わたしへの無礼な振る舞いは容認するが、お祖父さまへの無礼は絶対に許さんぞ。お祖父さまはお身体がお悪いのだ。余計な怒りを買って体調を悪化などさせてみろ。鞭打ち程度じゃ済まさんからな」

「おお怖え。大丈夫、怒らせはしねえよ……ま、驚かれるだろうがな」


 ランスがくつくつと楽しそうに笑う。


「? それはどういうことだ?」

「まあ、それはお楽しみってことで」

「おい、ほんっっとーに大丈夫なんだろうな?」


 この男を祖父と会わせて良いものか、非常に心配になるシャーロットだった。

 などと話しているうちに、祖父の寝室の前に着き、シャーロットはドアをノックする。


「お祖父さま、シャーロットです。ただいま帰りました」

「おお、シャル、帰ってきたのか。早くその可愛い顔を見せておくれ」

「はい」


 ゆっくりとドアを開け、シャーロットは入室する。

 そしてランスのほうを手で指し示し、


「お祖父さま、今日は竜騎士を一人連れてきたんですよ。先のレースでアロンダイトに勝利をもたらせてくれました。年は若いですが、なかなかに腕の良い者です。それにサラマンダー好きです。きっとお祖父さまともお話が合いますわ」

「おお、そうか。その者にもぜひ会いたいと思って……」


 ベッドに腰掛けた禿頭の老人が、シャーロットからランスへと視線を移し、ギョッとそのシワに覆われ閉じかけていたまなこを見開いた。


「おおお、あ、貴方は!? いや、そんなはずはない。本当にあの方ならすでに老齢のはず。しかし、しかし、あまりにも……」

「よぉ。おまえがあの戦いを生き残っていたとは思ってなかったぜ。あの墜落からよく生きていたな。しっかし、老けたなぁ、おまえ。もうすっかり老いぼれだ。それでも、また会えて嬉しいぜ。こんなことがあるから、人生ってのはたまんねえよなぁ」

「その声、その口調、間違いない! よくぞ、よくぞ生きておられました」


 老公爵の双眸から涙がとめどなく溢れ出た。


 シャーロットもぎょっと目を見開く。

 祖父はいったい何を驚いているのか。何を感動しているのか。さっぱりわからない。

 わからないが、あの泰然自若とした祖父が涙を流すなど異常事態もいいところである。

 少なくとも、シャーロットは今まで一度として見た事がなかった。


 そして老公爵が発した次の言葉は、さらにシャーロットを混乱の彼方へと吹き飛ばす事となる。


「お帰りなさいませ! ランスロット様!!」

「「ええええええええええええええっ!?」」


 シャーロットとリュネットの絶叫が、屋敷中にこだました。

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