第一三翔

 場所を厩舎前に移し、二人の男が対峙していた。


 一陣の風が吹き、草をなびかせていく。

 こんな面白い見世物はない、とシャーロットの厩舎スタッフもみな仕事の手を休め見物を決め込んでいた。


「確認します。わたしが勝ったらあなたはわたしのアロンダイトへの騎乗を許し、かつ騎乗法を教える事。あなたが勝てば、わたしも潔くアロンダイトに乗る事は諦めましょう」


 エクター卿が木の棒を正眼に構えて言い放つ。

 コーンウォール・シティはドラゴンレースの街であり、木剣などという無粋なものはどこにも置いていない。

 そこで藁用に使っていたピッチフォークの金具部分を切り落とし、即席の木剣としたのである。

 ちなみに、愛用の道具を壊された黒髪の厩務員は複雑そうな顔をしている。


「別におまえは諦めなくてもいいぜ。いつだって挑戦してこいよ」


 対するランスは木の坊を肩に乗せ、へらへらと軽薄に笑った。


 シャーロットはそのあまりの軽さに、思わず眉をしかめる。

 この勝負にはアロンダイトがかかっている。

 いざ試合開始となれば手を抜いたり油断したりはしない男だと言う事は、短い付き合いのシャーロットでもよくわかってはいる。


 それでも、本気で弛んでいるようにしか見えなくて、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

 自分の結婚もこの戦いにかかっているのだ。

 真面目にやってもらわねば困る。


「おい、ランス。エクター卿はスクールでは一・二を争う剣の使い手だったそうだ。あまりなめないほうがいい」


 天下泰平の世で形骸化しつつはあるが、スクールはれっきとした軍人を養成する施設である。

 国家危急の時には竜を駆って戦わねばならない使命がある。

 その為、スクールでは武術の鍛錬もみっちり行われていた。

 その中で一・二と言う事は、相当の腕前ということである。


「その情報には誤りがあります、シャーロット殿。一・二を争うではなく、一位です。加えるなら竜騎乗も、ね」


 言って、エクター卿は不敵に笑った。

 鼻もちならない台詞ととられてもおかしくなかったが、自己への自信の表れだろう。


 そしてそれに見合うだけの実力があるのも確かだった。

 今年こそ怪我で休養していた為、成績は振るっていないが、エクター卿の昨年のドラゴンレースでの勝ち星は三二。

 新人王の栄誉を勝ち取った将来有望な竜騎士なのである。


「そいつは楽しみだ」


 ランスが肩から木の棒を降ろし、切っ先をエクター卿へと向ける。

 その表情はそれまでのたるんだものとは一変、鋭い眼光を放つ戦士のそれだったが、エクター卿はぎりりっと屈辱に奥歯を噛み締めた。


「その手をポケットから出しなさいっ! そんなみっともない構えで戦おうなどと、栄誉ある竜騎士として恥ずかしくはないのですか!?」


 エクター卿の指摘した通り、ランスは左手をズボンのポケットに突っ込んだままだった。

 シャーロットから見ても、ふざけているとしか思えない構えである。

 エクター卿が怒るのも無理はないと思えたが、


「竜騎士として、ねぇ? むしろ竜騎士なら左手は手綱だろう?」


 ランスは皮肉げに口元を釣り上げるだけで、構えを変えるつもりはないらしい。

 エクター卿はランスの言い分にますます怒りを露わにしたが、一方でシャーロットはランスの言をもっともと感じていた。


 竜は馬の何倍もの速度で空を翔ける。

 そんな状態で手綱を離すなど、自殺行為に他ならない。

 あのハンドポケットはすなわち、絶対にポケットから手を出さないという自らに科した誓約なのだ。

 手綱を離さない事の代わりとしているのだ。


「シャーロット殿、先程、シャーウッドへ向かうと仰っておられましたな。と言う事は、アロンダイトはしばらく休養するということですな?」


 エクター卿がチラリと横目でシャーロットを見て、確認してくる。


「その通りだが、この戦いに何か関係があるのか?」

「なら、今ランス殿が多少の怪我をしても、シャーロット殿に迷惑はかかりませぬな! いきますぞ、ランス殿っ!」


 エクター卿は叫ぶと同時に木の棒を振り上げ、大きく踏み出し、そしてその姿勢のまま固まった。

 その喉元に、木の棒が突きつけられている。


 まさに一瞬の早業であった。

 傍で見ていたシャーロットやリュネットでさえ、ほとんどランスの動きを捉える事ができなかったのだ。

 実際に対峙していたエクター卿に至っては、まったく見えていなかったに違いない。


「自分から来るタイミング教えるバカが、どこにいる?」


 つまらなさそうに言い捨てて、ランスはくるりと木の棒を回転させ再び肩に担いだ。

 

 ……。

 …………。

 その後も九本試合を行ったが、その全てがランスの勝利に終わった。


 屈辱にうずくまるエクター卿を、やはり木剣を肩に背負ってランスが見下ろしている。

 身体にかすらせるどころか剣を合わせることすら敵わず、彼我の圧倒的実力差をまざまざと見せつける結果であった。


「まだ、やるかい?」

「いえ、今のままでは例え一〇〇本やったとしても、わたしの勝ちはないでしょう」

「なら、諦めるかい?」

「まさかっ! 一から修行し直して、次は必ずわたしが勝ちます!」


 ぐいっと涙で滲んだ目元をぬぐい、エクター卿は立ち上がり宣言する。

 これほどの差を見せられてもなお立ち向かおうと言う精神力には目を見張るものがあった。


「そうか。待ってるぜ」


 ランスが口元をニヤリと釣り上げる。

 それはいつもの人を食ったようなものではなくて、微笑ましいものを見るような、そんな笑みである。

 エクター卿はくるりとシャーロットのほうへと向き直り、


「シャーロット殿。今日のところは潔く退散させていただきます。次に来た時はランス殿を打ち倒し、アロンダイトも乗りこなし、あなたに相応しい騎士になってみせます。ではその時までしばしのお別れです。ではっ!」


 言い放つや厩舎横に留めてある馬へと駆け戻り、飛び乗ってそのまま街路の彼方へと走り去って行った。


「くっくっく、熱苦しいヤツだなぁ。『神算鬼謀』のマリス将軍の孫とはとても思えんぜ」

「ふん、口ではそう言うが、貴公はエクター卿のことが気に入ったみたいだな」


 つまらなさげに、シャーロットが言う。

 自分に好意を寄せる男に、この男が何の含みも持たない。それが何とも面白くなかった。


「まあな、昔オレの後ろを引っ付いて来ていたヤツとちょっと似ているよ」


 懐かしそうに、寂しそうに、ランスは笑う。

 それでシャーロットは察しがついた。恐らくその者はもう死んでいるのだ、ということを。

 だが、影を見せたのはほんの一瞬で、すぐに軽薄な調子を取り戻してランスが言う。


「ま、根性もあるみたいだし、心根もまっすぐだ。けっこう見所あるヤツだとオレは思うぜ。婿にしてやったらどうだ? お買い得だと思うがな」

「ほう」


 シャーロットが半眼になる。


 これでも幼い頃から人を使う立場にある彼女である。

 他人に弱い部分を見せたがらない、そんな女からしたらつまらない男のプライドから発せられた言葉だということは何となくわかった。

 が、紛れもない本音であることもまたわかったのだ。


 とりあえず、いけずな男の爪先に怒りの鉄槌を落として溜飲を下げる事にした。当然、ランスは抗議の声をあげたが、全て無視である。


「さて、時間を無駄にした。行くぞ、シャーウッドへ!」

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