第一二翔

 リュネットを連れ立ってシャーロットが事務所のほうに戻ると、客人の姿があった。


 客はシャーロットの姿を認めると、応接のソファーから立ち上がり、ペコリと一礼してくる。

 年の頃は二〇歳前後と言ったところか、中肉中背、騎士服に身を包んだ、金髪碧眼の貴公子然とした青年である。

 シャーロットの見知った顔だった。

 エクター・ド・マリス、昨日のレースで因縁あるマリス公の嫡孫である。


「これはエクター卿、お久しぶりだな。怪我のほうはもう宜しいのか?」


 あまり会いたくない人物であったが、そこはシャーロットも貴族の令嬢である。

 表情には出さず如才なく挨拶した。


「はい、もう全快しました」

「それは良かった」


 シャーロットは安堵の息を吐く。

 この目の前の青年が半年ほど前に大怪我を負ったのは、他でもないシャーロットのせいだったりする。

 完治したのなら、実に喜ばしい事だった。


「で、何用かな? これからシャーウッドに向かう予定なのだ。用件があるなら手短に頼む」


 自分専用の椅子に腰掛け、シャーロットは問う。


「まずは祝辞を。昨日の新竜戦見ておりました。初勝利おめでとうございます」

「……ああ、ありがとう」


 眉をしかめそうになるのをシャーロットは必死で堪えて何とかそれだけ返す。

 彼の祖父がアロンダイトの騎士を強引に引き抜き、こちらはてんやわんやだったと言うのに、よくもぬけぬけと、という感じである。


「素晴らしい腕前の竜騎士でしたね。あのアロンダイトを完全に御しておりました。彼と少々お話をさせていただきたいのですが」

「話? マリス家にはやらんぞ」


 エクター卿の言葉をばっさりと切り捨てて、シャーロットはリュネットが運んできた紅茶をすする。

 ハーブの香りが労働で疲れた身体を心地良く癒してくれた。


 シャーロット個人としては大怪我を負わせた引け目もあり接するのを苦手としているが、『家』としてはすでにウォルター引き抜きの件で借りは返したと言える。

 ならばもうそれほど遠慮する必要はない。言うべき事ははっきり言っておかねばならない。


「いえいえ、うちへの引き抜きとかじゃありません」


 シャーロットの痛烈な皮肉にも、エクター卿は朗らかな笑みを絶やさない。

 大怪我を負わせたことも、まるで気にしていないように見える。

 さすがに権謀術数に秀でたマリス公の血を引くだけあり、なかなかのポーカーフェイスだった。

 一見、純朴な好青年にしか見えないが、これで祖父や父を手伝い、領地経営などでは辣腕を振るっているのだ。


「では、なんだ?」

「それは……」

「おっはよ~さ~ん」


 エクター卿が理由を言いかけたところで、気だるげな声がそれをさえぎった。

 ランスである。

 欠伸を隠しもせず事務所に入ってくる。

 これが本当に昨日のレースの立役者かと疑いたくなるほどのたるみようだった。


「ん? お客さんかい? 邪魔したかな?」

「いや、おまえ宛ての客だ」

「ランス殿、ですね。わたしはエクター・ド・マリスと申します。先日の騎乗はお見事でした。わたしも竜騎士です。いずれどこかのレースで戦う事になると思いますが、その時はよろしくお願いします」


 さわやかな笑顔でそう言って、エクターはすっとランスに手を差し伸べた。


「ああ、よろしく」


 ランスはその手を握りつつ、不躾にエクターの顔をジロジロと見て不意に笑う。


「あんた、祖父さんによく似てるな」

「おや、祖父をご存知で?」

「ん? ああ、昔ちょっとな」

「祖父さんは健在かい?」

「ええ、かくしゃくとしておられますよ」

「……そうか」


 ランスが口元を緩ませ小さく笑みを零し、シャーロットはおやっと目を見張らせた。

 竜以外のことで、この男が嬉しそうな顔をするところを初めて見たのだ。


「実は今日は、あなたにお願いがあって来たんです」

「オレに?」

「おい、エクター卿。さっきも言ったが、引き抜きは許さんからな!」


 シャーロットが激しい敵意のこもった視線をエクターへと向け、横やりを入れてくる。

 一昨日の引き抜きの一件で、少々ナーバスになっているという自覚はあったが、やはり威嚇せずにはいられない。

 ランスとマリス公が旧知の間柄と言うのが、シャーロットの不安にいっそう拍車をかけていた。


「心配すんな、嬢ちゃん。オレは何があったってアロンダイトを降りるつもりはねえよ」


 苦笑しつつ、ランスがポンとシャーロットの頭に手を置いて言う。

 たったそれだけで、シャーロットの胸にくすぶっていた不安は見事なまでに雲散霧消した。

 雇い主に、しかも公爵令嬢に対して無礼千万と言っていい所業なのだが、なぜかその手が心地良くてたまらない。


「ランス殿、うら若き女性の頭に軽々しく手を乗せるなど、無礼ではありませぬか!」


 エクター卿が落ち着いた口調から打って変わって、声を荒げてランスを叱責する。

 シャーロットは驚きに目をパチクリさせた。

 これまで何があろうと(それこそ大怪我をさせられても)シャーロットの前では温和な好青年の顔を崩さなかった卿が、はっきりと怒気を露わにしていた。


「わりわり、ちょうどいいところに頭があるもんでな」


 怯んだ様子もなく、ランスは飄々と受け答える。

 その物言いに、それまでの好気分から一転、子供扱いされているようでカチンときたシャーロットである。


「悪いと思うなら、さっさと手をどけよ!」


 一喝とともに乱暴にランスの手を払いのける。

 ランスは「お~いて」などとわざとらしく痛がりつつ、いつもの人を食ったような軽薄な笑みをエクター卿へと向けた。


「で、オレにお願いってなんだい?」

「……アロンダイトへの騎乗法をご教授願いたい」


 お願いすると言う割にはぶすっとした不機嫌そのものな顔である。


「おい、いったいどうしたのだ、エクター卿は?」


 いきなりの変貌に、こっそりと傍に控える有能なるメイドに囁きかけるシャーロット。


「おわかりにならないのですか?」

「ああ、皆目」

「姫様にわからぬことがわたしにわかるはずもありません」


 言って、リュネットはそっとシャーロットから視線を外し、「……おいたわしや、エクター様……」と彼女に気づかれぬよう呟く。

 認めたくはなかったが、ランスとシャーロットは似た者同士なのだ、とリュネットは思う。

 アロンダイトのことしか頭にないあたりが、特に。

 好意を寄せた相手が異性と仲良くじゃれあっていたら、誰だって面白いわけがないではないか。


 好意に気づいてさえもらえない、それはすなわち全く脈がないということでもある。

 身に覚えもあり、思わずエクター卿に同情してしまうリュネットであった。


「今のご時世、サラマンダーの乗り方なんか習ったって、役に立たんと思うがなぁ」


 ポリポリとランスが頭を掻きつつ言う。

 見るからに乗り気ではなさそうだった。


「いえ、わたしにとってはとても意味がある事です。なぜなら、アロンダイトを乗りこなす事が、シャーロット殿を娶る為に課せられた条件なのですから!」

「そりゃまた……」


 ランスが含みのある視線をシャーロットへと向ける。


「たまんねえことやってるな、嬢ちゃんも。いくら仮親でも、そこまでアロンダイトの為に我が身を犠牲にしなくてもいいだろう?」

「まあ、アロンダイトの為と言う気持ちがないと言えば嘘になるがな」


 ふんとシャーロットは鼻を鳴らした。

 年頃の娘であるシャーロットには、当然ながらしばしば縁談が持ち上がる。

 結婚には何の興味も湧かなかったが、ことさらそれに異を唱えるつもりもない。


 と言うより出来ない。

 他家へと嫁ぎ家と家の結びつきを強める、それが貴族の令嬢に与えられた重要な役割だ。

 そこに個人の情を挟む余地などないことを、シャーロットは熟知していた。


 そこでたった一つだけ我がままを通させてもらうことにした。

 それが「アロンダイトを乗りなせる男」だった。

 ロックウェル家は歴史上、多くの英雄を輩出してきた武門の名家であり、武を何より尊ぶ家風がある。

 彼女の父にしても祖父にしても、娘婿がサラマンダー種を乗りこなせるほどの竜騎士であることに異存はなく、シャーロットのこの要望は快く受け入れられた。


「『魔王殺し』ダービー伯ランスロット=オークニー様がわたしの理想の男性なんだ」

「あ~、そう……なのか」


 なぜか歯に物が挟まったような物言いのランスであった。


「さすがにかの歴史上最高の竜騎士に伍せとまでは言わないが、生涯を共にする伴侶には、せめてわたしが素直に称賛出来るような技量を持つ竜騎士であってほしいのだよ」


 ついでにアロンダイトを乗りこなせる騎士も手に入る。

 結果的には失敗に終わったが、一石二鳥の良策だと今でもシャーロットは思っている。


 誤算は、アロンダイトがサラマンダー種の中でも特に気位が高く、気性が荒いということだった。

 多少そうだろうとは思っていたが、もはや別格と言えるレベルだった。


 何人もの見合い相手がアロンダイトに挑み、その全てがアロンダイトの背に乗ることすら出来ずに終わった。

 家柄もさることながら、スクールを優秀な成績で卒業した前途有望な竜騎士たちばかりだったが、まったく歯が立たなかった。


 それも当然で、スクールを出て才能もあり本職として一〇年以上研鑽を積んだウォルターですら、その背に乗り捕まっているのがやっとという難物である。

 二〇歳かそこらの若造に乗りこなせる相手ではとてもなかったのだ。


 かといって、乗りこなせるであろうトップクラスの騎士は三〇代中盤から四〇代前半という年代だ。

 すでに所帯を持っているし、独身だったとしてもそんな中年に十代の娘を嫁がせるのは親としては流石にはばかられるだろう。


 そこでシャーロットの父は試験の水準を下げるよう言ってきたが、戦時を知る祖父は「サラマンダーも乗りこなせん軟弱者に可愛い孫娘がやれるか!」と笑ってシャーロットの方針を支持してくれている。

 エクター卿はそんなアロンダイトに挑んでは散っていったお見合い相手の一人であり、その中では最も見どころのある人物ではあった。

 何度振り落とされても果敢に挑戦し、しまいには大怪我を負ってしまって、無念のリタイアとなった次第である。


「しかしエクター卿はまだ諦めていなかったのか。まあ、いずれマリス公爵家を継ぐ身として、わたしの『血』が欲しいのはわからんでもないが、卿も随分と執念深いな」


 シャーロットが呆れたように言うと、エクター卿は心外そのものという顔をした。


「『血』が欲しいわけではございません。わたしが欲しいのはあなたです。シャーロット殿!」

「へ?」


 思いがけない言葉に、シャーロットの口から間の抜けた声が漏れる。

 聡明な彼女には珍しくエクター卿の言葉を二度ほど頭の中で繰り返し吟味する。

 そしてこれまでのエクター卿のシャーロットへの態度も思い起こす。

 すると意味するところは一つしかなくて、チラリとリュネットに視線を向けると、無二の腹心は深々と頷いて見せた。


「え? まさか本気でわたしの事が好きだったのか?」


 無粋と言えばあまりに無粋な言葉だったが、エクター卿は先程のリュネット同様、深々と頷く。

 こうして非常に遅まきながら、シャーロットはエクター卿の好意に気づいたのであった。


 社交の場で声をかけられる事はこれまで何度もあったが、こうも直接的に好意を示されたのは、初めての体験だった。

 嬉しいという気持ちがないと言えば嘘になる。

 しかし、最も気になったのは、この告白を聞いていたであろうランスの反応で――


「お~あちぃあちぃ。冬だってのにこの部屋だけ夏が来たみてえだぜ! かーっ、たまんねえなぁ、おい!」


 ニヤニヤと意地悪げな笑みを浮かべつつ、ランスは手で顔を扇いでいた。

 完全無欠に、事態を楽しんでいるのがありありとわかった。


 まったく他人事としか思っていないランスの態度に、シャーロットは胸がムカムカしてきた。

 確かにシャーロットとランスの関係は、雇用主と被雇用者、もしくは調教師と竜騎士でしかない。

 しかし、もっとこう違う反応をしてくれてもいいではないか、と思わずにはいられない。


「わたしの将来がかかっているのです。なにとぞご教授ください!」


 腰を直角に折り、エクター卿が深々と頭を下げた。

 公爵の嫡孫でありながら、気に入らない相手に頭を下げる。

 彼の本気がわかろうものだった。


 そんな彼に、しかしランスはそれまでのふざけた態度から一転、


「いやだね。あれはオレの愛騎だ。仮親の嬢ちゃんならともかく、他のヤツを乗せるなんざまっぴらごめんだね」


 とにべもない言葉を浴びせる。飄々とした彼には珍しい頑なな態度である。


「別に主戦を譲れとは言っておりません。一度、シャーロット殿の前で乗りこなす雄姿を見せる事が出来ればそれでいいのです」

「まあ、あんたの事情はわかるし嬢ちゃんとの仲に関しては応援してやってもいいがな。こればかりは譲れんね」

「なぜです!?」

「なぜって、あんたも竜騎士だろう? わからんもんかな?」


 やれやれとばかりにランスは首を振って、


「命を預ける相棒だぜ。まさに半身とさえ言っていい。それをおいそれと他人に貸せるかよ。たとえ親しい友人でも自分の嫁さんを一晩だけならと貸すか? 論外だぜ」

「戦時でもあるまいし、何を時代錯誤な」


 エクター卿が呆れたように眉をしかめる。

 戦時の頃はころころと竜を乗り換えたりせずただ一頭の竜と生死を共にする事になる。

 ランスのように、愛騎は信頼が置ける戦友であろうと貸さないという騎士が主流であった。


 しかし、今は一人の竜騎士が何頭もの竜をお手竜にしている時代だ。

 そうなれば当然、日程のバッティングが起き、他の竜騎士に愛騎を預けざるを得ない、なんてことが多々ある。

 愛騎に自分以外は乗せたくないなんて言っていられないのが現実だった。


 時代錯誤と言う言葉が心の琴線に触れたのか、ランスは自嘲めいた笑みを浮かべた。


「そうさな、古い考えだとオレも思うぜ。だがな、これはオレにとって何があっても譲れない……ポリシーだ」


 静かな口調ながら、有無を言わせぬ迫力があった。

 ランスの放つ凄絶な気迫に呑まれ、エクター卿はゴクリと唾を呑みこんだ。

 顔には脂汗さえ滲ませていたが、それでも彼は気丈にも反論する。


「わたしとて、シャーロット殿を諦めるつもりは毛頭ありませぬ!」


 自らを奮い立たせるかのような大喝に、ランスはにやりと不敵な笑みを浮かべた。


「なら、力づくであいつを奪うこった」

「望むところです」


 凄みのある低い声でエクター卿が応じる。

 さて、当のシャーロットと言えば、つまらなさそうに事の成り行きを見守っていた。

さっきまではかなり浮かれていたと言う自覚があったが、今は完全に醒めてしまっている。


 自分をめぐって二人の男が相争うと言う、乙女垂涎の展開なのは鈍いシャーロットにもなんとなくわかったのだが、明らかに片方は自分ではなくアロンダイトを守ることしか頭にない。

 それがどうにも面白くなかった。


「いいな、アロンダイト……」


 生まれて初めて、愛竜に嫉妬してしまうシャーロットであった。

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