第一一翔
厩舎スタッフの朝は、早い。
それはもうとにかく、早い。
太陽はまだ東の空に昇ってすらいない。
それでも管理竜が一頭のみのシャーロットの厩舎は他の大手厩舎と比べれば、むしろ遅いぐらいである。
巨大な竜を収容するだけあって、竜房の中はとにかくだだっ広い。床一面に敷き詰められた寝藁の上には、アロンダイトが丸まって眠りこけている。
やはり疲れているのだろう、いつもの起床時間にもかかわらず全然起きる気配を見せない。
「がんばったな」
と労いつつ、シャーロットはアロンダイトに歩み寄った。
ドラゴンレーシングの直後に体調を崩す竜は少なくない。
戦闘種であるサラマンダーは、かなり頑丈な身体をしているが、万一ということもある。
ほんのわずかな異変も見逃すまいと、その身体を丁寧に調べていく。
ところどころの筋肉に疲労こそ溜まっているが、どこにも異常は見当たらず、シャーロットは安堵の息をついた。
検分が終われば、次は寝藁の交換だ。
普段はアロンダイトの調教中に他の厩舎スタッフが行う仕事であるが、今日はアロンダイトが竜房にいるので仮親である彼女にしか仕事が出来ない。
アロンダイトの眠りを妨げぬ範囲で、汚れた寝わらを竜房の外へと持って行き、新しいものと交換する。
その中には排泄物も混じっていたが、シャーロットは全く気にせずむしろ嬉々として仕事に従事していた。
貴族の姫君でありながら、自ら率先して汚い仕事にも励む。
その美徳ゆえ、シャーロットは厩舎スタッフから慕われていた。
現場をよく知るがゆえに、貴族によくあるような無茶難題ともいえる命令を出す事も全くない。
下からすれば、かなり理想的な上司と言えた。
「姫様」
あらかた仕事を終えたところで、リュネットがやってきた。
「おお、リュネ。何かの報告か?」
シャーロットはリュネットの持つ紙の束に目を向け、真っ黒に汚れた顔で快活に言う。
「遅ればせながら、試験監督官とコンタクトが取れました。報告書が届いております」
「ほう、どうせあの男のことだ。また何かやらかしているんだろう?」
確信に満ちた口調でシャーロットが問うと、リュネットはコクリと頷いて、
「御明察の通りです。彼は試験にて――」
「ああ、言わんでいい。どうせだから当ててみよう。そうだな、免許試験のレコードタイムを更新したんだろう? どうだ? 結構この答えには自信があるぞ」
「残念ながら、違います」
「なんだ違うのか、それは意外だな」
シャーロットは半ば本気で驚く。確か免許試験レコードは竜騎士パーシヴァルが持っていたはずだ。
かの竜騎士が天才であることにはシャーロットも異論はまったくなかったが、ランスは天才なんて言葉では生易しすぎる怪物である。
パーシヴァルも新人の頃から今と同等の技量を誇っているはずもなく、その差はさすがに歴然だった。むしろ記録を塗り替えられないことのほうが不思議であった。
「じゃあ、いったい何だ?」
「はい、竜騎士試験では、スクールを出ていない者が受験した場合、本試験の前に監督官が後ろに同乗して試験コースを一周し、その者の技量が試験を受けられる水準にあるかどうかを調べねばならないという規則があるのですが――」
「うむ、それは知っている」
竜騎乗は危険が伴う。技量のない者が一人で乗ろうものなら死亡事故にも繋がりかねない。その予防措置として適切だと言えるだろう。
「監督官は試験コース半ばで、竜を降りられました」
「ふむ、まあ、一周するまでもなくランスの卓抜した技量は見抜けよう」
「左様です。見抜いて……これ以上見続けたら自信喪失から立ち直れなくなる、と恐れをなして竜を降り、そして本試験も行わずに合格を言い渡されたそうです」
「はあ!?」
シャーロットは耳を疑った。
前述の通り、竜騎乗は危険が伴う。ゆえに免許試験の監督官は、現役の熟練した竜騎士が持ち回りで担当している。
その自他ともに認める一流が、尻尾を巻いて逃げ出した?
「監督官を任されるほどでありながら、何とも情けない竜騎士だな。そんな素晴らしい騎乗を間近で見る機会に恵まれたのだ。今後の参考にじっくり見せてもらえばいいものを」
「姫様ほど率直ではございませんが、調査した部下も同様のことを尋ねました」
「それで?」
「『あれは悪魔の誘惑だ』と青白い顔で短く告げられ、立ち去られたそうです」
「ふむ、天才が得てして指導者としては大成しないようなものか」
凡人が努力と鍛錬の末に届いた境地を、まったく考えもしなかった方法で飛び越えていく者を、俗に天才と呼ぶ。
やはり素晴らしいものなので見ているとついつい真似したくなるのが人情というものだ。
とは言え、えてしてそれは悪い結果に終わるものである。
天才には天才の理屈があるのだろうが、凡人にはそれが理解できない。
天才も凡人がなぜ理解できないのかがわからない。所詮、天才の上っ面しかなぞれず、自らのスタイルを崩すのが関の山というものだ。
そう言う類だろうとシャーロットは当たりをつける。
「逆に興味が湧くな。今度後ろに乗せてもらおう」
言ってシャーロットはその光景を想像する。
夕焼けに染まる空、眼下には一面ただただ草原が広がり、自分はアロンダイトの背で、「ワイバーンより、ずっとはやい!!」とか感嘆の声をあげ、ランスの腰にぎゅっと捕まるのだ。
それはまるで英雄譚のラブロマンスの一節のように思えて、妙に胸が高鳴るのを感じた。
悪くない。かなり、悪くない。
「姫様……」
「ん? なんだ、リュネ」
トリップしかけていたところを呼び戻され、内心かなり驚いていたが、シャーロットは何とか平静を装い返事を返す。
リュネットはそんなシャーロットをどこか悲しそうに見つめ、
「あ、えと……」
何かを言いかけるも、口をつぐむ。
こんなふうに彼女が何かを言い淀むのはとても珍しい事だった。
興味が湧いたが、シャーロットは急かすようなことはせずじっと待つ。
やがてリュネットは意を決したように、
「姫様は、その、ランス殿のことを異性としてお好きなのですか?」
「なっ!?」
先程までの思索を言い当てられたかのようで、シャーロットは思わず言葉に詰まった。
自分はそれほど締まりのない顔をしていたのだろうか? そう思うと、カーッと顔に血が昇ってくる。
メイドは全てを悟ったような顔で、肩を落とす。
「やはり、そうなのですね……」
「違う! 免許試験のことからいきなり話題が飛んだから驚いたのだ!」
何とか言い繕うが、侍女の疑いの眼差しは消えない。
「真でございますか? ランス殿のこと、本当に何とも思っておられないのですか?」
「む……」
追求されて、再び絶句するシャーロット。
何とも思っていないかとまで言われれば、それは好ましいと感じているに決まっている。
ランスは素晴らしい技量を持った竜騎士で、愛竜アロンダイトを名竜と称賛し、なおかつ彼に勝利さえもたらしてくれたのだ。
しかも、だ。それだけではない。彼は――
「……多少、惹かれている、かもしれんな。ランスは祖父から聞かされた『あの方』と、容姿・性格ともにあまりに似すぎている」
シャーロットにとって『あの方』はまさしく、幼い頃から憧れた白馬の王子様であった。理想の男性像そのものであった。
これで好意を抱くな、というほうが無理な話である。
「まあしかし、今わたしの胸にあるこの想いが本物か、憧れからくるただの錯覚なのかまだわからぬところだし、そもそもわたしと彼では身分違いだ。例え好きだったとしてもどうにもなるまい。ならばそんな事に悩むより今はダービーに集中したい。さあ、その為にも今はシャーウッドに向かう準備だ」
実にシャーロットらしい、さばさばとして豪胆な意見である。
リュネットは改めて溜息をついた。恋慕とはそう簡単に出したり引っこめたりできるものではない。
ままならないから、恋なのだ。抑えられないから、恋なのだ。
彼女はそれをよくよく思い知っていた。
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