第一〇翔



 石造りの暖炉の中で、赤々と炎が揺れていた。

 薄暗く赤味を帯びた室内には、ただ人の息使いと薪の爆ぜる音だけが響いている。

 藁で作ったベッドの中にうずくまるように太った男が一人、その胴体ほどもある巨大な卵を抱いていた。

 男は眠りこけているようだった。


 仕方がない、とシャーロットは思う。

 今の時期の飼育員たちは、それこそ寝る間もないほど忙しいのだ。

 そんな状態でこんな温かそうな寝藁の中で横になっていて、意識を手放さずにいるのは至難の業だ。

 傍にはシャーロットもいる。

 いざと言う時には起こしてくれるだろう、そんな安心感も、男にはあったのかもしれない。


「あっ!」


 ピシッと卵に一筋、大きな亀裂が疾った。

 ついに孵化が始まったのだ。


 我知らずシャーロットが椅子から立ち上がり魅入る中、卵には次々とひびが入っていき、やがて殻の一角が破壊され三本の爪が飛び出してきた。

 事ここに至っても、よほど疲れていたのだろう、男は目を覚まさない。

 シャーロットはゴクリと生唾を飲み込んで、何かに突き動かされるように、ゆっくりと卵へと足を踏み出していく。


「わぁっ……!」


 シャーロットは感嘆の声とともに、その瞳をキラキラと輝かせた。


 卵の中から這い出てきたのは、鶏ほどの大きさの幼竜だった。

 赤褐色の鱗が、黄色い粘液にまみれている。なめくじやなまこなどぬめぬめしたものが大っ嫌いなシャーロットであったが、なぜか今は全く嫌悪を感じなかった。


 今、感じている何かを、シャーロットは表現する言葉を持たなかった。

 この心の奥底からとめどなく溢れ出てくる激情に、シャーロットはただただ支配されていた。


「あっ……」


 幼竜と目が合う。

 次の瞬間、ゆっくりとゆっくりと、幼竜がシャーロットの方へと歩み寄ってくる。

 地上最強の存在であるはずの竜が、今は歩くことさえ苦心していた。


 わたしが守らなければっ!

 いてもたってもいられず、気がつくとシャーロットは幼竜へと駆け寄りその身体を抱き締めていた。

 目頭と、頬が熱かった。

 これは同情などでは決してないと断言できた。似ているようで全く違う、もっともっと鮮烈で強い“何か”だ。


 幼竜の身体はとても柔らかかった。

 成長すれば剣さえ通さぬはずの鱗が、今は少しザラザラしてはいるものの、人間のそれと変わらぬほどに弾力があった。

 見上げてくるその瞳にあるのは、吸い込まれそうなほどに無垢で純粋で、わずかの穢れさえない信愛だった。


 シャーロットは急激に理解した。

 自分は『親』になったのだ、と。

 ずしりと、両肩がいきなり重くなったような気がした。

 しかし決して不快ではない。

 それを背負う為の力が、後から後から湧いて出てくる。


「おまえは雄か……」


 アロンダイトを抱き上げそう呟いた次の瞬間、天啓のごとく、シャーロットの脳裏に閃くものがあった。


「アロンダイト……そうだ、おまえはアロンダイトだっ! わたしは、わたしは……絶対におまえをダービー竜にしてみせるぞっ!」


 これが今のシャーロットの原点。

 ただただ我が子の為に、調教師を目指そうと決意した瞬間。


「あれからもう三年半……か」


 感慨深げにそう呟いてシャーロットが目蓋を開けると、すでにそこにアロンダイトの姿はなく、丸みを帯びた天蓋だけが視界に広がっていた。

 その口元に微笑を浮かべ、シャーロットはベッドから跳ね起きた。


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